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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No81「うれしい便り」

三島治療室便り'96,9,1

≪游々雑感≫

うれしい便り

 三島治療室の頭に≪游氣の塾≫と冠してあります。いったいこれは何かと疑問をもたれる方もおありでしょう。

 地元の警察官が戸別訪問に来たとき、上目使いに
「いったいここは何の塾で、何をするところですか」
と、なにやら怪しい団体を疑ったようでしたが、応答に出たわたしの紅顔を見て、危険を感じなかったのかすぐに帰っていきました。

 「塾」とは「熟」と同類の言葉で、人間として成熟するための場所を意味します。
今の学習塾とは異なり、緒方洪庵の適塾(幕末期、種痘を行い、福沢諭吉などを育てた)や吉田松陰の松下村塾(幕末期、高杉晋作や伊藤博文などを輩出。佐久間象山は松陰の師)などが本筋になります。
新しいところでは松下政経塾でしょうか。

 今日でも国家を憂う青年を集めた〇〇塾がスピーカーで大声を出しながら公道を我が物顔で走っていますが、わたしのところはそんな国家を憂う塾ではありませんし、適塾のような立派なものでもありません。

 一般の学校は文部省によってプログラミングされたシステムに乗って教育をするところです。文部省に定められたマニュアルにしたがって進めていくことで大勢の生徒に対応できるようになっています。しかし当然、生徒の上達進歩は異なりますから、すぐ理解して退屈してしまう生徒や、落ちこぼしと称される生徒もでてくるのです。

 塾は厳密に決められたプログラムがありませんから、その場その場、つまり、生徒と先生のその日の気分でおのずと学習内容が決定されていくという、極めて自在性に富み、生徒個々人との直接交流によって多様的に進めていきます。言い換えると、まともなカリキュラムの無い、いいかげんな教育方法とも言えますが、人生は何が起こるか分からないという特性をもっていますから、塾という方法もそれに即したものとして、それなりに有効なのです。主宰者の全人格と生徒の人格が厳しく交錯する場と言い換えてもいいでしょう。 今の学習塾はそういう観点からすると本来の塾の姿ではありませんが、学校よりは生徒個々人に対応できているでしょう。ただし、内容が
受験のための能力のみに限定されています。

 ≪游氣の塾≫という名称は身体を通じてさまざまなことを学習していこう、また、身体の不調を調整する方法を伝え合い、より有意義な人生を歩んでいこう、その方法で身体の問題に対処して多少は世間の役に立とう、という共通の認識に立つ人たちとの勉強の場を有していた頃の名残です。仲間は治療院や接骨院などを営んでいる者を主体としていました。(「游」とは流れのままに浮いている状態。そこから自由・気まま・自在・伸びやかなどを想起し、「游氣」とすることで身体を流れる氣や包んでいる氣を伸びやかにという意味を持たせた造語)

 わたしの古い名刺には、

  ≪生きる方向の発見・生きる活力の養成・生きる場の解放≫

などと意気がったスローガンを刷り込んでありました。新しい名刺には印刷してありません。しかし、決して放棄した訳ではないのです。
 現在ではもっぱら我が心中に深く沈め、「男は黙って・・」と日常生活での直接の触れ合いの中で体現していけたらという、いわば加齢による含羞のせいもあって表に出さず、密かなスローガンとして胸の奥に脈々と息づいてはいるのです。
 お断りしておきますと、このスローガンは、坪井香譲先生という身体経験を通しながら文化を根源から問い続けている方からの拝借です。先生の研究はメビウス気流法として知られています。

 註:坪井香譲(本名繁幸)1939年、大分県生まれ。早稲田大学文学部心理学専攻科卒業。ヨガ・仏教・ユング等の思想や実践法を研究。十代から弓道・合気道などの各種の武道や芸能に触れ、カナダ、米国、フランス等の演劇協会や舞踊協会で講師として活躍。伝統や時代性、民族のワクにとらわれない、独自の身体-創造の理論を展開中。著書に「極意」「黄金の瞑想」「メビウス気流法」「気の身体術」など。

