游氣風信 No95「知ったかぶりIN落語 芸人(永六輔)」
三島治療室便り'97,11,1
≪游々雑感≫
知ったかぶり IN 落語
世の中には知ったかぶりをする人がいます。
こういうタイプは世の中に知らないことがあることを恥と考えます。なにより自分自身を許せません。
知らないことを聞かれたら嘘・ごまかし・捏造・取り繕いでその場をやり過ごし、決して知らないとは言わない種族なのです。
ただ、いわゆる嘘とは違います。両者がそれを了解の上で会話を楽しむ知的な遊戯であることが必定なのです。そうでないとただの嘘つきで終わってしまいます。嘘つきは罪なものです。何しろ一般に嘘をついた本人はそのことを知り尽くしているから苦しいものでしょう。決して自分自身に嘘はつけません。これは心が痛みます。
知ったかぶりするためには心の奥でにやにやと笑いながら会話をする余裕が大切でしょうね。
「もののけ姫、見ましたか。良かったですね。感動しちゃいました」
「あれは宮崎駿監督の最後の作品と言われてるね」
「自然と人がどのように調和して生きて行くのかというテーマだそうですよ」
「うん、あれは宮崎監督の長年のテーマでね。ラピュタもナウシカもトトロもおもひでポロポロも全部同じテーマで貫かれているんだ。見事なもんだよ」
「もののけ姫は主題歌も大ヒットしていて、どこの映画館も満員だそうですよ。どこでご覧になりましたか」
「いや、実はまだ見ていないんですよ・・・(見なくてもそれくらいのことは分かりますよ。ハッハッハッ)」
「・・・(あんたの話振りから見てないことは先刻お見通し。ハッハッハッ)」
こういうのが罪のない知ったかぶりの会話です。
古典落語には知ったかぶり、物知り顔をする人を揶揄(やゆ)する話はたくさんあります。
有名なのは「やかん」と「千早振る」、あるいは「転失気」や「一目上がり」でしょうか。「一目上がり」だけは手持ちの資料に見当たりません。
手持ちの資料?
お前はそんなもの持っているのか。落語の資料などあるのかと問われる方もおありでしょう。無理もありません。しかし、それがあるのです。何を隠そう。わたしは講談社文庫「古典落語上・下・続・続々・続々々・大尾全六巻(興津要編)」を秘蔵しているのです。秘蔵と言ってもどこの本屋でも売っていますけど。
今、手元には上と下が置いてあります。その他はどこかしまい込んであって見当たりませんが、家かオフィスのどこかにあることは間違いありません。
したがって今月号は決して知ったかぶりで書いているのではないのです。
さて、落語に出てくる知ったかぶりを紹介しましょう。知らない人はもちろん、知ったかぶりの人もお付き合いください。
まずは「やかん」。
この話の枕がすごい。
「無学者は論に負けず、無法は腕ずくに勝つ、なんてことを申しますが・・」
と始まるのです。真理の一半を衝いていますな。
ある学者先生のところにそこらにいる八五郎が無駄話に訪れます。
そこで先生から数々の蘊蓄(うんちく)を聞かされ、話の流れでやかんの段になったところ、先生は困って口から出まかせを言うという有名な落語です。
この学者先生は落語長屋の住人ですから蘊蓄と言ってもいささか怪しいものです。
例えば魚の名前の由来。とうとうと次のように説明します。
「いわしは、わしのことはなんとでもいわっしからきた」
「まぐろは真っ黒から」
「切り身は赤いですが」
「切り身で泳ぐ魚がいるかい」
「ほうぼうはほうぼうにいるからじゃ」
「こちはこっちにいるから」
「あっちに行ったら?」
「先回りしたらこっちになる」
こうした怪しい蘊蓄をのたまいます。
そのうち、身の回りの物の名前の由来になり、ついにやかんに話が移る訳です。
この学者先生の話によれば、やかんは川中島の合戦でそれまで「水わかし」と呼ばれていた道具がやかんになったということです。
時は戦国。所は上杉謙信と武田信玄が争った有名な川中島の決戦。
ある雨のひどい夜。こんな夜は戦はあるまいと、皆酒を飲んでくつろいでいた。
そこへ敵軍の夜襲。皆がうろたえる中、さる立派な若武者は落ち着いて鎧を身につけ、得物を手にし、兜を被ろうとすると見当たらない。代わりになる物はと辺りを見回すと目に入ったのは大きな水わかし。
ぐらぐらと湯の煮えたぎっている水わかしを手にすると、湯をざざあと捨てて、頭に被っていざ出陣。敵も味方も驚くばかりの大活躍。
頭に変なものを被った奇怪な侍だと敵がいっせいに矢を放つと、矢が当たってもカーンと撥ね返される。矢が当たってカーン、矢がカーン。これでやかんになったという訳。
これは結構知られた話ですね。
しかし、さすがは名作落語。まだ続きがあります。
戦が終わって、獅子奮迅の活躍の若武者が頭からやかんをとると、あまりに熱いまま被ったので髪の毛がすっかり抜けていた。これ以後、禿げ頭をやかん頭と呼ぶようになった・・・ということです。
この話はさらに続きます。
やかんの蓋はどうするかという問いには口にくわえて面にする。取っ手はというと、顎に掛けて顎紐変わり。注ぎ口は音の入り口。下に向いていては音が聞きにくいのではと突っ込めば、当夜は雨だから上向きではまずいではないかと反論。
話の落ちは、
「それにしてもおかしいよ。耳なら両方にありそうなもんじゃありませんか。片っぽうねえのはどういうわけです?」
「いやあ、ないほうは、枕をつけて寝るほうだ」
