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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No105「今こそ賢治とともに」

三島治療室便り'98,9,1

今となれば気恥ずかしいタイトルですが・・・・
インターネット黎明期の文章です。

《游々雑感》

今こそ賢治とともに

 インターネットはご存じですか。このところ毎日新聞やテレビに登場してきます。
簡単にいえば世界のコンピューターを電話回線で結んで文字や映像が相互にやり取りできるようにしたものです。

 意外ですが、わたしの仕事関連の鍼灸のページインターネット上ににたくさんあります。
 意外にというのは中国四千年の歴史を取り扱うような古い印象の業種なのに最新のインターネットにホームページを持つということです。
 鍼灸業界にインターネットが多い理由はホームページは広告を兼ねつつ情報発信できるという性格をもっていますから、まことに自由業的な鍼灸師向けだからです。鍼灸という一般に理解されがたい医療ですからホームページで説明することはとても意味があります。
 また、一九九〇年にはすでに業界の有志によって鍼灸ネットが組織されていました。
わたしも末席を汚していたのです。これは他の業種を圧倒する早さではないかと思います。

 ことばの芸である俳句のページはどうでしょう。
 インターネットは極めて俳句にふさわしい情報網です。とりわけE-mail(パソコン通信)は家に居ながらにして全国の同志と句会が開催できます。わたしのようにあまり外出できない人間には実に重宝なものです。体の不自由な方ならなおさら。
 しかし、どちらかというと俳句の愛好家は年齢層が高く、インターネットなど何が何やらさっぱり分からない。
「インターネットなんざあ俺の辞書には書いてねえ」
とか
「小生、得たいの分からないものには近づかないのが家訓である」
あるいは
「そういう結構なものはまだ食したことはございませんの」
などという方がまだまだ多く、まだまだこれからのようです。

 賢治ファンは年令層が比較的若く、しかも文学好きだけでなく、賢治の作品の特性から天文学や生物学などに詳しい人も多いのでパソコンになじみが深く、結果としてホームページがたくさん立ち上げられていることも予想されます。もちろん文学好きはものを書くことも好きですから旧来からパソコン大好きという人が多いことは間違いありません。

 林立する情報洪水の中、宮沢賢治関連のホームページを総花的に紹介した親切なところもいくつかあります。
 その一つが加倉井厚夫さんの

  賢治の事務所 http://www.bekkoame.ne.jp/~kakurai/index.html

 「賢治の事務所」という名は賢治の童話「猫の事務所」にちなんでいるそうです。

 先日、暇な時間に賢治関連のページを逍遥していました。花巻や盛岡など賢治の作品に出てくる舞台の写真が豊富なのでゆっくり楽しませていただいていたのです。
 中でもすばらしい出来のページには拝見させていただいたお礼の言葉を残しておきました。その縁で加倉井さんからお返事が届いたのです。

 うれしいことに加倉井さんはわたしのページを見て、「賢治の事務所」の中で紹介してくださるというのです。それならそれに恥じないよう雑文ばかりでなく賢治に関連したことも時々は書かねばなりません。
 といってもおいそれと書けるものではありませんから今月は二十年近く前に書いた文章を紹介します。

 正直に申しますとこの文章はとても恥ずかしくて門外不出にしていたのです。

 市井の賢治研究家で研究誌「啄木と賢治」主幹の故佐藤勝治さんが、なんでもいいから原稿を書いて送れと言ってきました。そこで書いたのが次の文章です。昭和五十七年、わたしが二十八歳の時でした。
 無題で送ったものに佐藤さんが「今こそ賢治とともに」という立派なタイトルを付け、経済や健康問題などもろもろの事情で発行不可能になっていた「啄木と賢治」に代わって、岩手県盛岡市から出ている地方新聞「盛岡タイムス」に掲載してくださいました。

 若書きで恥ずかしく、誰にも見せないようにしていたものですが、改めて読んでみて、現在の私たちが置かれている環境にそのまま当てはまることに驚きました。そこで、恥を忍んで公開します。
 ただしこの文は「啄木と賢治」という研究誌のために書いたものですから、賢治の作品を当然深く読んでいるものという前提で書いています。しかし、《游氣風信》は全く賢治に関心の無い方を対象にした治療室便りです。そこで文章の終わりに簡単な解説を付けてありますから参考にしてお読みください。

