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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No87「啓蟄」

三島治療室便り'97,3,1

 

≪游々雑感≫

啓蟄
 今年は三月五日が啓蟄(けいちつ)。
 啓蟄とは冬の間土にもぐっていた虫が春になって出てくること、すなわち冬の終わりから春の初めの暖かくなってきた時候を言います。
 蟄居ということばがあります。家に閉じこもって出てこないことです。自宅謹慎のことも昔は蟄居と称しました。蟄は元来虫が閉じこもるという意味なのでしょう。それが人にも使われるようになったと想像できます。

 啓蟄などという難しい言葉に出会ったとき重宝するのが辞書。とりわけ語彙の豊富さと内容の高さで評価されているのが広辞苑。さっそく当たってみましょう。

けい一ちつ[啓蟄]
(蟄虫、すなわち冬ごもりの虫がはい出る意) 二十四節気の一。太陽の黄経が三四五度の時で、陰暦二月の節(せつ)。太陽暦の三月六日前後。驚蟄。≪季・春≫

 とのこと。
 やれやれ、おわかりでしょうか。かえって難しい言葉が啓蟄の虫のようにぞろぞろ出てきてしまいました。驚蟄は冬籠もりしていた虫が驚いたというニュアンスが伝わってきますが。その他の言葉も順次広辞苑に当たるしかないようです。

 ではまず蟄虫とは如何。

ちっ一ちゅう[蟄虫]
冬季、地中にこもっている虫。太平記一八「春雷一たび動く時、蟄虫萌蘇する心地にて」
 さて、困りました。またもや難しい言葉がぞろぞろです。ふと、昔の忌まわしい記憶を思い起こしてしまいました。辞書を引きながら堂々巡りの迷路にはまったことを。
みなさんも経験がおありでしょう。
 
おとこ[男]
人間の性別の一つで、女でない方。

 ふざけるんじゃねえ!と言いたくなる説明ですよね。これ広辞苑です。別の辞書はもっとまっとうな説明でした。

おとこ
人間の性別の一つで妊娠させる能力を有する方。

こっちの方が理解しやすいかも。

 広辞苑で女を引くと

おんな[女]
人間の性別の一つで、子を産み得る器官をそなえている方。

でした。「人間の性別の一つで、男でない方」なんて書いてなくて安心しました。

 脇道に逸れたようです。辞書を引きながら堂々巡りの迷い道に入り込んだらどうしようかと心配していたのでした。しかし心配していても仕方ないので不明の言葉をつぎつぎやっつけて行きましょう。

 今度は萌蘇です。読みも怪しい。漢字からなんとなく意味は想像できますが・・・
さすがは広辞苑。ちゃんと載っていました。

ほう一そ[萌蘇]ハウ・・
木の芽が萌え出て蟄虫の蘇生すること。太平記一八「蟄虫萌蘇する心地にて」

 なるほど、春になって木の芽が萌え出てくる頃、冬の間土にこもっていた虫が蘇生してくるというのです。古人の季節感の味わい方が偲ばれます。

 啓蟄の説明で次に難しいのが二十四節気です。
 天気予報でときどき
「明日は二十四節気のひとつ雨水です」
とか
「今日は大寒。二十四節気のひとつで、一年中で最も寒さが厳しくなります」
などと紹介されます。

にじゅうし一せっき[二十四節気]・・ジフ・・
太陽年を太陽の黄経に従って二四当分して、季節を示すのに用いる語。中国伝来の語で、その等分点を立春・雨水などと名づける。二十四節。二十四季。節気。

 黄経がわからないと先に進めません。

こう一けい[黄経]クワウ・・
天球上の一点から黄道に下ろした大円の足を、春分点から測った角距離。赤経と同じく、春分点から東の方へ測る。

 こうなってくるとちょっと腹が立ってきました。この項目を書いた人はおよそ一般人に理解させようという気がないのでしょう。専門家ならこんな言葉は自明のこととして引く訳がないのです。一般人にこそ解るように書かねばならないのに。
 しかし誇り高き小市民としては専門家の暴挙に負けてはおれません。気を取り直して黄道の項目へひたすら歩むのみです。黄道は理科で習った記憶があります。

こう一どう[黄道]クワウダウ
[漢書天文志]地球から見て太陽が地球を中心に運行するように見える天球上の大円。
天の赤道に対して約二三度半傾斜する。黄道が赤道と交わる点は春分点・秋分点であ
る。

 いやあ驚きました。漢書の意味を調べましたらなんと西暦八二年に編纂されたものだそうです。そのころ日本は弥生時代。水稲耕作が大陸から伝わってきたころでしょうか。すでに中国では黄道などの天文学が成立していたのです。中国四千年の歴史畏るべしはラーメンだけではないのです。ちなみに卑弥呼はそれから百五十年も後の人なんですよ。卑弥呼の時代、中国は有名な三国志の頃。
 漢書はわたしの仕事、東洋医療の原典でもあります。漢方はここからきていますし、とりわけ漢書藝文志は大切なものとされています。

 話を戻しましょう。黄道は空の太陽の通り道。それが赤道と交差するときが春分と秋分ということです。ありがたいことに日本では祭日で学校や会社が休みになります。


せき一どう[赤道]・・ダウ(equator)
纊地球上の南北両極から九〇度を隔てた大圏。赤道上では、春分・秋分の頃、太陽は真上から照らす。また、緯度は赤道を基準として南北に測る。
褜天球上の想像線で、地球の赤道面と天球との交わりをなす大圏。

