« 游氣風信 No105「今こそ賢治とともに」 | トップページ | 游氣風信 No107「指圧と漢字」 »

2011年6月22日 (水)

游氣風信 No106「朋あり、遠方より来る」

三島治療室便り'98,10,1

《游々雑感》

朋あり、遠方より来る


 高校の教室です。
 「満州の夕日は大きいぞ。こんなのが地平線に沈んでいくんだ。見たことないだろう」
 地理の老教師は両手を一杯に広げて生徒達を見回しました。
 「こんなでっかい太陽、想像もできんだろう」
 相変わらず両手を広げたまま、得意げに教室を見回しています。
 「日の出もすごいぞ。こんなに大きいのが大地からばっと出てくるんだ」
 万歳するように両手を上げながら大声で「ばっと」言ったので女生徒がくすくす笑いました。

 笑いを取って得意になった老教師は
 「こんな太陽がばっばっと出てくるんだ」
 同じように繰り返すと、生徒達からはしつこさに対する失笑が漏れました。
 しかしギャグが受けたと勘違いした老教師は満足し、いつものごとく滔々(とうと
う)と満州の思い出やら漢籍の断片知識を繰り広げ、地理の授業はどこかに吹っ飛んでしまうのでした。

 毎回同じ思い出話なので生徒達は飽き飽きしていますが、老教師は実に楽しくてならないとばかりに戦争や中国の話を続けるのです。時に怒りや涙を見せながら・・・。

 「歸りなん、いざ、田園まさに蕪(あ)れんとす

 君らにはこの心境は分からんだろう。まだ若い兵隊だったわしは満州から遠く本土を思って涙したもんだ。空襲を受けたと聞いたからな」

 この漢語好きの愛すべき老教師。
 おそらく中国が大好きであったに違いありません。
 その憧憬の国と日本がついに戦争を始め、大好きな国を自らの軍靴で踏み散らそうとは思ってもいなかったことでしょう。
 しかも彼の地から焦土となった本土を

  田園まさに蕪れんとす

と遠望するほかなかった厳しい青春を過ごした人であったと知るなら、また、そこまでその老教師の心情を測ることができたならば同情を禁じ得えなかったことでしょう。


 しかし高校生の悪がきだった当時のわたし達にそんなことは望むべくもなく、
 「あ~あ、爺さん、また満州の夕焼け話だ」
 「しつけえなあ」
 「授業、ちょっとも進めへんがや」
とすっかり白けていたのでした。

 「昨日、戦友が何年振かで訪ねてきたんだ。

  朋(友)有り遠方より來る また樂しからずや

だな。分かるかこの気持ち、分からんだろうなあ」
 僧侶でもある老教師はお経を読むように漢文の有名な一説を朗しました。

 この一説は孔子のことばであることは知られています。つまり論語です。

學而
子曰
「學びて時にこれを習ふ。また説(よろこばしから)ずや。
 朋有り遠方より來る。また樂しからずや。
 人知らずして慍(うらま)ず。また君子ならずや」と。

 これら三つの文からなり、「朋有り」が一番詩的で知られています。
 最初の「学びて時にこれを習ふ」は学習の喜びを述べた言葉でこれも有名ですが、
「人知らず」は今一つ知られていません。まさに「人知らず」。
 この文は高校の漢文で習った記憶がありますから、今し方しまっておいた漢文の教科書を急いで引っ張り出して調べたものです。教科書は卒業と同時に全部捨ててしまいましたが、漢文だけは資料になると思って保存しておきました。

 ところが高校時代は大変不勉強だった生徒だったため、まともに授業を聞いておらず教科書に読み下し文さえ書き込んでありません。先程の読み下しでは間違っているかも知れません。わたしは漢文は苦手で珍紛漢紛(ちんぷんかんぷん)ですから。

 現代語訳(誤訳)すれば

 孔子先生が言われました「学んでおりにふれて習う。喜ばしいことではないか。
朋が遠くから訪ねてやって来る。楽しいことではないか。
人が自分を理解してくれなくとも恨まない。これこそが君子ではないか」と。

 最後の一節からは生涯を浪人で過ごさざるを得なかった孔子のひがみも多少感じられると書くと論語読みには叱られるでしょうか。

 ちなみに文中に出た
「歸りなん、いざ、田園まさに蕪(あ)れんとす」
は陶淵明の「歸去來辭(帰去来辞)」です。意にそぐわない官吏は辞して、故郷へ帰ろうという内容の詩。彼は故郷に隠棲して詩人として一派を立てました。これは余談です。

 「朋有り。遠方より来る」と述べた孔子は今からおよそ2500年前の人です。
 この頃の遠方とは今から思えばたいした距離ではないでしょう。けれども徒かせいぜい牛馬か船という交通手段しかない時代ですから数十キロ離れたらおいそれとは会いには行けません。

 一期一会という禅の言葉があります。茶道の根幹を示す理念でもあります。今のように交通機関が発達しなかった時代には
 「今日別れたらもはやあなたとは二度と会う機会はないだろう、これが今生の別れかもしれない」
という思いが常にあったに違いないでしょう。そんな時代において再会はいかほどの価値をもっていたか想像に難くありません。

 一刻の出会いの真摯な重み、時間を共に過ごす密度が今日とは較べものにならないほど濃かったに違いないはずです。

 現代はアメリカ大陸まで10時間ほどで到着してしまいますから距離に関しては遠方でもさほどの足かせにはなりません。もっともこれはここ数十年のことで、それ以前は孔子の時代も昭和前半もたいした違いはないようです。