今こそ賢治とともに

 二十世紀末、地球は人々の手によってその生態系を著しく破壊されつつある。
 人々の内なる欲望を限りなく外に求め続けたからである。
 山を崩し、海や河を汚染し、空気や日の光りさえも自らの手で遠くに追いやってしまった。
 人々が数千年かけて積み上げてきた知識や科学は一体何だったのだろう。
 人々の幸福のために存在したはずの種々の技術がなぜ人々に新たな不幸を運んできたのだろうか。

 昔、人々は神に挑戦するかのごとくバベルの塔という人工の極をなす建物を造ろうとして神の怒りに触れたことがあった。今、人々はまさにバベルの塔を造りつつあり、そろそろ神の怒りが具体化してきたのではないだろうか。

 ここ数年続いている世界的な異常気象、不気味な大地の揺らめき、底知れず人々の胸の中を去来する言いようのない不安。これらが人々を相乗的に悩ませ「もう今以上の繁栄はないのではないか」
と失望させる。
 人類の発明した自動車も、贅を尽くした無駄な食べ物も、チャラチャラした衣服も、皆、石油と共に無くなってしまう。
 今頃になって人々は、自分たちも地球の中では一生物に過ぎず、人間はそれ自体では存在し得ず、他の動物や植物や鉱物たちと共存関係にあることに気づきはじめた。日光が大地や水や空気に命を与え、植物を育むことによってはじめて人や動物は存在し得たのだ。人は他の動物や植物や土や水や空気に支えられていくしか生存する道はなかったのだ。それなのに我々は愚かにも、人間こそは万物の霊長だから自然を自由に操作して良いし、そこに人間の独自性があると信じて疑っていなかった。

 五十年前(昭和五十七年からみて)、このことにすでに気づいていた詩人が東北にいた。

 彼は彼なりに、その暗い時代と厳しい環境の中で自己を精一杯止揚して朽ちた。農民の上に立つことの可能な生い立ちを恥じ、彼らに距離を置かれ、厄介者あつかいされながらも、自分も農民も同じ人間であることを行動をもって貫こうと努力した。少しでも彼らの役に立てるならと全力を尽くして田畑にでてついには敗れた。

 一生を親掛かりで過ごしたり、土地問題を避けたりした現実への適応の甘さは、後々多くの批判を招いたが、方法論はともかくその心意気は我々の胸を打つ。詩人宮沢賢治は、深い絶対宇宙への信と人間の本来もっている善意への信をもち続けたからこそ近視的な方法論を必要としなかったのだろう。

 彼の至言
「世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
の全体とは人類だけでなく、鳥や獣、魚や草木、石も含むのである。すべてのものにいのちを感じていた彼ならではのことばなのだ。
 賢治は生態系のバランスの取れた状態を幸福といったのであって、人間を至上とした物質の充足や感情の一過性の満足を幸福と言ったのではない。そんなものは誰かが独り占めすれば他の誰かに行き渡らないに決まっている。

 今日の地球は、人間が満足を得ようと牙を剥き出しにした結果、人類の足元にまで火がついてしまった状態だ。といって打開策を科学だけに求めることは無駄である。なぜなら、科学は部分的に解決こそしてくれるが、全体から見るとやはりバランスを壊してしまうからだ。
 そこで賢治は、多くの人々が共有する「場」としての芸術を求めた。
 この芸術とは才能を切り売りするようなものではなく、人と人、人と環境とを原初的に交流させるものであり、生態系を一つに融合させる力をもつ。童話「鹿踊りのはじまり」や詩「原体剣舞連」の世界である。

 さらに賢治は、労働さえその域に高めようとした。
 小さな共同体を創り、その中では人と動物と植物と土が、自然の流れの中で食物連鎖の輪を壊すことなく生存する。これこそが賢治の共同体(羅須地人協会)の理想としたものではなかったろうか。科学技術はあくまでその中で生かされるべきなのである。

 今日、物質万能主義、人間至上主義の限界に多くの人が気づき始めた。
 愛しい大地、宇宙船地球号の総司令官は確かに人間たちであろう。しかしその任務は全体をしっかり捉える必要がある。
 動物は本能のおもむくままに食し、眠り、生殖をするが、人間は欲のままにそれらを貪る。人間が本能という箍(たが)を外し、自由を得たとき、節度も必要となった。

 「もう少し食べよう」
と手にした食物は我々の同胞の命なのだ。童話「よだかの星」のよだかの悩みは一人一人の悩みにほかならない。賢治の世界を愛するものは皆、全体の幸福を心の奥底で求めているに違いない。
 しかし、それは反面、自分の欲求を制御することでもある。決して安易なことではない。
 地球が危機から脱することも同じである。日本人一人が食べる量で、アフリカの飢餓の人達が何人助かるだろうか。一人でも飢えている人がいるとき、自分は幸福でないことを忘れてはならない。