こうしてつぎつぎ出まかせを繰り出す才能は今様代議士に匹敵しますな。
「転失気(てんしき)」はこれも知られた話。子供向けの昔話にもあります。
分からないということが決して言えない負け惜しみの強い和尚さんをからかう話です。
和尚さんがおなかの具合が悪いのでお医者さんに診てもらうと「転失気(おならのこと)」はありますかと聞かれる。「ないこともない」とごまかしたものの、「てんしき」が分からないので小僧の珍念に花屋に行って見てこいと命じる滑稽話。
医者と和尚の対話のすれ違いが愉快な落語です。和尚の無知に付け込んで「てんしき」をおちょこだと嘘をついて和尚をからかう珍念のいたずらも見事。
落語の中で説明してありますが「転失気」は漢方薬の原典である傷寒論に出てくる言葉で「気を転(まろ)め失う」からきているそうです。
単純な内容なればこそ演じるのが難しい落語。
「千早振る」は有名な和歌を素材にした落語。
和歌を素材にしたものには他に「崇徳院」が知られています。
崇徳院の
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の割れても末に逢はむとぞ思ふ
という歌をキーワードに、初な男女の恋心の機微を暖かくお笑いネタにしたものです。
「千早振る」は在原業平の歌
千早振る神代もきかず竜田川からくれなゐに水くぐるとは
をモチーフに学者先生と八つあんがやりとりするのです。これは「やかん」と同じ構造で話の枕も同じです。 講談社の古典落語では「無学者は論に負けずなんてことを申します。ろくに知りもしないことを知ったかぶりする人がよくございますな」となっていて、「やかん」とそっくり。同じ落語家の話を書き起こしたものでしょう、きっと。
「千早振る」の歌を学者先生は牽強付会に八つあんに説明してしまいます。八は怪しいと思いながらも楽しく付き合うのです。
昔、竜田川という大関がいた。ある時人気絶頂の花魁千早大夫に惚れて言い寄ったが振られてしまう。だから「千早振る」。
それではと面影のよく似た妹分の神代に迫ったがこれも言うことを聞かない。そこで「神代もきかず」となる。
落胆した竜田川は相撲を止めて郷里に戻り実家の豆腐屋を継ぐ。そこに落ちぶれた花魁千早が乞食となって現れ、「昔のよしみ、せめておからなりともくれないか」と無心をしたが、竜田川は「お前のせいで相撲を止めたんだ」と断る。悲観した千早は井戸に飛び込んで死んでしまう。それで「からくれないに水くぐる」。
最後に八つあんは食いつきます。
「水くぐるとはのとははなんです」
「あとでよくしらべてみたら、千早の本名だった」
えー、業平の歌の本当の意味は読者各自で調べるように。わたしは知ったかぶりはしたくありません。
さてもう一つの「一目上がり」ですが、これはわたしの記憶だけが頼りです。この落語は物を知らない男が知ったかぶりをして愉快な失敗をする他愛ない話ですが、実にうまくできています。
わたしの記憶が確かならば、これは次のようなものです。
ある人、これもおそらくは八つあんでしょう。大家さんか誰かの家に上がって掛け物を見て聞きます。
「あそこに書いてある字はなんです」
「あれは賛だ(画賛)」
別の家で知ったかぶりをして
「結構な賛ですな」
「いえ、あれは詩です」
次の家でも同様に
「結構な詩ですな」
「いや、あれは論語の語」
またまた別の家で
「結構な語ですな」
「いや、あれは録じゃ(仏典などの語録)」
また別の家で
「立派な録ですね」
「いや、これは七福神です」
「賛と言えば詩、詩と言えば語、語といえば録、録と言えば七福神。待てよ、三四五六七じゃねえか。じゃあ次は八だ」
知恵を働かせて、次の家では先回りして言います。
「結構な八ですな」
「いや、これは芭蕉の句(九)じゃ」
これに類する話では、五から六に上がるところで、
「いや、六は質屋に入っております」
という落ちのものもあります。
以上、わたしの知ったかぶりでした。つまらない話にお付き合いいただいてありがとうございました。お後がよろしいようで。
≪後記≫
永六輔さんがまたまた岩波新書を出しました。
今月号にぴったりのタイトル「芸人」です。
「大往生」「二度目の大往生」「職人」に継ぐもので、いずれも永さんが書き留めた一般人の名語録集です。
帯の口上を紹介します。
芸・・・・・芸とは恥をかくことです
テレビ・・・もったいないものも捨ててあります
スポーツ・・プロレスは痛いものです
光と影・・・錦着て 布団の上の 乞食かな
歌・・・・・明日咲くつぼみに
芸人・・・・三波春夫は芸人でございます
三波春夫さんとの対談は愉快なものです。
三波さんは舞台ではキンキラキンの純和風衣装ですが、実生活では日本史の研究家として書斎に籠もりきりで本を読んでいるそうです。しかもシベリア抑留中に共産主義思想をみっちり仕込まれた筋金入り。右翼左翼が自由に出入りする体質の方のよう。本も出されるそうです。
俳句もされます。わたしの先生の黒田杏子とも句会を共にしたことがあると黒田先生から聞きました。もちろんその場には永六輔さんも。
わたしの知ったかぶりも今月号で95回目になりました。お陰でかなりの年期が入りました。百回目にはお祝いのお捻りが飛んでくるといいのですがね。
寒さに向かいます。お体ご自愛ください。
(游)
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