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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No97「めでたい俳句」

三島治療室便り'98,1,1

春風献上

 旧年中はいろいろとお世話になりました。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げ
ます。
1998年 元旦

游氣の塾 三島治療室
三島広志

≪游々雑感≫

めでたい俳句の色々

 新年早々わたしの駄文でめでたさを汚してはいけないので、今月は読むだけでめでたくなる俳句を集めてみました。好評「色々シリーズ」の一環です。

 俳句で用いる歳時記には春夏秋冬とは別に新年という項目が独立して存在します。
ですから俳人は新春の俳句を作るのがとても好きなのです。年の初め、正月気分一杯の名句をいくつか紹介しましょう。俳句の引用は山本健吉著「基本季語五〇〇選(講談社学術文庫)」に拠ります。

先づ女房の顔を見て年改まる  虚子

 これはあまりめでたくないようですね。作者は有名な高浜虚子。近代俳句の雄です。
季語は「年改まる」

オリオンの盾新しき年に入る  多佳子

 作者は橋本多佳子。女流俳人の草分け。オリオンは冬の代表的星座。片手に盾、片手にこん棒を持って南の空に輝いています。有名な三つ星はオリオンのベルト。こういう句は現実の星座を神々しいものに変革する力を有します。季語は「新しき年」

寅の年迎ふ一病息災に 源義

 作者の名字は角川。かの角川書店創業者です。なにかとお騒がせの角川春樹(俳人)のお父さん。民俗学にも造詣が深い経営者兼学者。加えて俳人。
 虎は「虎は千里往って千里還る」と言うほどに強さや勢いの権化とされています。
また、寅は東北東の方位や午前四時前後の時空を表します。
 作者源義は体が弱かったので虎の威を借りて元気に暮らしたくてこうした俳句を作ったかもしれません。昔、弱く産まれた子には虎とか熊とか強い動物の名をつける習慣がありました。季語は「年迎ふ」

 余談ですが、時空の指標である寅がどうして動物の虎になったかは十二支の本家中国で十二の宮(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌。亥)に動物を当てはめたことに由来するようです。
 ついでに言えばこれと十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)が組み合わされて六十の年となります。つまり暦の一番初めは十干の甲と十二支の子を合わせて甲子(きのえね)。大正時代の甲子の年に作られた球場が有名な甲子園。気が強い女として嫌われるのは丁午(ひのえうま)も同様の組み合わせ。
 「えと」は本来は十干(じっかん)のことで兄と弟という意味です。五行説の「木・火・土・金・水」で「きのえ・きのと・ひのえ・ひのと・かのえ・かのと・つちのえ・つちのと」という具合に進みます。
 このように干支は十干(こう、おつ、へい、てい・・)と十二支の組み合わせであって、「ね、うし、とら」だけを指すのではありません。
 今では十二支(じゅうにし)が十干(えと)と混同されています。
「あなたのえとは何」
「ひつじ」
という具合に。
 分かりやすく書こうとそればするほど話がとってもややこしくなってしまいました。
もう少しで止めます。
 甲子(きのえね)から始まった暦の最後の年が六十年目の癸亥(みずのとい)。暦を一回りすると還暦。赤いちゃんちゃんこでお祝いします。これもめでたい。

わが庭の籔はむらさき初日の出  青邨

 草木がうっそうと茂った薮でさえむらさきに神々しくなる。これが初日の力。けれど初日も常の太陽。つまり神々しいのは初日と定めた人の心の力です。作者は元東大の鉱石学の教授。盛岡中学では石川啄木の後輩で宮沢賢治の先輩。昭和六十三年没。
わたしの俳句の師黒田杏子の師になります。季語は「初日」

はつ空や烟草ふく輪の中の比叡  言水

 作者は池西言水は江戸中期の俳人。「木枯しの果はありけり海の音」で木枯らしの言水と呼ばれています。烟草は煙草のことでたばこ。この句には時代を超えた魅力があります。比叡山をたばこの輪の中に入れてめでたさを際立たせました。演出効果有り。字余りですが強引に五七五のリズムで読むとよろしい。季語は「はつ空」

