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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No82「キノコの話」

三島治療室便り'96,10,1

 《游々雑感》

キノコの話

 十月はキノコの季節です。漢字では茸とか菌・蕈などと書きます。意味としては木の子でしょう。茸は形が耳に似ているところからできた漢字に違いありません。中華料理でおなじみのキクラゲなどはずばり木耳と書くほど。この珍妙な形態の菌類は秋の味覚の代表者です。毒茸もというこわい奴もありますが。
 茸という字はクサカンムリになっています。しかし、キノコは植物ではありません。
植物は太陽と水と二酸化炭素があれば光合成によって有機化合物を自分で合成できる生き物です。それに対して動物や菌類は植物を食したり、寄生したりして生存しています。植物が無ければどちらも生存不可能なのです。したがって今日では生物を「植物」「動物」「菌類」の三つに分類する考えが一般的です。

 それにしてもキノコの王者松茸の値段は異常です。シイタケのように木に生えるキノコは養殖が可能ですが、松茸やシメジのように土に生えるキノコの養殖は今のところ不可能です。ですからシイタケやエノキタケ、マイタケのように安定供給はできません。
 ところが戦争中は松茸がいやというほど採れたと言います。また松茸かとうんざりしたとも聞きます。これはどうしたことでしょう。一説には昔は松林の下に溜まった松葉を広い集めたかまどにくべたので、常に松茸の生えやすい環境が保たれていたが、ガスが普及して松の木の下が荒れ放題になったために生えてこないと言われています。


 わたしが中学生だった昭和四十年中頃までは、母の実家の広島に存命の祖父が毎年秋になると松茸やクルミ、栗などを山ほど送ってくれたものでした。段ボールを開けると、松茸の湿った匂いが辺りに広がり、今なら何十万円分の松茸がごろごろ出てきたのです。その頃までは松茸が幾らなどと騒がなかったと思います。
 信じがたいことに母の実家には松茸山と称する固定資産があって、好きなだけ採れたのでした。今は時節柄、盗掘されているようです。
 家の裏口にはクルミの大木があってそれは大人でも抱えられない太さでした。夏休みに帰省したとき、まだ青いクルミの実をみて
「おじいちゃん。クルミが熟れたら送ってね」
「よしよし。このクルミの木はなんぼでも採れるんよ。それに他所のよりうまいけえね」
と約束したクルミもどっさり詰まっていました。

 キノコはその愉快な形態から童話にもよく登場します。

   一郎がまたすこし行きますと、一本のぶなの木のしたに、たくさんの白いきのこが、どってこどってこと、変な楽隊をやっていました。
   一郎はからだをかがめて、
   「おい、きのこ、やまねこが、ここを通らなかったかい」
  とききました。するときのこは、
   「やまねこなら、けさはやく、馬車で南の方へ飛んで行きましたよ」とこたえました。一郎は首をひねりました。
   「みなみならあっちの山のなかだ。おかしいな。まあもすこし行ってみよう。きのこ、ありがとう」
「どんぐりと山猫」 宮沢賢治より

 山猫からめんどうな裁判を手伝って欲しいというおかしな葉書を受け取った金田一郎少年が山猫に会うために森深く入って行く途中、キノコに道をたずねる場面です。
 「どってこどってこ」楽隊をやっているという例えは、実際に山に入って木の根元にずらっと並んだキノコを見たことがある人なら頷けると同時に「なるほど、楽隊とは言い得て妙」と感心されるのではないでしょうか。

  きっ、きっ、木好きの木之助さん

とキノコたちがおかしな歌を歌っている童話は、子供のころ読んだ「きのこ太夫」ですが、家中の本箱を引っ掻き回しても本が見つかりません。作者は誰だったか。巌谷小波だったか・・・他の作者だったか。これは草木が大好きな少年の冒険譚でした。

 木が大好きな木之助(正確な字は不明)少年は、大人から魔物が棲むから決して近づいてはいけないと言われた恐ろしい山に入り、東屋で眠ってしまいます。ところが気が付くと東屋と思ったのは巨大なキノコで、少年はキノコの傘に包まれてしまうのです。そこに先程のおかしな歌が聞こえてきて・・・というストーリーだったと思い
ます。
 キノコ達は草木を愛する木之助少年に向かって、土中に巣くい木の根や草の根を食い散らす性悪のオオナマズを退治して欲しいと懇願したのでした。格闘の末、見事オオナマズ(地震の主でもあります)をやっつけた木之助はお礼にいろいろな植物の種をもらい、それを家の庭に撒いたところ一年中、木の実や花などに不自由せず、近隣に鳴り響く大金持ちになりましたとさ。めでたし。めでたし。どっとはらい。という物語だったと記憶しています。
 この作者をご存じの方はご一報ください。

 外国にはキノコを栽培する蟻がいます。蟻がキノコを育てるとは初耳の方も多いでしょうが、以下の文を読んでいただけば納得できるはず。

   ハキリアリは葉っぱを切りとってきて、自分たちの地下街につみかさねる。 
 (中略)ある者はそれをもっと小さく噛みくだき、ある者はその材料で地下に苗床
  をつくりあげる。するとこの苗床にはある種の菌-ごく小さなキノコといって
  もよい-が生えてくるが、それをハキリアリは食糧にするのである。彼らはま
  ぎれもなくそのキノコを栽培するのだ。人間が畠の雑草をぬくように、べつの菌
  が生えてくるとそれをとりのぞく。自分の排泄物で畠にコヤシをやる。

