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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No72「出会いの深さ(追悼島田和江さん)」

三島治療室便り'95,12,1

《游々雑感》

出会いの深さ

 今年九月八日朝、一人の女性が六三才でこの世を去りました。
 この方は昨年春、胃ガンの手術を受け、今年夏、再発。一カ月の厳しい闘病の末、 亡くなられたのです。
 わたしはこの方の娘さんとの縁で、名古屋市立大学病院入院中の患者さんの手技治 療に数回訪問しました。その時の手技治療の効果は、残念ながら治癒へ向けてではあ りませんでしたが、結果として患者さんの終末医療に大きく貢献できました。それは 主として精神的な支えとしてです。

 基本的な手当(薬物による苦痛緩和、尿の管理、栄養補給の点滴など)は病院で医 師の管理下、看護婦さんが献身的にされていました。当然のことです。
 わたしは一日置きに訪問して約一時間、全身の静かな指圧を行ったのです。東洋医 学で免疫力を高めるとされるツボ刺激や、寝たままの窮屈な体を伸びやかにストレッ チを加味して。
 少なくともその間、患者さんの心身の苦痛は非常に緩和され、意識のしっかりされ ていた間はわたしの訪問を心待ちされていたようです。

 優れたフリーランス(特定の組織に所属していないこと)の編集者でもある娘さん はお母さんの思い出や闘病の様子を本として残したいと考えられ、わたしにも原稿を 依頼されました。
 今月号に掲載する文章はその本のために書いたものを、娘さんの許可を得てこの《游 氣風信》の読者にお見せするものです。その際、名を伏せてという申し出に対し、娘 の中村設子さんは 「自分たちのつらかった体験や母のことを多くの人に知ってもらいたいし、すべて事 実のことですから実名で結構です」 とおっしゃいました。
 そのご厚意に甘えて、全文を紹介します。

出会いの深さ

 人にはさまざまな出会いがある。
 出会いが新しい出会いを生み、周囲を巻き込みながら渦巻いていく。
 人の世を生きるとはこうした出会いを綾なしていくことなのだろう。
 出会いの中で、人は人間として育てられるのだ。

 「お母さん、背中をマッサージしますから、力を抜いて楽にしてください」
 島田和江さんは衰弱した体をベッドに横たえ、あちこちにチューブを通した、いわ ゆるスパゲッティ状態であった。しかし彼女はそんな極限状態にもかかわらず、わた しがマッサージしやすいようにからだを起こそうと力を振り絞っているのだ。

 ふたたび声をかけた。
 「頑張らなくていいから、楽にしてくださいね」
するとベッドの脇の手摺りを持つ痩せた手がほっとしたように緩んだ。
 数十分に及ぶマッサージの間、幾度となくこうしたやり取りを繰り返した。亡くな る数日前のことだったろうか。

 島田和江さんは当時、がん末期の腸閉塞のために昼夜あえぎの中にいた。
 嘔吐の苦しみ。
 排尿困難からの腹水。
 悪液質というがん特有の衰弱。
 それでもなお、島田さんはわたしのためにマッサージしやすい姿勢を作ろうとして いる。わたしは彼女をマッサージしながらその行為に感嘆を禁ずるわけにはいかなかっ た。
 さらには彼女の懸命な行為から、人間の最期のこと、同時にその生きて来し方を問 わずにはおれなかった。
 なぜなら、島田さんは言語を絶する困窮状態にあったにも関わらず、治療を受ける 間、他人への心遣いを絶え間無く示された。彼女の頑張りや他人への思いやりは一朝 一夕で身に着くものではない。おそらくそれは彼女の生涯を通じて育まれた信条では なかったかと考えたからである。
 他者への思いがこんな極限にあっても自ずから出てくるというのは驚異的なことだ ろう。何回か病室に伺いながらいつも島田さんの言動に強い感動をもって退室したの だ。

 わたしと島田和江さんの関わりは本当に短い。正味一カ月ほどである。実際にお会 いしたのはかっきり十日でしかない。しかもその間、会話らしい会話はほとんどない。
当然である。彼女はずっと闘病の中におられたのだから。
 意識が半ば遠のき、脳の中には苦しさ以外の情報が届かないのではないかと思われ る彼女に対してわたしのできること、それは、祈りに近い思いを込めたマッサージだ けであった。掌を通して彼女にひとときの安らぎを与えられたらとそれだけを願った のである。
 彼女とわたしの関わりはそれが全てであった。

 あれは入院される前、七月二十九日だった。 娘の設子さんに伴われてわたしの治 療室を訪れた島田さんはまだしっかりした足取りであった。前年の春、胃がんの手術 をされて多少痩せられたにもかかわらず・・・。
 その時点ではそれから一月半足らずで亡くなるとは誰にも想像しえなかっただろう。
その日の彼女はそれほどしっかりしておられた。
 初対面の印象はいまだに明瞭に記憶している。
 穏やかな人当たりの中にも、どこか自らを厳しく律するような物腰。
 物おじしない姿勢の良さ。
 表情や言葉遣いの端々にみられる気品。
 それらは娘さんと共通していながらそれ以上にやさしく練られていた。

