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2011年6月26日 (日)

游氣風信 No,124 介護保険開始

 四月から介護保険制度が始まりました。

 連日、各新聞で特集記事が編まれているように、駆け込みで成立させた法案ですから、今一つ分かりにくく、制度そのものもいろいろな矛盾をはらんでいます。

 

◎介護保険は分かりにくい

 (制度の複雑さと抱える矛盾)

 わたしは20年前から健康保険による在宅ケアを実施し、現在も10名ほどのお宅を訪問していますから、介護保険の門外漢にもかかわらず新しい保険制度に対するいろいろな質問を受けました。

 例えば

 「どうして高齢者から保険料を徴収するのか。これではあまりに弱者に冷たいではないか」

という不満を込めた質問。

 「わたしらの世代は戦争があって苦労の連続だったのに、老後も苦労させられるのか」

という方が多いですね。

 確かにご苦労に関してはそうなのですが、そのことをあまり声高に述べるとどこかの国の外交手段とどっちこっちの感情論になりますから、とりあえずこうした思いは横に置いておくか、括弧(カッコ)でくくってしまっておいてか
ら現実的な論点を考えていただかなければなりません。

 

◎高齢者は弱者か

 (同世代相互扶助)

 介護保険の保険料は40歳以上が健康保険税と同時に納めることになります。

しかも65歳以上の方は若年層の倍額を納税することになるので、従来の福祉のありかたからすれば累進課税ならぬ逆進課税、福祉が一挙に後退することになります。

 なぜそうなってしまったのでしょうか。(ただし、65歳以上の方の保険料は半年先送り、さらに一年間は半額とされましたことはご存じの通り) 新聞などの情報の拾遺からあくまでもわたしなりの理解を記せば、介護保険制度は年金制度のように働く現役世代が引退した世代を支える世代間援助ではなく、介護を必要とする年代になった高齢者同士が助け合う、同世代間での相互扶助という意味合いがあるからだと思います。

 日本社会の高齢化は我が国がお手本にしている先進国とは比較にならないほどの速度で進行しています。これからは社会を支えていく若い世代の人口比率がどんどん減り、高齢者の比率が増えるため、経済的にも人的にも若い世代だけで高齢層を支えることが難しくなったのです。

 あえて批判を承知の上で言えば、今の高齢者にはまだまだ不十分ですがおおむね必要な福祉はなされていると思います(BESTではなくBETTER。あくまでもおおむねです)。厚生年金や共済年金受給者は、月々子育てに追われ、家賃や家のローンを抱える三十代のサラリーマン層と同等あるいはそれ以上の収入を得ています。

 さらに日本人の預貯金の半分以上は65歳以上が保持していますし、多くの個人資産もその世代に帰属します。今日、高齢者層は経済的には決して弱者ではありません。

 この事実が介護保険に踏み切る一因であったと聞いています。

 それより今の高齢者を支えている現役世代が高齢層になった時、その世代を支える制度の整備が急務でしょう。その世代を支える現役層は今よりもっと数が減少していますし、経済状態も多くを期待できないでしょう。介護保険制度は今日から将来に連なる制度として期待されています。

 新聞やテレビなどのマスコミは福祉の手から漏れた一部の弱者を拡大、全体にかかわる問題点として誇大に報道しているという点は否めないのではないでしょうか。もちろんその方たちは行政や地域によって柔軟に保護されるべきですが、一部の例を全ての人にかかわる問題とすり替えると事を前に運ぶことができません。

 これは個別問題の深層に踏み込み本質的な論議をすることなしに、表層だけを問題視して一般論化するという詭弁につながるものです。

 

◎予算が無い

 (新税と民営化)

 介護保険で多くの人が一番矛盾に感じるのが、保険料を納めるようになったら福祉が向上するべきなのに、逆に今まで無料だった介護にかかわる費用が一割自己負担という有料になったことでしょう。これは以前からの在宅介護利用者にとって最も大きな疑問点です。

 従来、在宅介護は市町村を中心にした行政による福祉が主だったですが、これからは介護保険制度に則って民間の業者に委託することになりました。わたしは介護保険制度は福祉の民営化だと乱暴に理解しています。民間活力導入ははっきりとうたわれているはずです。