どくとるマンボウ昆虫記「蟻は人類をおしのけるか」 北杜夫より

 千変万化の蟻の生活ぶりでも、これは白眉。アリマキ(アブラムシ)の乳を集める放牧型、生き物を襲う狩人型といろいろな蟻の形態がありますが、これは農耕型でしょうか。
 逆に生物に寄生して本体以上に目立つキノコもいます。水虫などはじくじくうるさい奴でも体の片隅に生息しているだけですが、菌が異常発達して本体の生存を怪しくさえするのです。同じく北杜夫の本から。

  蝉にとっつくのはセミタケで、蝉の幼虫の頭のほうからキノコのようなものがの びて地上へでる。昔から「冬草夏虫」とよばれ、不思議なものの一つとされてきた。
 地上には植物らしきものが生え、それを掘ってゆくと虫の姿となる。冬には虫で夏には草になるのであろうと考えられていた。
  むかしの中国では「冬虫夏草」を乾燥して薬用とした。肺の病い、腎臓の病い、その他いろいろな病気に効くのだそうである。もっともその姿はいかにも珍で、幽玄の気さえ漂っているから、病人たちも仰天して癒ってしまったのかもしれぬ。
どくとるマンボウ昆虫記「蝉の話」 北杜夫より

 冬虫夏草は今日でも貴重な中華料理の食材です。このスープはおいしいのですが、具としての美的性格には著しい問題があると考えます。冬虫夏草は制ガン効果や慢性病に対する価値が認められて近ごろ大人気の健康食品です。どくとるマンボウの文章からば昔から珍重されていたことが分かります。しかし、どくとるの唱える治療根拠は眉唾物。

 わたしが冬虫夏草のことを初めて知ったのは漫画史上に残る傑作劇画、白土三平の「サスケ」一連の作品だったと思います。木耳も確かそうです。このすぐれた劇画は学園紛争盛んな当時の学生のバイブル的存在だったそうですが、当時中学生だったわたし達にとっては単なるおもしろい忍者漫画に過ぎませんでした。

 漫画と言えば、NHKの大河ドラマ「秀吉」で活躍している竹中直人が監督・主演をして評判になった「無能の人」をご存じでしょうか。その原作者はつげ義春という寡作の異能漫画家で、彼に「初茸狩り」という詩情あふれる小品漫画があるのを思い出しました。
 おじいさんに明日初茸狩りに連れて行ってもらう約束をした幼い少年のうきうきした気分を、つげワールドと呼ばれる不思議な雰囲気で描いたものです。この味わいは絵が無いと紹介不可能。

 最後にキノコの俳句を幾つか紹介いたしましょう。

  秋もはや松茸飯のなごりかな   正岡子規
  在りし日の父の小膝やきのこ飯  石塚友二
  初茸を山浅く狩りて戻りけり   高浜虚子
  松茸の傘が見事と裏返す     京極杞陽
  人のこゑ雲と下りくる菌山    石原舟月

 どれも古い俳句です。
 キノコの雰囲気は時代を超えたなつかしさにあるような気もします。わたし達の周囲には自然や物、行事などの四時の巡りを感じさせる季節のものがあります。それを日本人は季語と呼んで昔からいとおしんできました。

 春の桜、秋の月、冬の雪を雪月花と称して季題はこの三つに尽きるとも言います。
それに加えて夏のほととぎすや秋の紅葉、冬の時雨などがとりわけ大切な季題として尊重されてきました。これらは実生活とは直接関係はありませんが、その時代時代の精神の息吹を保ちながら歴史の中を生き抜いてきた心の風物でもあります。往時の人達の心がこれらの季節のもの(季語)に託されて、その集積として季題と呼ばれるものになっているのです。
 目前の桜だけでなく、過去の人達が桜に寄せた思いも踏まえて今まさに目の前で散り急いでいる桜を愛でるという心の「遊び」を楽しんできたと言えるでしょう。

 キノコは秋の代表的な物として、何か暖かく、なつかしく、愉快だった少年の頃を彷彿とさせるものではありませんか。それは山野での思い出だけでなく、家族が囲んだ食卓の真ん中に湯気を立てていた母の心づくしのキノコ飯でもあります。
 松茸が一本一万円などという市場原理を超えて愛されるのもそんなところにあるのではないでしょうか。昨今はやりのテレビ番組「お宝鑑定団」のように、ものの価値を金額でしか評価できないのではあまりに寂しいことです。松茸の本質は市場原理を超えたところにあるのですから・・・それにしても子どもの頃のようにもう一度松茸
を腹一杯食いたいぞ!

《後記》

 今こうしてワープロを叩いている側で虫が鳴いています。ツヅレサセコオロギのリ、リ、リ、リという力強い鳴き声にクサヒバリのフィリリリという優しい音色が唱和して秋の深まりを感じさせてくれます。
 秋は一年で最も詩情を感じさせる季節。先日アメリカ人から「秋は僕の一番好きな季節。全てのものが色づいてくる」とそのむくつけき髭面からは想像もできないようなやさしい手紙が届きました。
 これから涼しさが寒さに向かいます。ビールの飲み過ぎは禁物の季節。飲みたい時が旨い時。おいしい量が適量。惰性で飲まないことが肝心です。

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