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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No94「青は藍より出でて」

三島治療室便り'97,10,1

≪游々雑感≫

青は藍より出でて・・

 先月号でお知らせしたように、十月三日、名古屋のザ・コンサートホールで高校の同級生服部吉之君とその夫人真理子さんによるサクソフォン(吉之)&ピアノ(真理子)のリサイタルがありました。

 服部君は小学校からサックスを始め、東京芸大から同大学院を経てパリの音楽院を一等賞で卒業。以後、ソロやサクソフォン・アンサンブル「キャトルロゾー」などの活動。指導者としても洗足学園や尚美で後進の指導に当たっています。

 真理子さんとピアノの出会いは幼少3歳。幼稚園にもいかずにピアノにしがみついたそうです。その精進の結果、東京芸大付属高校から同大学卒業。演奏活動、主として管楽器の伴奏者として活躍しておられます。歌手の故藤山一郎に可愛がられていく度も伴奏したと聞きしました。尚美で芸大を卒業したプロのピアニストの指導をしています。

 二人は個々の活動を精力的に行っていますが、それとは別に、東京、名古屋、北海道などでほぼ毎年一回、「デュオ服部」として夫婦でリサイタルを行っています。今回はなぜか趣向を変えての特別企画でした。

 特別企画。
 それは服部君の弟子で昨年度の日本サクソフォンコンクールで見事一等賞に輝いた原博巳君(尚美・東京芸大)と服部君によるサクソフォン・デュオ。
 真理子さんが3歳から親炙(しんしゃ)している師の吉田よし先生(東京音楽学校現東京芸大卒業)と真理子さんによるピアノ・デュオという変則のプログラム。即ちピアノとサクソフォンの師弟デュオということです。デュオとは二人で演奏することでデュエットのこと。

 今回はなぜ師弟なのでしょう。それは文化一般から考えてみる必要があります。
 そもそも文化とは歴史と社会を持つことで初めて成立する人間独自の営みです。他の生物には決して見られないものなのです。蜂や蟻が社会を形成しているといってもそれらは本能のままに営まれていて、歴史に裏打ちされたものではありません。後代に教育的に継続させるものではないのです。

 文化は広義には科学技術から料理、スポーツ、格闘技、政治、経済、産業などあらゆる分野を含みます。狭義に限定すれば文化庁があつかう音楽や美術、書道や文学、歌舞伎や文楽、演劇、映画などの芸術や芸能がその代表的なものとなるでしょうか。

 もし文化が歴史を持たなければその人限りで滅んでしまいますし(多くの人間国宝がその危機にある)、同じようにもしそれが社会性を得ることがなければ単なる孤立、独りよがりに終始してしまいます。

 そういう意味で師弟とはまさにその歴史性を担う極めて重要な関係であり最小単位の社会なのです。
 40歳を過ぎて服部君も先代から受け継いだモノに自分の得たモノを付加して後代に伝えるという仕事に比重を置いてきたのでしょうか。彼もまた立派に歴史と社会に生きている人と言えます(おお、それに引き換えわたしのふらふらした根無し人生・・自嘲)。

 ついでに社会性のことを言うなら芸術の受け手が社会性の大部分を支えています。
同時に俳壇や画壇、文壇のように作り手の側の社会性もあります。

 さて当夜の演奏は毎度のことながら素晴らしいものでした。

 「俺は原博巳君の師匠ではない。原君のファンなのだ」
と公言して憚(はばか)らない服部君は実にうれしそうに愛弟子と共演していました。
例えて言うなら一人前に成長した若鶏をそっと優しく抱くような師匠らしい喜びとゆとりのある暖かい演奏でした。
 弟子の原君は170名の中でトップに立ったというだけあって21歳とは思えないテクニックとステージ度胸、立ち姿や音色の良さなど器の大きさを師匠を前にしてなんら臆すところなく発揮していました。

 服部君と真理子さんの演奏は時に争うような緊張感(夫婦喧嘩ではない)を醸し出していましたが、当日の師弟コンビはそういった緊張感は漂わせてはいませんでした。
むしろほのぼのとした雰囲気を客席まで伝えて来ていたのです。
 ただし知り合いの演奏家に聞くとプログラムは非常に高度なもので相当な技量を要する曲ばかりだそうです。そうした難しい曲を演奏しながらも客席にはゆとりある至福感として伝わって来たということは両名の音楽技量がいかに高いかを証明するものと言っても過言ではないでしょう。

 ピアノはどうだったでしょう。
 吉田よし先生は女性ですからお齢を書くことは失礼ですので控えます。ただ、原君が21歳でよし先生は彼よりほんの半世紀だけ早くお生まれであると記しておきます。
齢は書かないのが礼儀ですから。

 率直に申し上げて、先生の演奏は齢のことを考慮する必要の無いまるで若々しいものでした。ピアノに向かった美しい姿勢から時に激しく、時に幽かに、あるいは情熱的に、あるいは冷ややかにと鍵盤の上を自在に動き回る指から奏でられる演奏は全く現役の演奏家でした。
 演奏歴はおそらく60年を超えられるのではないでしょうか。まさに練りに練られた動き、それは難曲をあたかも魚が水中を泳ぐがごとくの自然さで弾きこなされるのです。円熟の極みというものでしょうか。日ごろのたゆまない習練の成果以外のなにものでもないでしょう。であればこそ音楽を深く理解し、頭でイメージしたように自然体で奏でることがお出来になると思うのです。

 よし先生の音色は甘く、真理子さんの音は聡明。
 お互いがそれぞれの音をきっちりと受け止め合い、音楽としてまとめていく。服部君たちと同様、まことに師弟の演奏とは素晴らしく、拝聴していて気持ちの良いものでした。