 ぶっちゃけた話、従来通り一般税から福祉予算を割り当てるやり方ですと福祉予算が枯渇するので、介護のための財源として介護保険料を徴収するという新しい税金制度ができたのです。ケアマネージャーも介護業者も民間活力ですから自由競争が生まれ、業者間で介護料の値下げ合戦を招きます。これも一つの狙いです。

 

◎民営化の功罪

 (保険制度は性善説)

 介護保険制度の入り口で重要な役割をするケアマネージャーは多くの国では公務員になります。それによって公正を期していますが、これでは人件費が膨大なものになるので民間委託にしています。

 日本では施設の職員がケアマネージャーをしているので、いきおい介護を必要とする人を自分の施設に取り込もうとします。既にその弊害も一部に出ています。最も重度の要介護5とされた方を市の職員が訪問したら本人が歩いて出迎えたというとんでもない詐欺行為が発覚したのです。これでは性善説に立脚する介護保険制度を初めから反古にすることになりかねせん。

 逆に民間委託は競争原理が働くので利用料の値下げを招くという利点があります。

 わたしの訪問している方が利用しているある業者は四月より介護サービスにかかる費用を一割値下げしました。かかった費用の総額の一割は利用者が負担しなければなりませんから、自己負担額も一割安くすみます。これは大きいですね。

 こうした値崩れがサービスの質の低下を招かないことを前提条件とすれば政府の目論見どおりで大変歓迎されることです。ただし、僻地では業者の参入が少なく業者間競争が発生しませんから地域による不公平はますます大きくなることでしょう。財源の基礎になる保険料からして地域格差は少なくありませんから。

 

◎ランク分けの矛盾

 (痴呆の問題)

 介護施設が介護を必要とする人を入所させる場合、経済性(もうかるか、利益が上がるか)が無視できないことは民間機関である以上避けられません。
 最も重い要介護5に認定された方と一番軽い要支援の方では一カ月で施設が手にする収入は15万円ほど差がでるそうです。

 意識がしっかりして身体機能のみが不自由、しかも食事は胃ろう栄養(胃に直接チューブがさしてあり、口を介さずに流動食を胃に流し込む)や鼻腔栄養(鼻からチューブで流動食を胃に流し込む)なら手間もかからず、施設にとっては人手を節約できるので歓迎される上客となります。

 反対に、体は健康だが痴呆で徘徊したり、大声を出して同室の人に迷惑をかける人は目が離せないため、手間暇がかかります。こうした問題は施設の人件費に反映されてしまいます。

 収益を上げなければ施設の存続さえも危うくなりますから、どうしても施設としては要介護5と認定されたおとなしい、手間のかからない人を求める傾向が出てしまいます。

 これは痴呆の認定が軽すぎる点にあると思えますから、今後是正をしなければならないでしょう。

 民間活力を最大限に利用するなら、民間が経営維持しやすいような制度にしないと、民間の善意やボランティア精神に依存するのは限界があります。

 これは看護婦という激務を「白衣の天使」などと持ち上げて犠牲的な行動を要求したり、医師が経営を云々すると「医は算術に堕落した」などと揶揄してしてきた過去にもつながる問題でしょう。

 善意と経営維持。この相克をどう乗り越えるかは介護保険の重要課題です。

 

◎権利意識の芽生え

 (国賊から市民の権利と義務)

 介護保険制度は国民が保険料を納め、利用者は利用料の一割を払うことで、介護が「お上」のお慈悲でなされるものではなく、国民の要求できる当然の権利として認識されるという意識改革をも期待しています。一割負担は確かに厳しい負担ですが、そうすることで、どうどうと行政に要求する国民の立場も強くなるのです。

 わたしが初めて在宅ケアに訪れたのは先程述べたように20年前。その方は明治34年生まれの男性で当時77歳位、謹厳実直を絵に描いたような方でした。

 その人生は苦難そのもので実に三度も徴兵を受け、三度目の出征中、空襲で家を消失、二人の息子さんを亡くされたのです。そのとき同居していた息子さんは奥さんに背負われていて助かったのでした。

 最初のリハビリのあと、

 「お勘定は」

と聞かれたので、

 「〇〇先生から保険治療の同意書をいただいています。歩行困難の方の在宅治療は健康保健でできるから無料ですよ」

と答えましたらその方は

 「わしは病気になって入院して多大な医療費を『お上』から出してもらった。

家に戻ってもこうして先生から無料で治療してもらえる。すっかり『お上』の世話になる役立たずになってしまった。わしは国賊じゃ」と悔し涙を流されました。

 戦争でそこまでの犠牲を払いながらこの国家への忠誠意識は何なんだろうと20代半ばのまだまだ若かったわたしは疑問に思いつつも、不憫に感じ、 「〇〇さんの治療をすることで僕は家族を養っていけるのですから、負担に