 それから二十日ほどして、急に病状が悪化し、W病院に入られた時は、もはや重大 な状況にあることは一目で見て取れた。
 その後、大学病院に移られた島田さんの自然治癒を高めるための手技治療を主治医 承認の上で引き受けたわたしは、背中に設子さんのお母さんの再起を願う切実な眼差 しを感じながら病室に通うことになる。
 同時に病気の妻を支えつつ自分自身を賢明に励まそうとしておられる島田さんのご 主人の寡黙で温和な表情を通じて、長年の夫婦の有り様に思いを巡らせもした。

 日に日に衰えていく母を決して諦めることなく情熱的に看病し、あらゆる手立てを 講じようとしいる娘と、妻を失う現実を必死で耐えながらも許容しようとしている夫。

 こうした人達に見守られての厳しい闘病は結果としては残念な結末を迎えた。
 しかしただ一日だけ、まるで神様からのご褒美のように、すっかり衰弱し、意識す ら無くしたと思われた島田さんが奇跡的に盛り返した日があった。九月五日のことで ある。
 彼女は看病の人たちに、
「もしや」
という期待を持たせるに十分な元気さで反応した。
 胃の中に滞留していたものの排出がうまくいったのだろうか。利尿剤も効いたに違 いない。それに加えて痛み止めも意識を阻害することなく奏功したのだろう。あるい は彼女の精根振り絞った頑張り。それら全てがうまく作用したのだ。まさに僥倖のよ うな一日だった。
 顔の表情は撥刺として、周囲の人達と会話もできた。
 マッサージの時も姿勢の移動をてきぱきこなし、足の運動や手の運動を自分から積 極的に行い、看護の人達を喜ばせたのである。
 けれどもそれは丁度、ロウソクが燃え尽きる前の一瞬のほのめきであったのであろ う。わたしはそのあまりの元気すぎる行動にかえって最期の時の近いことを直感せず にはいられなかった。
 二十一年前、鬼籍へ送った父のときもそうであったからだ。

 二十一年前、わたしが二十才、父が四十七才であった。あと半年と宣告された月日 が残り少なくなった頃、父は奈良に住む妹のお土産のブドウをおいしそうに食べ、上 機嫌で話をしていた。
 帰り道、父の妹はわたしに
「このぶんなら、兄さん、まだまだ大丈夫ね」
と言ってわたしを励ましながら別れた。
 その夜、父は急に昏睡状態となり、ついに目覚めることなく、田舎の両親の到着を 待つように亡くなったのだ。次の日のことだ。
 わたしは島田和江さんの元気さに、ふと、それを思い出さざるを得なかった。

 島田さんの衰弱が目に見えて厳しさを増してきたある日、わたしは階下まで見送り に来てくれた設子さんの肩を別れ際にぽんと叩きながら、こう胸の中でつぶやいた。

「もう、覚悟したほうがいいよ」
しかし、ついに声には出せなかった。
 その段階で設子さんに母を諦める気持ちが微塵も感じられなかったからだ。設子さ んの中には、まだまだ母の生を心底信じ切っている、何とか良くしたいという信念が 燃え盛っていることを強く感じたからだ。その母に寄せる思いに他人が口を出せよう か。

 母を見送るのは順番だからいいのだという意見がある。
 それは対象を突き放して見たときには一理ある。真理と言っても良いだろう。しか し、真理かならずしも人を救うことはない。
 見送る人と見送られる人とが二人で築き上げてきた歴史に誰が口を挟めようか。一 般論は空しいだけだ。こんな時他人はただ見守るだけである。
 その点、設子さんのご主人の態度は看護から葬儀まで一貫して実に見事であった。

 まだこの掌に彼女がこの世に生きてあった肉体の感覚がしっかりと残っている。背 筋を正して、正面を向いて生き抜いたであろうひとりの女性の温もりが。
 昭和の日本という激動に翻弄されながら、すばらしい子供たちを育み、家庭を築き、 周りから慕われ、頼りにされ、愛されて六十三歳で逝ったひとりの女性に対してわた しができること、それは彼女との出会いをわたしのこれからの人生の礎にさせていた だくことだ。
 これが亡くなるわずか一カ月前に知り合い、闘病に付き合い、生死のはざまの厳し さを教えてくださった島田さんとの出会いに報い、その出会いの意味を深める唯一の 方法だと信じている。
 わたしにできる供養はそれしかない。

 島田和江さんの背筋正しく生きる姿勢は娘の設子さんにしっかりと受け継がれてい る。 これこそ、彼女の生きた証に違いないだろう。
 これから設子さんが和江さんの命を引き継ぐ。
 肉体の命だけでなく魂の命をもだ。
 この追悼本は彼女がこれから生きていく決意と証にほかならない。



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