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2011年6月26日 (日)

游氣風信 No,122 2000,2,1寒星  [賢治の星巡り]

 今年は暖冬。

 年が明けても暖かく過ごし易い日々が続いていましたが、さすがに立春を過ぎてからきっちりと寒い日がやって来ました。

 二月四日の立春は旧暦に直すと十二月三十一日のおおみそか。旧暦の立春は新暦では三月十日前後。その頃ならば寒さの中にも春の気配を秘めた時節として立春という言葉の実感が湧くというものですが、新暦の立春である二月初頭は一年で最も寒い頃。

「なにが春じゃ」

と言いたくなるのが人情。

 ことほどさよう、新暦と旧暦の実感的乖離にはいかんともしがたいものがあると、いつも「游氣風信」で愚痴っています。

 冬は寒いので首を縮め、地面ばかり見て歩きがちです。

 しかし、冬の寒気は空気を緻密に緊張させ、星々の最も美しい夜空を演出します。それはあたかも空気の淀んだ生活空間を高い山の頂に変えてくれるようです。

 今からおよそ八十年前、26歳の詩人宮沢賢治は地元の農学校の教師、ある秋の夜、生徒を伴って岩手山に登ります。

 

 さうさう 北はこつちです

 北斗七星は

 いま山の下の方に落ちてゐますが

 北斗星はあれです

 それは小熊座といふ

 あすこの七つの中なのです

 それから向ふに

 縦に三つならんだ星がみえませう

 下には斜めに房が下つたやうになり

 右と左とには

 赤と青の大きな星がありませう

 あれはオリオンです オライオンです

 あの房の下のあたりに

 星雲があるといふのです

 いま見えません

 その下は大犬のアルファ

 冬の晩いちばん光つて目立つやつです

 夏の蠍とうら表です

 

(宮沢賢治 「東岩手火山」より一部抜粋 

       日付一九二二、九、一八 

       参考:宮沢賢治全集ちくま文庫版1)

 

 賢治が生徒達と生き生きと接している様子がよく読み取れる詩です。

 山頂から見える雄大な光景。

 漆黒の空に輝く無数の星。

 指さして星の名を唱える賢治の声。

 この時の経験はきっとのちのちまで生徒達の心の中にきらめく記憶として止まったに違いありません。

 この詩を科学評論家の故草下英明さんはその著書「星の百科(教養文庫)」では

 

 さうさう 北はこつちです

 北斗七星は

 いま山の下の方に落ちてゐますが

 北極星はあれです

 それは小熊座といふ

 あすこの七つの中なのです

 

と引用されています。

 ここで注意すべきは賢治の原文の「北斗星」が草下さんの引用では「北極星」とされている点です。草下さんが意図的に修正されたか、誤記されたか、あるいは草下さんの引用された本がそうなっていたのかもしれません。

 

 賢治は詩の中で北斗七星は

「いま山の下の方に落ちてゐます」

と書いています。つまり

「今は見えていない」

ということです。しかし続けて

「北斗星はあれです」

と言い、その星は小熊座に属すると言っています。

 ここに問題点があります。


 北斗星と北斗七星は同じことですから、この夜、北斗七星は山の下に落ちていて見えてないはずです。しかも北斗七星は小熊座ではなく大熊座の星。小熊座に属するのは北極星です。

 

 柄杓の形の北斗七星は大熊座の一部、ちょうど熊のしっぽに当たります。

 また、北極星は七つの星からなる小熊座のしっぽの先端の星になります。まぎらわしいことに小熊座も柄杓の形をしています。

 以上の点からどう考えてもこの星は「北極星」としか考えられませんから、「北斗星」は賢治の間違いだと思われます。

 

 そこで天文を専門とする草下さんが気をきかせて「北極星」と修正したのではないかと推理するのです。

 しかし文献に正確を旨とする評論家ですから勝手に直すことはしないでしょう。疑問は疑問のままで残っています。

 この辺は実にややこしい話です。

 

 わたしはこの草下英明という教育テレビなどでもおなじみだった科学評論家には思い出があります。

 20代半ば、どうしても欲しかった「宮沢賢治と星 草下英明私家版」を売ってもらえないかと作者に手紙を書いたところ、当時既に入手困難だったその本が草下さんの手元に数部残っているということで贈呈していただいたのです。実にありがたい思い出です。(この本は後に出版社から増補復刻されました)

 

 北極星は北の空にあって、ほとんど動かないために、海上の運行などで方位を知るために頼りにされてきた星です。すなわち地球上から見上げると夜空は北極星を中心に回転しているのです。

 ややこしいことはここまで。

 

 詩の後半は有名なオリオン座のことです。

 オリオン座は冬の夜空を彩る代表的な星座で、北極星や北斗七星の反対側、南の空に見えます。

三つ並んだ星を四角で囲んだ極めてバランスのよい形、しかも明るい星で構成されているので誰もが知っている星座です。

 賢治の詩の

 

 縦に三つならんだ星が見えませう

 

が、この三つの星のことです。

 

 赤と青の大きな星がありませう

 

 この赤い星はベテルギウス。太陽の一千倍近くもある巨大な星。

 青い方はリゲル。太陽の二万倍も明るいとか。

 オリオンはギリシャ神話に出てくる無敵の猟師。不遜な態度を神に嫌われて神のつかわした蠍(さそり)の毒で殺されます。そこで夏の代表的な星座であるさそり座が顔を出すとオリオン座は逃げて西の山に沈んでしまうというまことによくできた夜空のドラマになっています。

 これが引用した詩の末尾

 

 夏の蠍とうら表です

 

につながるのです。

 オリオン座を絵に表すと三つ星はオリオンのベルト。赤いベテルギウスは右肩、青いリゲルは左足に相当し、右手でこん棒を振り上げ、左手に毛皮をたれ下げています。

 

 あの房の下のあたりに

 星雲があるといふのです

 

 三つ星の下にぼんやり見えるのがオリオンの大星雲。星雲はガスのかたまり。

これは肉眼でしっかり見えます。そのすぐ上にも「馬の首」と呼ばれる小さい星雲があってこちらの肉眼で見えますが、馬の首の形までは無理。写真で見るとタツノオトシゴのよう。賢治の詩では大星雲は「いまは見えません」と書かれています。

 

 その下は大犬のアルファ

 冬の晩いちばん光つて目立つやつです

 

 大犬座のアルファはオリオン座の三つ星を斜め左下に延長すると嫌でも目に入る、全天で一番明るい恒星です。星座の中の星をアルファ、ベータ、シータなどと呼び、通常アルファは一番明るいことが多いです。大犬座のアルファはかの有名なシリウス、中国でも狼と見立て、天狼(てんろう)と呼びます。日本では青星とか大星と呼んでいたようです。

 

 生徒を率いた賢治は子供達に星の見つけ方を通して宇宙の雄大さ、その知識を連綿と紡いで来た人類の知の歴史の素晴らしさを教えたことでしょう。今日、80歳を越えたこの教え子たちが賢治の授業を実に細かく記憶し、再現するようすは映画に記録されています。これは賢治の教育が知に片寄らず、感動とともに心身に刻んでいったからに違いないでしょう。

 

 現在でも小学校でW型のカシオペヤや柄杓型の北斗七星から北極星を見つける方法を習っているはずですが、そこに感動を伴っているかは疑問です。

 

 冬の空にはまだおうし座やふたご座、昴(すばる)などのスター(まさにスター)が燦然と輝いていますが、なにはともあれ、カーテンや雨戸を閉めるときでも一度、寒さをこらえて星空を見上げていただくと冬の過ごし方も多少は違ってくることでしょう。

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