 スローガンの中の[生きる活力の養成]に関しては日々の身体調整を通じて細々と実行していますが、同様に指圧教室と銘打って、関心ある一般の人に基礎的な指圧や気功の指導もしています。
 日本人は指圧と聞くと年寄りのするジジムサイことと思っているらしく、ほとんどの人は関心を抱きません。また人からしてもらうものであって、自分からするものではないと考えるのが常です。元来、指圧は家庭でできる医療として大正時代に生まれたにもかかわらずです。
 それどころか、他人に対して偉そうにふるまうことを
「人に肩を揉ませる」
人に媚び、へつらうとき
「肩を揉ませていただきます」
と表現することもしばしばで、どちらかというと、指圧を人に施すのは屈辱的、人にしてもらうのは優越的と感じる人も多いようです。

 ところが外国人は指圧を立派な日本の文化の一形態、医療の一分野として評価し、勉強をしたいと言ってやってくるのです。今やSHIATSUは柔道や空手と並んで日本独自の文化として立派な国際語になっています。
 今までわたしの小さな指圧教室に一度でも来た人の国名を挙げますと驚かれるのではないでしょうか。

 アメリカ合衆国・カナダ・ブラジル(含日系)・イギリス・旧チェコスロバキア・ルーマニア・ドイツ・デンマーク・フランス・オランダ・スイス・イタリア・オーストラリア・ニュージーランド・イスラエル・ベルギーと16カ国になります。
 人数としては英語圏が圧倒的。ほとんどが英語学校か大学の英語の先生。英語圏以外のヨーロッパ人は技術指導に来日した技術者の奥さんが主です。日系ブラジル人は日本の工場などで勤務しています。

 ちなみに教室でなく身体調整のために訪れた人はそれ以外に南アフリカ共和国やミャンマーの人がいました。名古屋も国際化したものです。
 生徒の年齢は二十代から四十代。分かっているだけで四名が帰国後、それぞれの国の資格を得るか、そのための学校に通っています。

 こうした雑多な外国人が集まると、共通語はどうしても英語になります。
 英語という言葉は、十九世紀の大英帝国による侵略の名残から世界共通語になってしまったという血なまぐさい歴史に立脚するものの、現実的には極めて有効な意思伝達手段として使えます。わたしももっとまじめに英語の勉強をしておけばよかったのですが、悔やんでもしょうがないので、根性で話しています。
 「てめえら、ここは日本なのだから、日本語喋らんかい。おらおら!」
と、心の中で思いながら回らない舌を噛みつつ英語の単語を思い出し、思い出しして羅列しているのが現状です。

 もっとも最近は外国人も一生懸命日本語を勉強して、わたしの英語能力をはるかに凌駕した日本語を操る外国人も多いので楽は楽です。そういう努力もしない外国人はこの不景気の日本で仕事がなくなってきているのも事実なのです。
 ドイツ人やデンマーク人はラテン語系統の母国語という利点から、普通の奥さんでも英語をぺらぺら喋るのですが、日本の奥さんたちはなかなか国際的なコミュニケーションに入っていけません。これは寂しいことですね。日本の国際化は普通のおじさんやおばさんがそこらにいる外国人とごく自然に交流できることから始まるのではな
いでしょうか。別に英語が上手に話せなくても、身振りと笑顔でコミュニケーションできることが大事なのです。

 外国人たちは言います。
「三島先生は、英語はともかく、コミュニケーションは上手です」
早い話が、三島の英語は下手と言っているのです。しかし、大切なことは言語能力でなく話す内容。中身のない英語をぺらぺら操っても尊敬はされないのです。その点わたしは生徒達から及第点をいただいています。エッヘン。

 先程、指圧はSHIATSUという国際語になっていると言いました。日本の本屋さんで丸善のような洋書を扱っている大きい書店へ行かれるとお解りですが、英語版の指圧の本はけっこうたくさんあるのです。わたしの恩師増永静人先生の指圧のテキスト「禅指圧」は高度な理論が評価されて数カ国後に訳されています。日本人だけでなく、イギリス人やアメリカ人の書いた本もたくさん出ています。そしてこれが肝心ですが、日本の指圧の本よりはるかに内容のレベルが高いのです。

