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2011年6月26日 (日)

游氣風信 No,120 1999,12,1 ミレニアム(千年紀) -ある引き際-

この文章の後半に登場するヒゲオヤジさんこと三島寛さんは現在もお元気に人生を楽しまれ、同人誌を発行したり、川柳の選をしたり、ネットに様々な意見を投げ込んだりされています。

六文錢で検索するとどこかでお目にかかることでしょう。

《游々雑感》


 今年は1999年。来年が2000年であることは言わずと知れたこと。

 今年の夏頃から唐突に聞き馴れないことばがマスコミでたびたび使われるようになりました。そう、ミレニアム(millennium)。この怪しい英語が知らないうちに巷を闊歩しています。

 

 わたしの頼りない直感ではこれはミリ(milli)に関係していると思うのですがはっきりしたことは分かりません。しかしそう考える根拠はこうです。

 milliは1000を表す言葉。1メートルの1000分の1が1ミリメートル。1気圧が1000ミリバール(現在は国際単位のヘクトパスカル)。つまりこれらの単位と関係すると睨んでいるのです。

 

 スペイン語では1000のことをミルと言います。

 わたしはこのことを昔ミル・マスカラスというメキシコの覆面レスラーが「千の顔を持つ男」と呼ばれていたことで学習しました。マスカラスはマスク(仮面)に関係することばです。なぜ彼が「千の顔を持つ男」と呼ばれていたかというと、我らがヒーロー、ミル・マスカラス選手は試合毎に異なったマスクを被って、ジャイアント馬場やアントニオ猪木に立ち向かっていたのです。

 

 さて、話を戻します。

 昨今やたらとミレニアムということばが目や耳に飛び込んでくるので広辞苑(第四版)を調べてみました。ところがミレニアムは出ていません。しからばと千年で当たってみると・・・ありました、ありました。

 

せんねん説[千年説]

(宗)(millenarianism)キリスト教で、キリスト再来の日に、死んだ義人が復活して、地上に平和の王国(千年王国)が建設され、一千年間キリストがこの王国に君臨し、その後一般人の復活があって、最後に審判があるという信仰。

千福年説。至福千年説。

 

 何やらたいそうなことのようです。

 ではmillenarianismを研究社の英和辞典で調べてみましょう。

 残念ながらmillenarianismはありません。しかし、こちらにはミレニアムmillenniumが出ていました。

 

millennium

 1 千年間、千年期。

 2 千年祭。

 3 [キリスト教]至福千年「キリストが再臨してこの世を統治するという神聖な千年間」。

 4 (特に、正義と幸福の行き渡る想像上の)黄金[理想]時代。

 

 ということはミレニアムは単純に1000年間を示す言葉であると同時にキリスト教においては理想の時代を指す重要な意味を持つわけです

 現在一般に使われているのは1000年の区切りだという意味でしょう。もっとも西暦はキリストの誕生した年を基準に作られていますからいずれにしてもキリスト教と全く無関係とは言えません。

 

 イエス・キリストは紀元前4年に生まれ紀元28年に刑死しています。なんと32歳の短い生涯。しかしキリストの誕生が紀元前4年なら来年は本当は2004年になると思いますが、どこでどうなったのかイエス没後4年目が西暦の始まりとされているようです。

 

 来年が西暦(キリスト紀元)2000年で二十世紀末となります。しかし、これとて人為的に決めた約束事。信者以外にはさしたる意味はありません。ちなみにイスラム教では西暦622年がイスラム紀元。日本では明治5年に西暦紀元前660年が神武天皇即位の年であるとしてこの年を皇紀元年と定めました(以上広辞苑)。

 きっと年配の方なら「紀元は二千六百年」という歌をご記憶でしょう。皇紀2600年は1940年になりますか。時は日米開戦前夜、国民の士気を高めるために作られた歌かもしれません。

 

 こうして調べてみると、さしたる根拠はないにもかかわらず世紀末は妙な実感を伴ってやってきます。その理由の一つは十九世紀末のヨーロッパで頽廃的な思想が広がり、社会がどことなく不安で落ち着かなくなった事実があったからのようです。

 十九世紀末のフランスで生じた頽廃的、耽美的、虚無的、病的、怪奇的傾向の強い文学活動はデカダンスと呼ばれていますが、今世紀末もまたそれをなぞったような傾向を感じないでもありません。

 一世紀と言っても具体的には太陽の回りを地球が百回廻っただけなのですがね。

 

 それでも今世紀末も何かことがあれば、前世紀末に倣って「やっぱり世紀末よねー」と、世紀末に結び付けるというご都合主義に終始してさまざまな問題を深く考えることなく過ぎてしまっているような気がします。これは悪いことがあると何の根拠もないのに「やっぱり厄年だった」

