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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No79「オズの魔法使い」

三島治療室便り'96,7,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://member.nifty.ne.jp/hmishima/

 


≪游々雑感≫

オズの魔法使い

 所属の俳句結社誌「藍生」からまとまった文章を書く機会をいただきました。題も内容も全て一任されたので、決めた題は「切磋と情ー句会・俳句メディア空間-」。内容は俳句を媒体にした句会という場をわたしなりに理論的に書いたものです。

 掲載誌が九月号なので詳細をここに示すことはできませんが、その文中に進むべき目的やそれに通じる道程を示す一例としてアメリカの童話「オズの魔法使い」を引用しました。やや固めの文章に具体性と親しみやすさを織り込みたかったからです。
 論文という性格上、正確を期する必要があり久しぶりに本箱から引き出して「オズの魔法使い」をぱらぱらと読み返してみました。

 親しいアメリカ人によると、アメリカでは毎年一回はジュディ・ガーランド主演のミュージカル映画「オズの魔法使い」のテレビ放映があるそうです。それほど国民的に愛されている物語なのでしょう。このミュージカル映画は何十年も前の古い作品です。人気のほどがうかがわれようというものですね。
 主題歌「OVER THE RAINBOW(虹の彼方に)」は日本でも知られた名曲で、誰でも聞けばメロディーはご存じのはず。

 原作の「オズの魔法使い」はフランク・バーム(1856-1919)の著したもので、後に十四冊シリーズ化され、なんと作者の死後、別の作者が書き続けたといういわくつ
きの人気物語です。しかし、ことの常として第一作が圧倒的に有名です。

 ミュージカル映画で主役の少女ドロシーを演じたのはジュディ・ガーランド。ハリウッドの往年の大女優。日本でも人気の高いライザ・ミネリのお母さんです。ライザ・ミネリがもう立派な圧しも押されぬ大おばさんです。その大おばさんのお母さんが少女の時に撮影した映画ですから、いかに古い映画かが分かろうというものでしょう。
(調べたところ1939年製作、今は懐かしい総天然色映画) それが毎年テレビで放映されるというのです。我が国の年末恒例「忠臣蔵」みたいですね。目的に向かって困難辛苦を乗り越えて目的を成就するという点でも案外似ているかも知れません。

 この本を始めて読んだのは小学校の高学年だったでしょうか。両親から何かの折りにプレゼントされたものです。講談社発行の少年少女世界文学全集全五十巻の一冊で十六巻目に当たります。奥付からすると昭和三十七年の発行となっています。するとわたしが三年生か四年生に読んだことになります。東京オリンピックの二年前。随分古い話になってしまいました。
 手持ちの本は「ドリトル先生航海記(ロフティング作・井伏鱒二訳)」を表題として「オズの魔法使い(バーム作・松村達雄訳)」「シートン動物記(シートン作・龍口直太郎訳)」の三部で構成されたものです。
 今も本箱に収めてありますが紙はぼろぼろ、綴じ糸はほつれ、背表紙はちぎれ、箱も壊れています。何度も何度も読み返したので原型を止めないほど分厚くなってしまいました。
 当時はドリトル先生が好きで、後に岩波書店版と英語版それぞれ全十二巻を揃えました。なにしろ翻訳があの井伏鱒二ですからそのおもしろさはおそらく原作を凌駕しているのではないでしょうか。
 ところが、成人になってからは「オズの魔法使い」の方にも興味が移りました。ここで御存じない方のためにストーリーを簡単に紹介しましょう。

 アメリカの中央部カンザス州に住んでいる少女ドロシーと愛犬のトートーは、ヘンリーおじさんやエムおばさんと幸せに暮らしていました。
 ある日、ドロシーとトートーは家ごと巨大な竜巻に運ばれて不思議な世界に到着します。そこは四方を広大な砂漠に囲まれた不思議なオズの国。東西南北を魔女が治め、全体をオズという偉大な魔法使いが支配しているという世界だったのです。
 ドロシーは魔法使いのオズに頼んでカンザスに帰る方法を考えてもらうことにしました。オズの住むエメラルドの都まではとても遠く道中はとても危険なのですが黄色いレンガでできた道が続いています。そこを歩いて行けば必ずエメラルドの都に到着できるというのです。
 ドロシーは途中、ワラでできているために脳みそが無いことを嘆く案山子(かかし)と、人を愛する心を求めているブリキのきこり(元は本当の人間、魔女に傷つけられたがブリキ屋に助けられた)、獣の王者にふさわしい勇気に憧れている臆病なライオンと道連れになります。
 このやさしい仲間たちといろいろな冒険の後、ドロシーたちはオズに接見することができ、それぞれが念願かなってめでたし、めでたし。ドロシーも魔法の靴のおかげで無事にカンザスのおじさんやおばさんのところに帰ることができたという物語です。

