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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No78「デュオ服部リサイタル」

三島治療室便り'96,6,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://member.nifty.ne.jp/hmishima/

 


《游々雑感》
デュオ服部リサイタル

 六月十一日、名古屋伏見のザ・コンサートホールで服部夫妻によるリサイタルがありました。この通信では四・五年前にこの二人について書いたことがあります。

 このデュオはサクソフォン服部吉之、ピアノ服部真理子の二人による演奏で(デュオは一般に言うデュエットつまり二重奏の意味)、活動を始めてからすでに十五年以上になります。

 サクソフォンは一般にサックスと呼ばれて親しまれている楽器です。
 昔はブルーコメッツ、ちょっと前ならチェッカーズが吹いていた縦長の首の曲がった楽器。
 あるいはサックスと聞くとソニー・ロリンズやナベサダに代表されるジャズを想像されるかたも多いでしょう。
 フュージョンという新しいジャンルではマルタという演奏家が有名です。彼は服部氏の芸大の先輩にあたるそうです。
 石原裕次郎などのムード歌謡曲ではむせび泣くように吹かれていましたから、そちらの音色が印象的だと思いますが、服部氏のサックスはクラシック音楽ですから同じ楽器が奏でているとは信じられない音色のとても丸く艶やかな美しいものです。

 音量が豊かで、歯切れもよく、演奏者の気持ちを素直に表現できる楽器としていろいろなジャンルの音楽家に使用され、素人演奏家にも人気が高いのですが、クラシックのオーケストラの中では、その個性が強すぎるため、目立ち過ぎるきらいがあるようであまり使用されません。

 この楽器、意外に誕生は新しく、およそ百年前に完成されたと言いますから、ベートーベンもモーツァルトもこの楽器の存在を知りません。クラシック音楽でも新しい曲以外には出番がない楽器です。
 ですから演奏家はチェロやビオラなどの曲を編曲してサックスで発表しているのです。
 名古屋在住のサクソフォニスト(サックス奏者)の三日月孝氏はこの楽器を称して「サイボーグ」と言われます。楽器はほとんどが、古来自然の中から生み出され、年代を経るにしたがって複雑で高度なものになったのですが、サックスは明らかに新しい楽器を作ろうと意図して作られたものだからサイボーグなのでしょうね。発明者は
ベルギー人のアドルフ・サックス(1814~1894)です。

 しかしその音量と音色、表現力の豊かさに、現代の作曲家は魅了されさまざまな音楽を提供していますし、先ほど述べたように、クラシック、ジャス、フュージョン、ロック、歌謡曲、ポップスなどあらゆるジャンルで愛用されている人気のある楽器なのです。
 社会人になってちょっと練習してみようかと言う人も結構多いらしいのですが、その音量に練習場所を選びます。

 服部吉之氏はわたしの高校の同級生ですから、この日は当時の同級生が数名集まって、演奏後、居酒屋で当時を偲んで盛り上がりました。まあ、服部氏を肴に悪童が集合したといっても間違いではないでしょう。どいつもこいつもわたしを含めて、音楽には疎い連中ばかりですから。

 さて、二人の略歴を当日のプログラムから紹介しましょう。

服部吉之 Sax
 1953年名古屋生まれ。県立熱田高校を経て76年東京芸術大学音楽学部卒業。サクソフォンを坂口新、秦賢吾の両氏に師事。79年同大学院卒業と同時に渡仏。パリ市立音楽院にてジャックテリー氏に師事。同年審査員全員一致の一等賞で卒業。(中略)74年以来キャトルロゾーアンサンブルに参加。76年、80年民音コンクール室内楽部門入。現在、北鎌倉女子学園、洗足学園大学講師、東京コンセルヴァトアール尚美講師。
独奏等を中心に全国各地演奏活動を行っている。
(2011年現在、洗足学園大学の教授をされています)

 ため息のでるような経歴ですね。友人ながら格好いいものです。高校時代の彼奴が一体どうしちゃったのだろうと思うほどの活躍ぶりです。高校生の時から彼は何かと目立ってはいました。体が大きい。坊主頭。態度がでかい。行動が粗野・・・褒(ほ)めることもあります。授業熱心で、いつも隣のクラスの授業を受けていました。
 授業中騒いでいて、しかも宿題をやってこなくてしょちゅう先生に叱られていました。

先生「服部。おまえは一体何しに学校へ来ているのだ」
服部「はい!もちろんブラスバンドのために来てます」
先生「・・・・」
 そう、彼はなによりサックスが好きで、授業前、昼休み、放課後のクラブ、帰宅後の個人レッスン。本当にサックスの練習をしていました。
 わたしたちが遊んだり、ボーリング場にいったり、パチンコをしたりしているときも、彼はサックスを吹いていたのです。

 服部氏はサックスを吹くときと、それ以外では人格に著しい差異があって、当夜のリサイタルでも同窓生の間で次のような会話が交わされました。

酒店経営A氏
  「服部の奴、こんな難しい曲ばかり演奏して会場に分かる客がいるのかいな」
刑事T氏
  「昔のあいつを思えば、多分、服部が一番分かっとらんぞ」
洋服店経営S氏
  「本当にどこでどう間違ってこうなったんだろう」
治療室経営M氏
  「そうだ。そうだ」
(A氏は元サッカー選手、今ならJリーグ級。T氏はこわもての刑事で100キロ超級の巨漢。S氏は元柔道部で90キロ超級の秀才。M氏も元柔道部、50キロ級の小心者)

 むろんこれは昔なじみゆえの愛すべき冗談で、彼のますますの精進ぶりが確認できて、印象深いリサイタルの夜となりました。
 すでに一家をなし、多くの俊英を音楽界に送り込んで尊敬を集めている服部氏の高校時代の素行をここであげつらうのは野暮というものでしょう。それにそんな事を書き出したら三カ月はかかってしまいます。