と決めつけることで妙に納得してしまうことと似ているようです。

 

 このように社会の風潮に対して利便的に何でも世紀末とするのが昨今の流行です。

 

 しかし、自らの意志で自らのミレニアムに線を引こうとする人もいます。

 今年もあと余すところ一カ月にせまった11月28日の朝、朝日新聞尾張版に次のようなコラム記事が載りました。

 

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    朝日新聞尾張版 1999年11月28日

 

「ひげおやじ」の引き際

 

 魚を焼いたり、ネギマをひっくり返したりする炉端のわきには小さな黒板があって、そこにはいつも機知に富んだ川柳が記されている。

 とある寒い夜の一句はこうだっだ。

 

 身ぐるみじゃ足りぬ内臓だせという  芳泉

 

 名古屋・今池の居酒屋「六文錢」は、いささかくたびれた雑居ビルの地下にある。

 「芳泉」とは、店のあるじ、三嶋寛さん(61)の雅号。いうまでもなく、いま問題の商工ローンへ放った一矢だ。

 庶民の生活のにおいがするこの街に店を構えてから、はや二十七年。

 はちまきに半てん姿。高げたをはいて炉端に立つ三嶋さんは、その口ひげから「ひげおやじ」の名で親しまれている。

 が、こんど突然、故あって店を閉じることにした。

 伏線はあった。

 

 言い換えても末世は末世ミレニアム

 

 以前、そんな句が掲げられていたからだ。

 来年は二〇〇〇年。それを区切りにした決断だった。

     ・

 「このまま老醜をさらすより、きっぱりと店じまいしたほうがいいと思って」

とは本人の弁。

 戦後の闇市から出発し、焼き肉や中華料理、キャバレー、パチンコ、大衆酒場などがひしめいていた今池も、最近は再開発の波に乗り遅れて、往時のにぎわいは消えた。

 「六文錢」もかつては金のない若い人たちが集まり、政治や文学、映画などをめぐって議論の花を咲かせていた。

 が、そんな「疾風怒涛(しっぷうどとう)」の時代は幕を閉じた。

 いま目立つのは若い女性客。仕事帰りに立ち寄っていた人たちもバブルの崩壊とリストラの影響でめっきり減った。

 客層の変化に対応するには店を改装しないといけない。

 けれど、昨年の暮れ、軽い脳血栓で倒れて入院した。もう無理はきかないと感じた。それで改装をあきらめた。

 「なにごとにも潮時というものがある」。そう思った。

     ・

 できれば今池を特色のある面白い街にしたかった。発起人の一人となって「いきいき今池お祭りウイーク」を誕生させたのも、そのためだった。

 いったん会社勤めをしたものの「管理」という言葉にどうもなじめず、そこを辞めてここにやって来た。

 そんな三嶋さんにとって、このごった煮のような大衆的な街はぴったり波長に合ったのだ。

 『名古屋を呑む!』と題する本を出版。人間本位の街づくりを訴えたこともあった。

     ・

 店の営業は、今年いっぱい続ける(この点はお間違いのないように)。 

「もっと頑張れ」という人が多い。もちろん三嶋さん自身、愛する街を見捨てるようで心苦しい。が、仕方がない。

 客に配っていた「かわら版」もなくなる。

 そこに「新・外来語辞典」を掲載していたが、その締めくくりの項でいわく。

 

 「ン 皆さんの幸ンを祈ります」

 

                            (小沢 俊夫)

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

 以上の新聞記事でお解りのように、わたしの《游氣風信》でもたびたび紹介したことのある今池・夜の哲学者「ひげおやじ」こと三嶋寛さんが、名物居酒屋「六文錢」を年内で畳むというのです。

 

 ひょんなことで知り合ったひげおやじさんとわたしの交流は、わたしが年に数回六文錢に呑みに行くだけでなく、折りに触れEメールの交換などもしています。

 この十五才年長の、非常に迷惑なことに「ミシマ ヒロシ」というわたしと同音異義語の名前を持つひげおやじさんは、その洞察力と表現力、巧みなユーモアで多くの人から慕われています。人生の先輩としてわたしも最も敬愛している方です。

 

 それが突然二十数年続けた六文錢を閉店するというのです。

 実はこのことはわたしにとって晴天の霹靂かというとそうではありません。

先月いただいたEメールからですでにその伏線を感じてはいたのです。否、ひげおやじさんが匂わせていたのです。

 

 先月号の《游氣風信》は吉田拓郎や井上陽水の歌に触れながら、わたしの個人史と時代および世代論を述べたものでした。それに対して一世代前のひげおやじさんからご自身の歴史を戦後史に重ねた丁寧なメールが届いたのです。そしてその末尾に今度発行する、お店のチラシ「瓦版 六文錢」に一身上のお知らせがあると書かれていたのでした。