 距離の問題は科学技術がほとんど駆逐してくれました。
 むしろ今は一人一人が忙しくてなかなか時間的制約から会うことができないのが実情でしょう。これは矛盾していますが科学技術が発達すればするほど地図上の距離は短くなりますが体感的な時間は少なくなってしまうようです。
 今日では
「朋有り。忙中を來る。また樂しからずや」
です。

 さて、わたしも最近
「朋有り。遠方より忙中を來る」
を経験しました。
 9月25日。デュオ服部20周年記念コンサートが開催されたのです。

 デュオ服部に関しては《游氣風信》で度々取り上げていますから、古い読者はご存じでしょう。このデュオは服部吉之・真理子夫妻によるサックスとピアノの合奏。
 吉之君はわたしの高校の同級生で、卒業後東京芸大・同大学院、フランス音楽院でサックスを学んだのです。芸大で知り合った真理子さんも彼と一緒にフランスへ勉強に行きました。デュオですからピアノは伴奏でなく共演です。
 二人がデュオを結成して今年で20年になるそうです。早いものです。
 現在夫妻は鎌倉に住み、活動の拠点は東京。ほぼ年に一回名古屋に来てリサイタルをしています。

 当夜のプログラムはドビュッシーのソナタ、ベートーヴェンのトリオ作品37、フランクのソナタでした。ベートーヴェンのトリオには服部君の教え子で昨年の日本サクソフォンコンクールで見事一位に輝いた原博巳君が加わりました。

 彼らのコンサートがあると
「朋有り。遠方より來る」
とばかりに高校時代の友人たちが集まります。まさに
「また樂しからずや」
なのです。
 40歳半ばを迎えた今のわたしなら先の漢籍好き老教師に惻隠(そくいん)の情をもつこともできるのですが当時はまだまだ若かった・・・と言うより幼かった。

 今回はいつも集まる仲間以外に陸上部のW君が来ました。
 彼は今は小学校の教師をしています。彼の奥さん(教師)が以前、わたしのところへ別の関係者の紹介で調整に来たという奇遇もあり20数年振の再開に心が躍ったのでした。

 W君は高校時代「マス・メディア」というコミックバンドをやっていて、文化祭でフォークソングを歌ったり、馬鹿なギャグをしていたので校内ではかなり知られた存在でした。地味なわたしは彼らの舞台の照明係をしたことがあります。
 彼は現在障害児教育に情熱を燃やしつつ、バンドも別のメンバーと続けているそうです。今はコミックバンドではないのが残念です。

 コンサート後の酒の席で
「ミッドナイト東海というラジオの深夜番組覚えているだろう(我々が高校のころ、誰もが聞いた人気番組)。司会がアマチン(天野鎮雄・・・名古屋で有名な俳優。夫人の山田昌と劇塾主宰。山田昌は植木等の奥さん役で有名)とかリコタン(女性アナウンサーで現在消息不明。今も東海ラジオにいるらしい)、それから東京に出て有名
になったレオ(森本レオ)。あの番組のオーディションがあって、我々マス・メディアも出たんだ。結果は駄目だったけど売れない頃のかぐや姫(神田川などのヒットで知られる)と控室が同じだったよ」などという秘話を公表してくれました。これぞ

  朋有り、遠方より來る。また樂しからずや

です。

 サッカーの天才少年A君がコンサート会場に新聞の切り抜きをもってきました。
 「みっちゃん。おもしろいものを見せてやろう」
 みっちゃんとは子供のころからのわたしの愛称です。
 《游氣風信》で以前A君のことをサッカーの「天災少年」と誤植してしまったのですが、「天才」より「天災」の方がA君のイメージを正しく伝えて余りあると好評でした。しかし今度は敬意を表して天才少年。

 A君のもってきた切り抜きはある大学医学部での汚職事件を報じたもの。そこには大勢の刑事が押収物を段ボールに詰めている写真が掲載されていました。よく見ると奥の方から眼光鋭くカメラマンを睨みつけている恐持ての男がいます。彼こそ何を隠そう、高校同期の悪徳デカではありませんか。彼もこの汚職事件捜査に関与していたのです。
 本人はわたしの横で烏龍茶を飲みながらにやにやしています。

 名古屋の高校生なら誰もが一度は入りたいと思う名門大学を舞台に医学部元教授が白昼堂々と暗躍した汚職事件。
 刑事の彼はこの事件の捜査名目でついに憧れの学内に入ることができたのでした・・・と思ったのですが、よく見るとその写真の現場は東京にあるダミー会社でした。まだまだ名門校への道は険しいものです。

 刑事という職業は捜査をする必要上顔や名前が知られることは捜査の邪魔になるので好まないそうで、ああした写真は迷惑だとのこと。もっとも彼の眼力にカメラマンが震え上がったのか写真は焦点があっておらず、そうと知らなければ彼とは誰も気づきません。

 ではなぜA君がその写真を見てすぐ彼と見破ったのか。実に明瞭な理由があるのですが、むろんその理由をここに書くことはできません。

 こうして

  朋有り、遠方より來る。また樂しからずや

の夜は更け、わたしは酒宴解散後、一人で別の再会のために深夜の街に出たのでした。
どこへ行って誰と会ったか、むろんそれもここに書くことはできません。


|

« 游氣風信 No105「今こそ賢治とともに」 | トップページ | 游氣風信 No107「指圧と漢字」 »

游氣風信」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 游氣風信 No106「朋あり、遠方より来る」:

« 游氣風信 No105「今こそ賢治とともに」 | トップページ | 游氣風信 No107「指圧と漢字」 »