服部真理子 Piano
 ピアノを辛島輝治、吉田よし両氏に師事し、東京芸術大学付属高校を経て、79年同大学を卒業する。同年渡仏。ムニエ女史に師事。81年エピナル国際コンクール4位入賞。「こんにゃく座」をはじめとする数多くの舞台ピアノを手がける。また来日管楽器奏者の伴奏をたびたび行い、高い評価を得る。現在、東京コンセルヴァトアール尚
美ディプロマコース講師。ソロ、室内楽の分野で活躍している。

 この手の紹介文では女性の年齢は秘められていますから、卒業年度から逆算して知るほかありません。それはさておき、彼女はとても美しい方です。約十年前初めてお会いした時は、輝くような美しさでしたが、今はそれにしっとりとした落ち着きが加わって、女性の魅力全開というところです。
 何でも音楽通に言わせますと、東京芸大に入るより東京芸大付属高校に入る方が難しいそうです。しかももっとも厳しいピアノで・・・と感嘆しておりました。
 彼女は三才の頃からピアノを始められたそうですが、その素質を認めた先生の助言により、幼稚園に行かずピアノに向かっていたらしいのです。先天的な才があったのですね。そしてなによりピアノが好きなのでしょう。

 真理子さんの演奏は音色の透明感とテンポの正確さ、節度ある表現力から管楽器の伴奏者としての評価がとても高いと聞きます。フランスのフルモーという国際的に知られたサックス奏者なども来日演奏には彼女を指名することが多く、わたしも一度フルモー氏と喫茶店で同席させてもらいましたが、この国際的なフランス紳士と服部夫
妻がなんら遜色無く歓談しているのを見て、大したものと感嘆したものです。

 服部氏を今日このように立派な演奏家、指導者として成功させた秘訣の一つが彼女との結婚に違いありません。確か二人は結婚してから渡仏したと聞いていましたが、二人三脚で今日まで努力してきた陰には大変な苦労があったと思います。しかし今のデュオ服部を見ていると仲の良い、支え合い、励まし合い、競争し合いという理想的な夫婦像が見て取れます(競争とはおかしいと思われるかもしれませんが、曲によっては、互いが争うような緊張感を伝えてくるのです)。

 当夜の曲目は難しいものを前半に、親しみやすいものを後半に置いてありました。
 よく分かりませんが紹介しましょう。

パウル・ヒンデミット
 アルトサクソフォンとピアノのためのソナタ
飯島俊成
 消し忘れた夢の破片[委嘱作品・初演]
ジンドリッヒ・フエルド
 アルトサクソフォンとピアノのためのソナタ
J.S.バッハ
 ヴィオラ・ダ・ガンバ ソナタ 3番
C.サン・サーンス
 バスーンのためのソナタ 作品168
アンコール
サン・サーンス「白鳥」、一曲忘失、ハンガリー舞曲「チャルダシュ」

 最後の曲はチャールダッシュともチャランダッシュとも呼ばれる有名な曲で彼らの十八番です。服部氏の初期の弟子で名古屋で頑張っているサクソフォニスト岡田知奈美さんがこの曲を称して
「これを聞かなきゃ帰れないという感じ」
と言っていました。服部夫妻のCDにも入っています。

 東京の大学を出た後、家業の酒屋を継いでいるA氏は、四年ぶりに聞いた演奏について、次のような印象を述べました。

 「四年前は、聴衆に対して突っ張るような感じだったけど、今日の演奏は曲目のせいかも知れないが聴衆と一緒に楽しもうという気持ちが伝わってきてよかったよ」

 わたしも全く同感でした。曲目も確かに影響あったようです。前回より今回の方が後半の曲の親しみ安さが違います。しかし、この選曲そのものに彼らが聴衆と楽しもうという気持ちが表れてはいないでしょうか。
 もっともくだんのA氏、演奏中半分以上はロビーでタバコを吸っていたのに、よくあんなコメントができたものです。

《後記》

 六月八・九日(土日)、京都と滋賀の境、琵琶湖のほとりの比叡山に出掛けました。

所属している藍生俳句会の第三回の全国の集いがあったのです。第一回は長島温泉と桑名、第二回が茨城の筑波、そして今年が比叡山と、歴史の重みを感じさせる場所が選ばれていることが分かります。来年は四国高松で予定されているそうです。

 ちょうど比叡山に出掛けた日がこの辺りの梅雨入りとなり、樹齢一千年はあろうかという巨大な杉が濃い霧の中で枝を広げた様は壮観でした。
 集いは主宰の黒田杏子先生の俳人協会賞受賞のお祝いを兼ねたものとなり、お忙しい中瀬戸内寂聴先生や比叡山の大僧正という偉いお坊さんまで参加してくださいました。 大僧正さんのお話しでは、比叡山は晴れた日の眺望も素晴らしいが、霧こそが最大の見物である。皆さんは幸運ですと場内をわかせましたが、俗人は、もし晴れていたら、別の挨拶になったのではと勘ぐってしまいます。もちろん、霧は素晴らしいし、願っても思い通りにならない天候なら、その時の天候を思いっきり楽しみましょうというのが大僧正の真意とねぎらいの気持ちだと受け取りました。

 梅雨は洗濯物が乾かないし、どこに行くにも傘がいります。食中毒も発生しやすいし、体調もおかしい。でも、梅雨は雨の貯蓄時。アジサイのカタツムリや、梅雨の晴れ間の月なども風情があります。気持ちを切り替えて過ごしましょう。
(游)

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