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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No75「江戸再考」

三島治療室便り'96,3,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://member.nifty.ne.jp/hmishima/

 

≪游々雑感≫

江戸再考

 毎月、社団法人 出版梓会というところから「出版ダイジェスト」という新刊案内紙が送られてきます。四つの出版社による共同発行のようです。
 「出版ダイジェスト」と大きく書かれた下に「毎月3回発行、購読料1ケ年送料とも1545円」などとあります。しかし実際のところ購読料は一回も払ったことはありません。

 先方でも出版紹介のための広報紙ですから、あわよくば新刊を買ってもらおうと無料で送ってくださるのでしょう。けれども内容は実に立派なもので、新聞や雑誌の書評に匹敵するものだと思います。

 宣伝広報を目的とした新聞ですから一般紙の書評のような厳しい批評などはありませんが、発行元の出版社がそれぞれ中堅ながら極めてまじめな本造りをしていることで知られているところですから、紹介されている本もすばらしいものが多いのです。
しかも各社ともに個性的。

 出版社を紹介しますと晶文社・草思社・農山漁村文化協会(農文協)・ミネルヴァ書房です。

 晶文社からは「『在外』日本人(柳原和子)」という優れたルポが出ています。これに関してはいつかこの《游氣風信》で紹介しました。

 草思社の「間違いだらけの自動車選び(徳大寺有恒)」は辛口の自動車評論と同時に日本文化批評でもある点が高く評価されて毎年度版がベストセラーに顔を連ねます。
自動車好きの男性なら一度は手に取られたのではないでしょうか。その他、「ツルはなぜ一本足で眠るのか」とか科学評論家として知られた故草下英明氏の「鉱物採集フィールド・ガイド」などがわたしの本箱に眠っています。

 雑誌「現代農業」の出版や安藤昌益の研究書で知られる農文協は、健康法の紹介にも力を入れていますが、出版社の名称から推察するに、本来は農村・山村・漁村の文化交流や発展を目指したものなのでしょう。

 宮沢賢治研究家として知られる俳優の内田朝雄さんの「私の宮沢賢治」「続・私の宮沢賢治」などの本も人間選書というシリーズとして出版していますし、健康関係ではベストセラー「冷えとり健康法(進藤義晴)」があります。この作者は元小牧市民病院の副院長で温顔の名医です。その他、故橋本敬三先生考案の「操体法」という一
世を風靡した健康法を最初に世に出したのもここです。これらは健康双書。

 意味がよく分からないのがミネルヴァ書房。学術書で知られ、学生時代何冊かのテキストはこの出版社のものだったと記憶しています。辞書によればミネルヴァとはローマやギリシャ神話に出てくる最高の女神で学問・技芸・知恵・戦争をつかさどるとされているそうです。哲学や歴史、法律の本を主に出している会社。

 さて、前置きが長くなりました。その「出版ダイジェスト」の先月号を眺めていましたら、おもしろい記事が目に飛び込んで来ましたので早速ワープロに打ち込んでおきました。紹介しましょう。

  増刊現代農業(農文協刊)編集後記にみると、「少し長い目で見ると、二十世紀 は階級(生産力と生産の関係)の時代だった。そして二十一世紀は環境(人間と自 然の関係)の時代だ・・といえないでしょうか。ものの面でもこころの面でも、人 類史はそうした意味で新しい段階に入ったとわたしたちは考えています。そのよう に考えると、日本の江戸時代のもつ意味がきわめて明瞭かつ重要になってきます」
 とある。

  これに応えるかのように、「鎖国再考」を提唱して注目されている経済史家・川 勝平太氏(早大教授)は巻頭論文で、「地球は限りある《鎖国》世界であり、人類 は『限りある世界の中での生活世界を、近世江戸社会に一度経験した』といい、  『江戸社会を世界大の視点で見直す』時代に入った」という認識を示している。

 江戸時代とは、徳川幕府による治世二六〇年間のことであることはよく知られてい
ますね。正確を期すために辞書に当たってみますと一六〇三年、徳川家康が江戸に幕
府を開き、一八六七年、徳川慶喜が大政奉還をして一八六八年、明治の新国家体制に
なるまでの間をいいます。