ふるさとの夜具の重さよ初鴉  青陽人

 作者についての知識はありません。郷に帰って新年を迎えたのでしょう。母のやさしさがたっぷりと夜具を掛けたのか、寒い国なので夜具を厚くするのか分かりませんが、新春の故郷に目覚めたら初日の中で烏が鳴いていた。この言いようもない安堵感と清々しさを新年の烏の声が代弁しています。昔の人は何にでも「初」をつけて、嫌
われものの烏でさえめでたがったのです。季語は「初鴉」

元日や手を洗ひをる夕ごころ  龍之介

 作者は言わずと知れた芥川龍之介。作家龍之介は俳句の名人でもありました。この句は説明ができません。年改まった日の清新な気持ちと夕方になって少しそれが薄れつつある一種の倦怠感。正月俳句の白眉。季語は「元日」

初便ふたりに未来あるばかり  文子

 新年の慶びのひとつに年賀状があります。初便(はつたより)は年賀状のことです(初めてのトイレではありません。念のため)が、近年では初電話、今日では初E-mail(イーメール・パソコンと電話をつないでやり取りする手紙)と風情なきことおびただしくなりつつあります。わたしもそれで何通か済ませていますが・・・。
 決して郵便業務民営化論争に関わるわけではありませんが、はがき一枚五〇円で田舎の果てまで届けて、ついでに、一人暮らしのお年寄りに声をかける。広島の田舎の郵便配達は投函する手紙まで持ち帰ってくれていました。祖父母は郵便配達を実に頼りにしていたのです。季語は「初便」

わらんべの溺るるばかり初湯かな  蛇笏

 いい句ですね。「溺るるばかり」に新年という時間のめでたさ、さらに幼い子供のいる血族の連なりという慶びがあふれています。飯田蛇笏の知られた句。蛇笏は俳句史上に燦然と輝く重鎮。季語は「初湯」

初湯出て青年母の鏡台に  鷹女

 新年にふさわしい若々しい句です。新年は歳を加えることになりますが、同時にすべての人が生まれ変わるという意味もあります。鷹女は姓を三橋。先の橋本多佳子とならぶ女流の巨頭です。季語は同じく「初湯」

青黴の春色ふかし鏡餅  有風

 俳人は黴(かび)さえも慶びます。これも新春ならではのこと。梅雨どきともなればこんな悠長なことは言っておれません。季語は「鏡餅」

ぬば玉の閨かいまみぬ嫁が君  芝 不器男

 「ぬば玉」は黒や夜、闇などにかかる枕詞。和歌なら「ぬばたまの黒髪」という具合に用いるところ俳句では時々このように「ぬば玉」だけで闇や夜などを連想させるように使います。しかし通常、俳句には枕詞はありません。「閨(ねや)」は寝室。
この句の場合、独り寝か二人寝かで意味が全く異なってきます。
 嫁が君は正月の間だけ用いるネズミの忌み言葉です。結婚式で切れるとか別れると言ってはいけないのと同じこと。正月の間は嫌われ者のネズミも嫁御が来たと慶ぶことで新年を祝うのですね。
 作者芝不器男は二十六才で夭折した明治三十六年生まれの天才俳人。季語は「嫁が君」 この句は「新版俳句歳時記(角川書店編)」に拠りました。

老いてだに嬉し正月小袖かな  信徳

 まるで着飾ったきんさん・ぎんさんのようにめでたい俳句です。作者は江戸時代の人ですから、この老いた人は今ならとても若い人に違いありません。今時の句会でこんな句を出そうものならご年配の女性から大顰蹙(だいひんしゅく)をかいます。
「老いてだにのだにとはなによ!」
という具合に。きんさん・ぎんさん位の年齢の人ならこう詠んでもいいだろうと思うのです。季語は「正月小袖」

羽子板の重きが嬉し突かで立つ  かな女

 作者は長谷川かな女。青年俳人の育成に努めました。今では羽子板は飾り用で、羽根突きをしている光景はまず見られなくなりました。この句は可愛い女の子の心情を詠んで余りあるものがあります。季語は「羽子板」

歌留多の灯一途に老いし母のため  みづえ

 作者は多分現代女流俳人の山田みづえ。歌留多を囲む家族のなかに老若男女入り交じるめでたさ。母に灯を明るくする娘のやさしさ。正月は年が改まるだけでなく、家族が集まるというめでたさも加わります。季語は「歌留多」