感じなくてもいいんですよ」

と変な励まし方をしましたら、

 「そうか、こんなわしでもお役に立っておるのか」

元皇軍上等兵の誇りに刻まれた苦虫を噛みつぶしたような顔から、今度はうれし涙を流されたことを昨日のことのように覚えています。

 「お上」の世話になるのは恥ずかしいという時代であり世代だったのです。

今日でもそれに近いものはあります。わたしが訪問しているある方は近所の方に

 「市の世話になっていいきなもんだ」

と嫌みを言われると嘆いておられます。

 あるいは

 「大事な亭主を施設に預けてよう自分だけ旅行に行けるもんだ」

と妻が夫の兄弟に非難されるとも聞きます。

 何の助けもしてくれないくせに文句だけ言うから親戚は一番嫌だという方は少なくありません。

 介護には自分がしてみなければ分からない厳しさがあるのです。介護保険はそうした厳しさをみんなで共有しようということでもあるのです。

 介護保険は40歳以上の国民が全員、国民の義務として保険料を納めるのですから何臆する事なく権利を主張できる素地は作られたわけです。誰もがいつかは介護する側か、される側に回るという、この極めて当たり前のことを考える切っ掛けとなることでしょう。

 意識の大きな転換です。

 

◎業者を選ぶ権利

 (遠慮は無用)

 介護保険は「お上」(市町村)に遠慮しながら与えていただくものではなく、こちらから選択していけるものです。案外知られていませんが、今利用している業者がいやなら他の業者に代えることもできるのです。

 3月28日の読売新聞にケアマネージャーの選び方を特集しています。参考のために掲載しましょう。

良いケアマネージャー選びの10か条

1 話を十分に聞くか

2 一緒に問題を解決しようとするか

3 希望と食い違った場合、十分に話し合おうとするか

4 ケアプランの目的や、ケアマネージャーの考えを説明するか

5 介護保険外のサービスを計画しているか

6 ケアマネージャーとヘルパーなどに意見の食い違いはないか

7 別居している家族や民生委員などとの連絡が必要な時にこまめに動いてく

  れるか

8 サービス開始後も、様子を見にきたり、電話で様子をたずねるか

9 ケアプランの修正に応じるか

10 生活支援全体に責任を持とうとするか

(竹内孝仁・日本医科大学教授)

 

 余談ながらケアマネージャーの報酬は一人につき年間10万円だそうです。

 

◎ともかく走りだした

 (悔悟と改悟)

 介護保険はわれわれ一般の者には理解が難しい複雑な制度です。しかも財政難の折から今後もさまざまな問題が噴出してくることでしょう。しかし、介護は待ったなしですから、紆余曲折して走りながら方向を定めていかなければなりません。

 この文章は知り合いのケースワーカーやケアマネージャーなどの福祉や介護の専門家にも読んでもらうことになります。間違いなどの指摘がありましたらまた訂正文を載せます。

 いずれにしても将来、「介護保険」が実は「悔悟保険」であったということにならないことを祈るばかりです。そのためには時に応じて「改悟保険」として修正していくことでしょう。

 

〈後記〉

 今回、《游氣風信》を書くに当たって指折り数えてみますと、在宅介護を初めてもう20年。早いものです。その間の印象的な方の話は[游氣風信]にも数回取り上げたことがあります。本文の謹厳実直な元皇軍兵士〇さんのことは特に力作として評価されました。いわゆる古き良き日本人の典型のような懐かしい方でした。

 その後今までに随分大勢の方とかかわってきました。

 在宅介護の終点はその方が入院されるか、亡くなることです。これは残念ですがしかたありません。しかし、現実には介護している家族の病気や疲弊などの問題で終了することも多かったのです。

 介護保険がうまく機能して、介護者を少しでも助けてくれるなら望外のことですが、果たしてどうなることでしょう。

 なお、わたしたちの業界(鍼灸・マッサージ)は介護保険制度の中には参入せず、従来通り医療保険でかかわることになります。ただし、やる気のある人はケアマネージャーの資格を取ることも可能です。

 

 

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