 わたしの江戸時代に対する認識は徳川安定政権の維持のために自由を規制し、当時忍び寄って来た西洋から国勢を守ることを目的に国を閉ざした時代。それゆえに結果として世界史上例のない長期の平和が保たれ、閉ざされた中で独自の文化が花開き、豊かさの結果「読み書き算盤」という教育が国民のすみずみまで行き届き、オランダ一国に絞った流通から国力を蓄えることができた反面、西洋の近代文明からは遠く遅れ、閉ざされた社会ゆえの閉鎖的な思考や独特の差別意識が固定してしまった毀誉褒貶相半ばする時代。そんなところでしょうか。

 そんな折り、別の本を読んでいましたら、先の論評を補足するような江戸時代観が述べられていました。著者は高岡英夫という方で元東大講師、現在は在野で「運動科学研究所」を開設し、執筆・講演・指導などの活動を幅広く行われている方です。わたしは氏の書かれた本、十数冊を全部読んでいますが、その守備範囲と深さ、精密さにはただ舌を巻くのみと白状します。

 今回読んだ本は講談社刊の「意識のかたち」という本。そこには次のように江戸に触れてあります。ただし、文体は飲み屋で古き友人達との会話形式になっていますから、随分軽い感じがしますが、内容はすばらしいものです。

  江戸時代か・・・環境問題・資源問題という観点で見ると、江戸時代というのは 極めて素晴らしい社会だったそうだな。自然に調和し、自然的な生産力を最大限有 効に活かす、例えばリサイクルのシステムなどは、大変に見事なものだったらしい。
 
  世界的に見ても最大級の都市であったにもかかわらず、江戸というのはゴミ一つ ない、世界で最も美しく、清潔な都市だった。同じ時代のロンドン、パリなど、今 日からは想像出来ないほど、ゴミと汚物にまみれた不衛生な都市だった。
  ヨーロッパ社会の疫病の流行はこうした都市環境にも、大いに関係しているわけ だ。この点だけを取り上げてみても、江戸時代が余程優れた人々の能力で支えられ ていたことは、想像にかたくないな。

  環境・資源・衛生問題と文化・学術と個人の身体運動能力とが、見事な調和をな していたのではないかな。例えば歌舞伎の美しさや浮世絵の芸術性は、ゴミと汚物 にまみれた街を平気で歩くよう個人を成員とする社会からは、生まれ得なかった のではないかな。

 こうして、偶然、江戸を見直す二つの文章に出会い、これは少し江戸時代の勉強をしければいけないなと、書店でそれらしき本を探しましたら、講談社現代新書が「新書・江戸時代」というシリーズで五冊出していました。早速全巻購入して駆け足で読んでいるところです。
 各巻の表紙のキャッチコピーと表紙裏に要約してある文章を紹介しましょう。それだけでも十分江戸をいう時代に対するイメージが変わると思われます。

  新書・江戸時代全五巻・・江戸時代暗黒史観を排し、政治・身分・農業・情報・ 流通の五つの切り口から、新しい江戸時代を立体的に描く。

 纊将軍と側用人の政治「大石慎三郎」
  社会の経済化が進んだ江戸中期の百年間。激動の時代の舵取りをした柳沢吉保、間部詮房、田沼意次らの軌跡を追い、これまで不当に貶められてきた「側用人の時代」に光を当てる。

  これまで「側用人」というと、必ずしもいい意味では語られたこなかった。むしろ「君側の奸」といった悪いイメージがつきまといがちだったのではないだろうか。
 しかし、私は、この「側用人政治」こそが、二百七十年近くにわたる徳川体制の維持を可能にし、さらに日本の「近代」を用意したものではなかったかと考えている。
 江戸時代を通じて、この制度が悪用されることはなかったし、無能な側用人がいたずらに政治を混乱させるということもなかった。