 日本の指圧の本の多くは
「何とか病にはどのツボを押せば効く」
というような健康雑誌程度の知識の断片の本ばかりですが、英語版は東洋医学の思想・哲学から書き起こし、病気の背景を考慮した上で治療の方法を書くというとても質の高いものが多いのです。わたしはあるイギリス人の書いた指圧の本を逆に日本語に翻訳し直したいと思っているくらいなのです。そこには病気も人生の一過程として評価せよと言う思想がみられます。表紙の写真だけでも指圧の理念を雄弁に表現できています。

 さて、外国人と指圧を通じて交流していると、いろいろうれしい経験があるのですが、最近、とても感激するはがきを受け取りました。
 以前、日系ブラジル人のためのポルトガル語の新聞の電話取材を受けて、指圧を指導しているという記事が掲載されました(記事は見ていませんし、見ても読めません)
。その後しばらくの間、在日ブラジル人からの問い合わせがしきりにありました。それも東京や大阪などの遠方から。そういう方はそちらの教室を照会しましたが、近在の方は今までに7・8人、忙しい仕事の合間を縫って勉強にやってきました。
 その中で、特に日本語より英語が上手だったMという22・3歳の女性が印象に残っていました。その彼女が帰国後しばらくして、こんなはがきがきたのでした。

   あなたに感謝する者です。むすめに習って、おしていましたら、すっかりなお
  りました。三十年も続いていた痛みです。
農業K

 Mのお母さんからです。おそらく移民の一世なのでしょう。鉛筆でとても丁寧な楷書で書かれていました。住所はMが英語で書いています。
 お母さんは移民して以来、苛酷な農作業を30年以上続けたのではないでしょうか。
Mの話では、彼女たちが住んでいる所はブラジルの一番南はずれ。南半球の国では南はずれは日本の北海道と同じ。雪が降るそうです。そこでの農業は決して楽なものではないでしょう。Kさんはそんな境遇の中で、娘を大学まで出したのです。彼女が英語が上手だったのはそのせいなのです。
 Mのお母さんは厳しい労働の傍ら、Mを学校にやったのでしょう。Mは日本でお金を貯めて帰国後また勉強すると言っていました。
 Kさんが30年間患っていた痛みが何であるか、なぜ羅患したか、どういう治療をしてきたのか、何もせず手をこまねいていたのか、全く分かりません。ただ、彼女からのはがきから伺い知れるのは30年来の痛みが、おしたら(指圧したら)楽になったということだけです。しかもそれは日本まではがきを書かせるほど劇的なことだったのでしょう。

 Mは指圧教室には月に2回くらいづつ半年ほど来ただけでした。来ても「昨日は残業を含めて15時間働いて腰が痛いよ」と言って見学したり、練習台にだけなったりとあまり熱心な生徒ではありませんでした。労働がきつかったから、練習どころではなかったのでしょう。けれども職場にあまり友達もいなかったのか、教室でアメリカ人やオーストラリア人たちと楽しそうにお喋りをしていました。

 ある日、
「おかあさんの具合が悪いから帰って来いと連絡があったから帰らなければいけない、本当に悪いのか、私を呼び寄せるために嘘をついているのか分からないけど・・」と寂しそうに言って地球の裏側まで帰っていったのでした。そして、それは予想通り娘を呼び返すための仮病だったのです。
 それから彼女のことはすっかり忘れてしまっていましたが、突然、例のはがきを受け取ったのでした。

 奇妙な縁が地球の反対に住むわたしとMを結びました。人類の歴史数千年、未来を含めたら永劫と言っても良いほどの時間の流れのこの一瞬、広い地球の中のこの今池という一点。地球上50億人の中の二人がたまたま出会い、それが一人の農婦の30年来の苦痛を一時なりとも解放したのです。

 Mのお母さんは苦痛という足かせで[生きる場]である環境や身体から責め立てられていたのですが、それから解放されたのはすばらしいことです。最初に書いた≪游氣の塾≫のスローガンのひとつ、「生きる場の解放」がブラジルで実現したことに感動を禁じ得ません。

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