 賢治が残したものは数々の伝説に彩られた伝記と多くの作品のみである。我々はその作品を味わったり、伝記を読んで尊敬したり批評したりする。
 数多くの評論が出版されそれぞれもっともなことが書いてある。しかし、わたしのような一読者はそれらに気を取られることなく、やらなけらばならないことがある。
それは、これから賢治の世界をわたしの心の中でどのように発展させていったらよいかである。
 賢治が夢見、実行しようとしたことを
「ああ、そうか」
で済ますことなく、一人一人が自分の生き方の中にどのように組み込んでゆくか、それこそが賢治が真に望んでいたことではないだろうか。

 賢治という電灯は失われても、みんなの心の中に明かりは残っているのである。賢治の光が野に咲くつめくさの火のように広がっていくこと、これが世界全体の幸福への第一歩であろう。
 もっともこんなことを書くと賢治は例のもそっとした顔で
「そんなことを言われると恥ずかしいっす」
と照れるかもしれない。

(初出:盛岡タイムス 昭和57年3月7日)

解説
生態系
 多様な生物が無生物とバランスをとって生存している環境。

バベルの塔
 聖書より。奢った人々が天に達する塔をつくろうとしたが、神が怒り、人々の言葉を混乱させ工事を中止させた。

異常気象
 二十年前の文章だが、今年も相変わらず使われている。

大地の揺らめき
 今年も地震が各地で頻発。とりわけ賢治や啄木の信仰の対象ともなっていた岩手山も揺らぎ、噴火の可能性を示している。

言いようのない不安
 今年も不景気や毒物事件、ミサイルなど先の見えない不安な社会情勢。

石油
 石油はほどなく尽きるという学者とまだまだ無尽蔵という学者がいる。しかし石油製品から派生する排気ガスや環境ホルモンが社会一般の問題になりだした。

宮沢賢治
 詩人・童話作家。岩手県花巻市生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農村指導者として献身。詩「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。(1896~1933)・・・広辞苑より

「世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
 賢治の理想も最も端的に表現したものだが、このことばは戦争前と中、大東亜共栄圏のプロパガンダ(国家的宣伝)に流用された。
 方法論無き理想主義と賢治が揶揄される核心のことば。

童話「鹿踊りのはじまり」
 少年が落とした手ぬぐいと残した団子を囲んで鹿たちが示した好奇心一杯の仕草が岩手の伝承芸能である鹿踊りのはじまりであると解釈した童話。微妙な自然描写に優れ、自然と人が混然一体になるかのような傑作だが、結局作中の少年は自然から拒絶される(鹿の仲間に入れない)という示唆的な童話。賢治にはこうした自然とはついに一体になれないという作品が多い。

詩「原体剣舞連」
 これも岩手県の伝統芸能を題材にしている。剣舞は子供達がお面を着けて、刀を振り激しく舞う踊り。鬼剣舞で知られる。リズムの雄渾な詩で朗読するとぞくぞくする。折りに触れてこうした踊りを舞い、伝承してきたことに自然と人の営みが混然とした暮らしぶりが伺われる。

羅須地人協会
 賢治が農学校の教師を辞したあと、宮沢家の別宅があった下根子桜というところで開いた私塾。農村の若者に農芸科学や芸術を説き、レコード鑑賞会や不用品の交換会を行った。原始共産的物々交換を中心にした自給自足の生活を夢見たようであるが、時代の暗雲から官憲に目を付けられるとあっさり解散した。
 今日、高村光太郎筆による「雨ニモマケズ」の詩碑が建ち、賢治ファンのメッカとなっている。碑の下には賢治の髪とお経が納められている。

電灯は失われても・・・
 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといつしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (ひかりはたもち その電燈は失はれ)

(春と修羅/序)

による。難解で知られた詩。
 賢治の基本理念を詩にしたもので、「春と修羅」という彼の出版した唯一の詩集の序。

つめくさの火
 童話「ポラーノの広場」の中に、つめくさの花の灯を数えていくとたどり着くという伝説のポランの広場が出てくる。童話は現実に力を合わせて理想の農場を作ろうとするもの。

つめくさの花の かをる夜は
ポランの広場の 夏まつり
(以下略)

という賢治の作詞作曲の歌曲があり、賢治ファンに愛唱されている。
 過去には「ポラーノの広場」と「ポランの広場」が混同されてきたが、今では「ポランの広場」は先駆形で「ポラーノの広場」が決定稿とされている。

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