 登場人物の友情や、困難にくじけない強さ、巧みなユーモア、荒唐無稽の冒険、これらのおもしろさは原作に当たっていただくしかありません。

 この不思議で愉快な物語がなぜアメリカの国民的人気を保っているのでしょう。それは物語の純粋なおもしろさの中に、数々の教訓めいたものを秘めているからだと思うのです。しかも教訓が決して表に顔を出すことなく、話の中に夢中で入って行けると同時に
 「うーむ」
あるいは
 「ニヤリ」
と考えさせられるところもあるのです。

 子どものころはただひたすら夢中になってハラハラドキドキ読んでいたのですが、成長するにしたがって裏の意味を読み取ることができるようになりました。
 教訓がイソップ物語のようにあからさまでは、童話というより寓話になってしまい子どもたちの人気は得られません。そっぽを向くでしょう。もちろん大人だって好きにはなれないはずです。さりげなく、実にさりげなく考えさせられるところにこの話の妙味があるのです。
 その寓意を読み取れるようになることで自らの成長振りを確認できると言い換えてもいいでしょう。それくらい懐の深い物語と称賛して過言ではありません。

 実はオズはいんちきで嘘つきの魔法使いでした。
 もとはサーカスの腹話術使いで、軽気球が風に流されてこの国に漂着したのですが、空から来たオズを見て、土地の人が魔法使いと勝手に勘違いしていたのでした。これは案外思い込みや本質とは違う部分で物事を評価しがちという私たちに対する厳しい皮肉と取れますね。

 そのペテン師のオズがドロシーたちに言います。

案山子 「わしにのうみそをくれることはできないのか」
オズ 「そんなものは、じつは、いらないのだよ。あんたは、まいにち、なにかしらおぼえていくのだ。(一部略)じっさいにいろんなことに出あったり、やってみたりして、はじめてものをおぼえるのだよ(一部略)」
オズ 「のうみそをつめてあげよう(実はおがくずと針)。でも、その使いかたは教えられないよ。それはあんたがじぶんで見つけなくちゃいけないのだ」

ライオン 「おれの勇気はどうなるのだ」
オズ 「だれだって、きけんに出あったら、こわくなるんだ。ほんとうの勇気というものは、こわくても、きけんからにげださないことなんだよ。そういう勇気なら、おまえさんは、もうふんだんにもっているんだよ」

きこり 「わしの心はどうしてくれるんだね」
オズ 「心のせいでたいていの人たちは、ふしあわせになっているんだよ。あんたにそれがわかりさえすれば、心なんかなくても、じつは、しあわせなんだよ」
きこり 「わしにいわせてもらえば、心さえもらえたら、どんなかなしいことだって、ぐちひとつこぼさずにしんぼうしてみせるよ」

 オズはペテン師らしく最後まで魔法使いを演じるのでした。あっぱれと言うべきでしょう。
 このやりとりに作者が少年少女に伝えたいことが網羅されているようです。

 そして全編を貫くテーマがオズの住むエメラルドの都へ通じる黄色いレンガでできた道の存在。こうしたいという目的(志)を立てたら、それに向かって歩き続ける。
これを意志と言います。この黄色いレンガの道はその意志を象徴しているのです。わたしが所属結社誌に書いたのも実にこのことに関してでした。

 さまざまな問題を抱えていながら、開拓精神で難問に向かって行くというのがアメリカ合衆国という大国です。あの国の人は常に黄色いレンガの道を模索しているのではないでしょうか。
 アメリカを批判しながらも追随する国が多いのは、大国の武力的側面だけでなく、目の前の問題を先送りすることなく、失敗しながらもあれこれと実験して行くという実証(案山子の知恵)と行動力(ライオンの勇気)、それを支える博愛(ブリキのきこりの心)の導き出した結論に他の国も敬意を表さずにはおれない部分があるからではないでしょうか。 長い歴史と伝統を持たないという身軽さゆえに、何事も実験しながら乗り越えてきているのがアメリカという国のような気がします。
 案山子やブリキのきこりやライオン、あるいは黄色いブロックの道はそれらを象徴していると思うのです。

 もちろん物語を読むときはこうした解釈は全く無用のもので、物語に入り込んで作中人物と一緒になって喜んだり悲しんだり怒ったりするのが一等楽しい読み方であることは間違いありません。

 この年になっても時々口をついて出てくるおかしな文句があります。
 「エッペ、ペッペ、カッケ」
 「ヒルロ、ヘルロ、ホルロ」
 「ジッジ、ザッジ、ジック」
これは作中でドロシーが翼のはえた猿を呼び出すときの呪文です。
 子どもの頃に覚えたものはどうしようもない役立たずのものまでしっかり脳に刻み込まれています。
 こんなくだらないことの代わりに英単語のひとつも覚えておけば、人生も変わっていたのになぁ・・・と、ふと、思ったりもするのですが、それがよかったかどうかは大魔法使いオズにしか分からないことでしょうね。

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