 俳句ばかりでは疲れるので現代詩をひとつ紹介します。

  ふゆのさくら
              新川和江

おとことおんなが
われなべにとじぶたしきにむすばれて
つぎのひからはやぬかみそくさく
なっていくのはいやなのです
あなたがしゅろうのかねであるなら
わたくしはそのひびきでありたい
あなたがうたのひとふしであるなら
わたくしはそのついくでありたい
あなたがいっこのれもんであるなら
わたくしはかがみのなかのれもん
そのようにあなたとしずかにむかいあいたい
たましいのせかいでは
わたくしもあなたもえいえんのわらべで
そうしたおままごともゆるされてあるでしょう
しめったふとんのにおいのする
まぶたのようにおもたくひさしのたれさがる
ひとつやねのしたにすめないからといって
なにをかなしむひつようがありましょう
ごらんなさいだいりびなのように
わたくしたちがならんですわったござのうえ
そこだけあかるくくれなずんで
たえまなくさくらのはなびらがちりかかる

   詩集「比喩でなく」所収  中公文庫27 現代詩集から

 新年を祝った詩ではありません。しかしここまで純度高く愛を歌い上げてあると貴さを感じます。まるで高砂の翁媼(おきな・おうな)のように。すればやっぱりめでたいとここに登場させました。
 男女の純愛をひらかなばかりでやさしく女性の立場で綴ってあります。結婚という社会的制度をはるかに超えた愛情。作者は1929年茨城県出身。今の若い女性とは異なる恋愛観でしょう。

≪後記≫
 毎年≪後記≫に書いていますが、地球が太陽の回りを一回りすると、なにはともあれ
「明けましておめでとうございます」
「新年おめでとう」
と気分一新してしまうのは、まことにもってよい趣向だと思います。
 とりわけ昨今のように世相が暗い中、
「新年明けましておめでとう」
というのは楽しいものです。

 「(暗~く)色々あってね。資金繰りも苦しいし、体調も悪い。新型ウイルスも上陸しそうだしさ。貯金は無いし、金利は安い。おやじ狩りには会うは、財布は落とすは。円は下落する一方で会社も危ない。よってボーナスもささやか。といって競馬も、宝くじも、株もともかくあらゆる博打は全部駄目。女房には逃げられるし泥棒には入られる。建てた家は手抜きで雨漏り隙間風。ア~ア」
 (パッと明るく)でもまあ、暦が改まって年が明けた。それじゃあともかく、気を取り直して
「(暦の上では年が)明けまして(なんだか知らんが)おめでとう」
 こうして精神的にけりをつけて新しい年の一歩を踏み出すのはまことにもっておめでたい先人の知恵。

 昨年はメビウス気流法の会に招かれて、270名の前で宮沢賢治や治療に関して対談するという貴重な経験をしました。
 また、藍生俳句会愛知県支部で合同句集を発行することもできました。
 おかげさまで仕事もまずまず順調で、健康を害することもなく家族ともども飢えることなく無事過ごせました。

 時代は急変しています。それで時代に置いてきぼりされないようインターネットにホームページを立ち上げました。これは文章はわたしが書き、製作は全面的に千葉県の鍼灸師酒井茂一さんによるものです。ここで改めてお礼申し上げます。酒井さんは鍼灸の先生がパソコンを駆使していると言うよりパソコンのプロが鍼灸もしていると
言っても過言でない人で、高校の演劇部の演出にも出掛けるというマルチな才能にあふれる方です。
 ホームページの住所は≪游氣風信≫のタイトル欄に書いてあります。
 今年はインターネットを用いた俳句会を寺澤慶信さん(藍生俳句会会員)が始めるようですから参加しようと思っています。

 それからついにこの≪游氣風信≫も四月号でめでたく100号となります。90号からはインターネット上でも読めるようにしてあります(酒井さんがして下さってます)。


 今年は一体どんな人と出会い、どんな出来事に遭遇することでしょう。
 いろいろなことがあっても負けずに、また来年
「明けましておめでとうございます」
と言えるようにしたいものです。

 皆様のご多幸、ご健康を祈るとともに、本年もよろしくお願い申し上げます。
(游)

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