 赤道は地球の表面に描かれたウエストラインの様なものです。普通ウエストラインは胴で最もくびれた部分ですが、地球は肥満体ですから最も太くなります。それをさらにフラフープのように大きく拡張した円が想像上の赤道というのです。そこを実際に太陽の通り道である黄道との交差する点が春分・秋分となるようです。
 エクアドルという中米の国の名は赤道に由来しています。スペイン語で赤道の意味。
赤道の上にある国ということです。
 それにしても赤道と黄道のずれが23.5度であることが紀元前から解っていたというのですから人知はすばらしい、と同時に、2000年を経たこの時代に生まれてもよく理解できないというのは情けないような気もします。

 寄り道しながらも、広辞苑だけでどうやら少しずつ啓蟄の実態に迫ってくることができました。
 啓蟄は二十四節気の一つであること。陽暦の三月六日前後で今年は五日でした。
 二十四節気は地球から見た太陽の通り道を二十四に区切った点ということです。ということは月に二回づつあるわけです。
 その区切りの基準点は春分と秋分であること。それは想像上の赤道と太陽の実際の通り道の黄道の交差する点であることなどなど。

 では次に二十四節気の一覧表を調べてみましょう。ここでお世話になった広辞苑を離れて俳句歳時記の登場となります。なぜなら今使用中の広辞苑は本ではなく電子辞書で一覧表が省略してあるからです。

二十四節気一覧表
 一年は春夏秋冬の四季と各季節毎に六の節気があります。それで四×六の計二十四。

 一覧表だけではつまらないので主だった節気に俳句を添えましょう。

立春(二月五日ころ)
 立春の米こぼれをり葛西橋 波郷
雨水(二月二十日ころ)
啓蟄(三月六日ころ)
 啓蟄の蟻が早引く地虫かな 虚子
春分(三月二十一日ころ)
 春分のおどけ雀と目覚めたり 麦丘人
清明(四月五日ころ)
穀雨(四月二十日ころ)

立夏(五月五日ころ)
 滝おもて雲おし移る立夏かな 蛇笏
小満(五日二十一日ころ)
芒種(六月六日ころ)
夏至(六月二十一日ころ)
 夏至の夜の港に白き船数ふ 日郎
小暑(七月七日ころ)
大暑(七月二十三日ころ)
 玉の緒にすがりて耐ふる大暑かな 風生

立秋(八月八日ころ)
 かはたれの人影に秋立ちにけり 源義
処暑(八月二十三日ころ)
白露(九月八日ころ)
 島さらば白露凧上げ待ちきれず 欣一
秋分(九月二十三日ころ)
寒露(十月八日ころ)
 白鷺の畦につくばふ寒露かな 翠舟
霜降(十月二十四日ころ)

立冬(十一月八日ころ)
 音たてて立冬の道掃かれけり 稚魚
小雪(十一月二十三日ころ)
大雪(十二月八日ころ)
冬至(十二月二十二日ころ)
 海の日のありありしづむ冬至かな 万太郎
小寒(一月五日ころ)
大寒(一月二十一日ころ)
 大寒の一戸もかくれなき故郷 龍太

 二十四節気は数学的に時期を切り取ったにしては、いかにもその時候を示すぴったりの呼称がついています。天文学者の考察力のすばらしさと同時に、ネーミングの見事さ。昔は天文学者は詩人であったようですから、もし天文学者が名付けたとしても、それもむべなるかなとうなずくばかりです。

≪後記≫

 指圧教室に勉強にきているアメリカ人女性がたずねます。
 「アメリカでは鍼や指圧のよさが認められ、多くの人が治療を受けている。鍼や指圧を教える学校も増え、免許制度を施行している州もあるのに、どうして日本人はせっかくの伝統的な医療を活用しないのか。ひとつは宣伝不足ではないか。アメリカの鍼の学校などでは地道に雑誌や新聞を発行して啓蒙に努めているのに・・・」
 確かにそうです。
 鍼灸や指圧は厚生省の指定する鍼灸大学、鍼灸短大、専門学校や文部省管轄の盲学校で3年間以上学習してやっと国家試験の受験資格を得ることができます。国家試験に合格しても保健所に届けを出して開業条件を満たしているか調査され、その許可で初めて開業できるのです。そういう繁雑な手数を踏む割りには、国は鍼灸・指圧を医療類似行為と称してまともな医療とは認めてはいません(余談ながら無資格者はそれらの手順を一切踏むことなく簡単に開業して〇〇整体とか〇〇カイロプラクティック研究所と称して治療行為ができます)。

 こんな具合にお上からは疎んじられている鍼灸業界が細々と命脈を保ってこれたのは鍼灸の効果がそれなりに民間に評価されているからにほかならないでしょう(これは無資格者も同じです)。それで、アメリカ女性のきつい質問に応える意味もあって、今後≪游氣風信≫にときどきは鍼や灸や指圧でこんな効果がありましたよという報告も少し書こうかなと思います。今までは理由があって極力そうした内容は避けてきたのですが、微々たる読者しかない≪游氣風信≫でも細々たる鍼灸の命脈の血の一滴たりえて、多少は役に立つかもしれません。

 鍼灸・指圧は現代医学とは全く異なった医療体系の上に立っています。生命観も違います。背景がそうですから当然実技としての診断術や治療術もまるで違うものになるのです。 背景としての医療概論があり、それに基づく診断と技術がある点から鍼灸・指圧は単なる治療技術しかない民間療法とは次元が異なるのです。
 無論鍼灸・指圧は万能ではありません。極めて多くの弱点を持つものです。しかし、その弱点の多くは現代医療が担ってくれる今日こそ、鍼灸指圧などの東洋医療の力がより強く発揮されると強く思っています。

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