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 「出藍の誉」という言葉があります。
 「青は藍より出でて藍より青し」
とも言います。これは荀子の次の言葉に基づきます。
 「青出于藍而青于藍」
 広辞苑によれば、青色は藍から作られるが藍よりも青い。弟子が師よりもまさりすぐれるたとえ、ということです。
 余談ながらわたしの属している俳句会はこの故事からとって「藍生(あおい)俳句会」と言います。主宰は黒田杏子。

 一般には辞書にある通り、青は藍より出でて藍より青いから出世しと解釈します。
だから「出藍の誉」。けれども本当にそうなのでしょうか。ささやかながらも異論を申し上げたいですね、仮に荀子がそういう意味で言ったとしても。

 「出藍の誉」とは言うものの決して青が藍より優れているということではないはです。それよりも藍という個性から青という新しい個性が藍を踏み台として花開いたと見たほうがいいのではないでしょうか。

 確かに「出藍の誉」とは言いますが、決して青と藍を比較して青が優れているという意味ではなく、師から教わったことに、わが個性を加えて新しい世界を開くことができたというように考えたいのです。師を乗り越えるとは師から受けた教育の成果を通して質的に転換をなし得たということなのでしょう。
 本来、優れた師とは本来乗り越えられないほどの境地にある人なのですからその境地が超えられるならその人は最初から師匠ではないのです。

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 演奏会の後の酒宴で元全日本レベルのサッカー選手で今は酒屋をやっているA君が言いました。(サッカーと酒屋。わたしの文章にはこうしたエレガントでハイレベルの言葉の修飾が随所にちりばめてありますから、気をつけて読んでください。決して駄洒落ではありません・笑)

 A君が服部君に質問しました。
 「おい、服部。ちょっと聞きたいけど、上手な弟子が出てくるとうれしい反面、追い越されるという焦りを感じないかい」
 体力を必要とする元スポーツ選手らしい率直な質問です。
 「そんなことは全く無い」
と服部君は切り返します。
 「弟子が自分の技量を引き継いで、自分を追い越してさらに成長してくれたら師匠としてはうれしいもんだ。弟子の成長ぶりは自分の励みにもなるし」
 お店の商品をおなかに一杯詰め込んで既にいい気分でやって来たA君はそれには納得せずさらに突っ込みます。
 「弟子の進歩を喜ぶのはある意味でもう敵わないからと、弟子の成長ぶりに目を細めるというポーズで逃避することではないか」
 「体力が技術の大きな部分を占めるサッカーと違って、音楽などの芸能はその年齢に応じた魅力が出せるのだから、追い抜かれるという気持ちはそんなに起きないのではないかな。サッカーみたいにレギュラー人数も決まっていないし。俺は俳句をやっているからそう思う。青春の俳句、働き盛りの俳句。老境に遊ぶ俳句。音楽も同じで
は・・」
と、わたしも議論に参加しました。
 「そうそう、みっちゃん(わたしの小学校からの愛称)の言うとおり」
服部君も同意します。
 「ま、話し合いもそれくらいにしとかんと、パパラッチのみっちゃんがまたこのやり取りを密かに取材して前みたいに通信に書かれるぞ。ネタにされてまうぞ(ちゃんとそうさせてもらいました・・筆者談)」
 元不良で今はこわもて刑事のT君が職業意識のこもった配慮で穏やかに話の中に入って来ました。
 「だいたいよー、Aは天才肌で、途中でクラブを止めても戻って来たら即レギュラー。また止めても戻ってきたらすぐレギュラー。まじめにずっと練習しとっても一回も試合に出れんかった奴もおるのに。俺だってレギュラーになれんから勉強に精を出せとやんわり退部勧告されたんだ。天才のおまえにとっては後進に指導とかは縁のな
い話だ」
 「いや、実は俺、今、小学校のクラブを指導しているんだ・・・」
かつての天才サッカー少年もすでに歴史に参加しているのでした。

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 わたしの指圧の師匠は増永静人という人でその世界では有名な人です。師事できたのはほんの3年ほどで、先生は亡くなられてしまいました。晩年、先生が言われた言葉で記憶に残っているものがあります。

 「論語に
   朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり
  という言葉がある。
   これは朝、真理を知ったらもういつ死んでもいい、それほど真理とは得難いものなのだと解釈されている。しかしわたしは別の解釈をする。それは朝、弟子に真理を伝えることができたらいつ死んでもいいということだ」

 当時、先生はガンに罹っていました。心底切実な思いがあったに違いありません。50代半ばで死を自覚された先生はまだ自らの研究が途中であることと、自分を本当に理解している弟子が一人もいないという二重の寂しさを直視されていたと思うのです。それが論語の解釈になったのでしょう。
 その寂しさは歴史が途絶える寂しさです。
 先生没後十八年。わたしは未だに不肖の弟子どころか弟子と呼ばれるレベルにも達していません。

 それを思えば服部君が原君という優れた弟子に出会えた喜びは計り知れないものがありましょう。同様ににサッカー小僧を相手にし始めたA君や、まるで刑事ドラマさながらに異星人のような若手刑事を現場教育しているT君にも同じ思いにつながるものがあることは想像に難くありません。

 不肖の弟子にもなれていないわたしに弟子が持てるはずもなく、また、現実にいるはずもありません。それは寂しいことですが、まだ成長過程にある、いうならば青春期にある万年青年と呼ばれるわたしにとっては当然のことでしょう。
 今、中途半端のままでいっぱしの師匠気取りになればそれはおそらく師匠でなく支障にしか過ぎないことは自明のことなのです。

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