 褜身分差別社会の真実「斎藤洋一+大石慎三郎」
  身分とは何か?誰が差別されたのか?非差別民の起源は?身分制度の矛盾を追求し、江戸の社会構造を捉え直す。

  (三島注・・この項目には特殊な歴史的用語が使用されています。学術書ではなく治療院便りである≪游氣風信≫にはなじまないので割愛します)

 鍈貧農史観を見直す「佐藤常雄+大石慎三郎」
  むしろ旗を立てて一揆を繰り返す“貧しき農民たち”は事実か?年貢率、生産力のデータを検証し、江戸期の「農民貧窮史観」を覆す。

  江戸時代における在来農法の生産力水準は、近代農法と比べても決して見劣りしているわけではなく、一定の生産力を確保していたのである。むしろ、飢饉問題の本質は、幕藩領主の支配領域が錯綜していたことにある。つまり幕藩領主の農民救済策や藩外への穀物の移出を禁じた津留などの制度上の側面、農作物の流通のあり方に求められるのである。

 銈鎖国・ゆるやかな情報革命「市村佑一+大石慎三郎」 「鎖国によって日本の文明化は遅れた」ことが定説となっているが、事実か?
  幕府は海外の情報を独占・管理し、それを的確に解析できるシステムを作った。
  江戸期の情報管理を再評価する。

  いわゆる「鎖国」以来、幕末まで二百数十年の江戸時代は、これまで、世界の情報から取り残された時代という観点から、とにかくネガティブにとらえられることが多かった。江戸時代においては、それまで未知の国であった「ヨーロッパ」に関する海外の情報を的確にとらえ、同時に今日の情報化社会へのインフラストラクチャ
 ー(社会的基盤)が、徐々に形成されつつあったように思われる。「鎖国」は、いわば日本が情報の「発信」を停止した時代であり、海外からの情報を丹念に「受信」していた時代である。

 蓜流通列島の誕生「林玲子+大石慎三郎」
  庶民層の需要が高まるにつれ、江戸期二百七十年の間に流通網は発展し、政治の世界をも動かした。江戸期の商品流通を分析。

  荘園制の社会では貴族・寺社の生活物質が強制的に年貢として徴発されたのであるが、米・貨幣を庶民層からとりあげ、領主層が家禄として分配するため、年貢米をほとんど貨幣に変えなければならなかった江戸時代は領主層も流通に関心をもつ必要があった。なお、庶民層は農民・町民すべてが自ら働き、諸物資の生産・流通

 を行ったのであって、そこでは階級間の差はあれ、横のつながりが重視されたのである。その意味で、社会の大多数を占めた庶民層の需要にもとづく流通は、二百七十年ほどの江戸時代の間に大きく変化し、武士が握っている政治の世界をゆり動かす力にもなっていったと思われる。

 今回の学習で、鎖国のもつ意外な意義や庶民の総力により発展した流通の発展。武士層の命令をタテマエで受け止めホンネで受け流した町民・農民の知恵。米より儲かる名産品の生産に力を入れた農民層のしたたかさ。経済立て直しのために置かれた側用人の家格が低かった、すなわち身分制度を柔軟に横断できたという事実など、今までの江戸認識とは別の見方が得られて有益でした。

 また今日まで尾を引いている旧弊な習俗が江戸の名残であることも確認できました。しかも、今なお歴史的人物の評価において皇国史観的影響が強いことにも気づくことができたのです。
 なお、全巻共に興味深く読み進むことができましたが、第二巻の「身分差別社会の真実」のみは暗澹たる読後感でした。多くの人に読んでいただきたいと切望します。
 ぼけっとその日暮らしをしないで、たまにはこうしたまとまった勉強をするものだと反省しきり。

 それにしても、類型化されたテレビの時代劇がわたしたちに与えている江戸時代に対する悪印象には侮りがたいものがあります。
 「今も当時も本質的にはほとんど変わっていないんだな、日本人は」という実感と同時に、どうも今の日本は江戸時代の良いところを捨ててしまい、嫌な部分ばかり残ってしまったような気もします。

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