 「瓦版 六文錢」はお店の宣伝チラシで、内容はユーモアと世相を切る鋭い目をないまぜにした傑作読み物ですが、この一身上のお知らせがとても気になっていました。そしてその不安通りついに閉店のお知らせが届いたのです。

 

 なぜ店を閉じられるのか。詳細は分かりませんし、知る必要もありません。

先に引用した新聞記事で十分でしょう。

 むしろこれからあの卓越した自由人が還暦を過ぎてどのように生きていかれるかに尽きない興味があります。

 幸い、インターネット上に開いてあるホームページ

「電脳六文錢」

(URL http://www.nicnet.co.jp/imaike_t/rokumon/)

はそのまま継続されるそうですから、どこに行かれようとわたしとひげおやじさんの縁は切れることはありません。

 

 先程述べたようにもともとわたしはお店には年に数回しか顔を出さない、いわゆる上客ではありませんでした。カッコよくいうと「君子の交わり、水のごとし」の関係。もっともわたしたちは君子ではないし、店に顔を出すのは酒を呑みに行くためですから「凡夫の交わり、酒のごとし」かも。

 今の時代、インターネットがあればお互いがどこに行こうと一応の関係は継続できます。これからは酒の仲立ちがなくなりますからそれこそ「水のごとき」交わりになるかもしれません。

 それにしても六文錢が伊那の蔵元に特注していたオリジナル銘酒「もへいじ」が呑めなくなるのは返す返すも無念です。白ワインのようにフルーティな味わいで、日本酒嫌いの外国人も美味しいと喜んだものでした。

 

 ひげおやじさんは《游氣風信》の最もよい読者の一人でした。

 今まで《游氣風信》を読んで「文章がうまい」とか、「博識である」とか、「根気よく出されますね」などのお世辞をたっぷり含んだお褒めのことばは時々いただきましたが、ひげおやじさんからの読後メールは必ずご自身の問題として再措定して書いてこられましたからこちらも襟を直し、膝を正し、呼吸を整えて読む必要がありました。その点においては最高の読者であり、最も畏ろしい読者でもありました。

 畏ろしい読者というのは書くとき常にその目を意識せざるを得ない人のことです。

 

 「マニュアルが、機能本位で事態を処理する点で、一定の有効性を持つことは言うまでもないが、同時に、そこには、作業者とその相手を、主体と対象を、同一化のうちに留めようという強固な要請が潜んでいるように思えるのである。

それは均質化した時間と空間のうちにあらゆることがらが配列されていて、私たちが充分理性的でありさえすれば、その中から自分に都合のいい部分のみを取り出し、利用し得るという、近代合理主義の一つの帰結でもあろう。」

 

 以上はひげおやじこと三嶋寛さんの著書「名古屋を呑む!--居酒屋ひげおやじ名古屋を語る 風媒社」から引きました。「名古屋を呑む!」はユーモアとペーソス、実にくだらない駄洒落満載の本ですが、中には上記のような論理がちがちの都市論、マニュアル論もあって、いかにも雑然を好むひげおやじさんらしい好著です。著者の申すことによれば読まなくてもいいから買って欲しいそうです。

 

 「主体と対象を、同一化のうちに留めようとする」マニュアル的な在り方は「近代合理主義の一つの帰結」ではあるものの、それはどこか非人間的で、その均一化は過去の歴史が示すような恐ろしさも伺わせます。

 

 わたしの業界も昨今マニュアル化した「クイック・マッサージ」や「フット・リフレクソロジー(足もみ)」などが隆盛を誇っていますが、マニュアルに馴染めないわたしは、ひげおやじさんとおおいに共感するところがあるのです。

 

 わたしが白衣を着用しないで、いつも外国土産のはではでTシャツなどで治療しているのを不謹慎とか不真面目とか不思議に思われる方もおられるようですが、それはわたし自身も「主体と対象を、同一化のうちに留め」たくないからこそなのです。

 

 それはつまるところ治療者と患者の関係を固定することなく、治療者も患者もともに学び合い・癒し合える関係を作りたいということ、そこでは「治療」や「患者」ということばすらなくなるということです。白衣は治療者を治療者として留めようとする武器に外なりませんから、わたしは敢えて着用しないのです。

 決して貧しくて買えないからではありません。

 

 この辺りが年齢や職域を超えて、わたしたち「ミシマ ヒロシ」がなんとなく気の合うところなのかもしれません。

 

《後記》

 

 来年がひげおやじさんにとって、《游氣風信》の読者にとって、地球全てにとってよい年でありますように。

(游)


 

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