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2011年6月22日 (水)

游氣風信 No103「七夕」

三島治療室便り'98,7,12


≪游々雑感≫

文月や六日も常の日には似ず 芭蕉

 この俳句は元禄二年、当時の辺境みちのく(今の東北)に旅立った松尾芭蕉が七月六日、今の直江津ではるかに佐渡を望みながら詠んだ句です。
 この旅程は大ざっぱに書けば、三月二十七日江戸深川出発。この時の句が

行く春や鳥啼き魚の目は泪

以後日光、白河、松島、平泉、天童、象潟、新潟、今町(直江津)、金沢、敦賀などと東日本をぐるっと巡って、八月二十日ころ大垣着。九月六日の日付のある

蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ

をもって結びとしています。

 冒頭の句と同時に作ったのが有名な

荒海や佐渡によこたふ天河

共に、紀行文「おくのほそ道」に収められています。

 しかし現実には当日は「風雨甚」ということで、天の川などは見えなかったということです。
 では、芭蕉は嘘つきかという言うとそうではありません。
 紀行文「おくのほそ道」は事実を書いた旅日記ではなく、旅という虚の世界を文と句によって超時空間芸術に高める試みでしたから事実などはどうでもよかったのです。
いわば全編演出なのです。

 冒頭の句

文月や六日も常の日には似ず 芭蕉

は、文月(旧暦の七月)の六日、したがって七夕の前夜のことを句にしてあります。

 今日はまだ七月六日で七夕ではないが、それでも空の様子や街の情景はどことなく常の夜とは異なっているようだ。

というような意味でしょう。

 あえて七夕を詠まず、その前の日に注目させることでより七夕の雰囲気を漂わせるとは憎い演出です。

 七夕は季語ですが春夏秋冬のいつに分類されるかご存じですか。
 当然「夏」だと思われるでしょう。ところが実は「秋」に分類されています。なぜでしょう。
 それは太陽暦(今の暦)と太陰暦(昔からの暦)のずれが原因です。詳しくは後述します。

 さて、七夕は七月七日と決まっていて、今日ではほとんど太陽暦で行われます。

 一宮市は尾張地区最大の七夕祭で知られています。終戦後、織物で賑わった町ですから織り姫にちなんで商工会が始めたのです。
 しかし日程は七月七日ではありません。子供達が夏休みに入るころの数日間駅前商店街で七夕祭を行います。これは商店街の営業効率と訪問客の利便性を考慮したからでしょう。近在から大勢の人が集まって大盛況です。

 他所はどうでしょう。
 江戸時代からの歴史を誇り、日本一と言われる仙台の七夕祭は一月遅れの八月七日前後を当てているようです。これも日程の便宜上がなせるわざで、本来の七夕の日ではありません。
 そのころから「みちのく三大祭ツアー」があります。仙台の七夕祭り、秋田の竿灯、青森のねぶた祭りがそれですが、いずれも陰暦七月七日が本当だということです。

 七夕は古来の日本の風習に中国からの行事が混ざったものとされていますから旧暦で行うのが本当です。しかし現実の暦とのずれからそれもままならなくなりました。
仕方のないことです。

 では、今年はいつが本来の七月七日でしょうか。
 暦を調べましたらなんと八月二十八日になります。とても遅いですね。夏休みが終わるころです。寒い地方などはもう二学期が始まっています。
 しかしそのころなら美しく澄み渡った秋の空、天の川もはっきり見えるころです。
 これが歳時記で七夕は秋の季語に分類される所以です。

 太陽暦で七夕を行うことで一番困るのは夜空に輝く彦星と織り姫星でしょう。なぜならそのころは梅雨の真っ盛り。天の川が氾濫してなかなか夜空のランデブーとはいきません。年に一回しか許されないデイトも雨で流れては情けなくて泣くに泣けません。

 ここに古い資料があります。
一九五九年 晴
一九六〇年 晴れたりくもったり
一九六一年 晴
一九六二年 くもり
一九六三年 晴
一九六四年 くもり一時小雨
一九六五年 くもり時々雨
一九六六年 くもりのち雨
一九六七年 くもり一時晴、のち雨
「星座の楽しみ(草下英明著)」より

 七月七日の東京地方の夜の天気です。このように太陽暦の七月七日は晴れるのが難しいころなのです。

 前掲書にはもう一つ新暦ではまずい理由が述べてあります。
 それは星座がずれているということです。文章を引きます。

「第一、かんじんの星座がずれている。新暦の七月七日のころ、夕空では織女・牽牛はまだ東の空にかなり低くて、星空の中にひときわめだつ存在とはみえないのだ。旧暦ならば、天の川は東北の空から南の地平線へと銀色のアーチをえがき、その両岸にかがやく織女と牽牛は、ほとんど頭の真上近くまで昇ってくる」

 そもそも織女(織り姫星)と牽牛(彦星)のラブストーリーが作られたのは天の川を挟んだ明るいふたつの星からイメージを膨らませたものに違いありません。今日、それらの星がはっきり見えないときに七夕を祭るのは滑稽でもあります。

 「ちょっと待てよ」
と心の声が聞こえてきました。
 「七夕のストーリーは何だっけ」
どうも細かな物語りは忘れているようです。思い出さなければなりません。

 こういうときはまず広辞苑に当たります。

七夕
 天の川の両岸にある牽牛星と織女星とが年に一度相会するという、七月七日夜、星を祭る年中行事。中国伝来の乞巧奠(きこうでん)の風習とわが国の神を持つ「たなばたつめ」の信仰とが習合したものであろう。奈良時代から行われ、江戸時代には民間にも広がった。庭前に供物をし、葉竹を立て、五色の短冊に歌や字を書いて飾りつ
け、書道や裁縫の上達を祈る。七夕祭。銀河祭。星祭。《季・秋》。

 堅苦しいですね。

 記憶をたどれば、仲良しの牛飼いと織女が恋に堕ちて、怠けてばかりいるので、怒った神様(帝?)によって星にされ、天の川の両岸に分けられてしまった。二人は年に一度、七月七日の夜だけ会うことを許された。その日は鵲(かささぎ)が羽を広げて橋を作ってくれるから天の川を渡ることができる。しかし、雨が降ると水嵩が増すの
で橋が作れないという悲恋物語・・・細かな所に自信がありませんがこんなところだったと思います。

 前掲の草下英明氏の本によると、織女牽牛の物語のルーツはかなり興を殺ぐ現実的なもののようです。悲惨な現実でもありました。

 織女星が文献上に現れたのは何と何と西暦紀元前1100年ごろの「夏小正」。このころ、中国は古代の殷帝国から武王の周に移ったころだそうです。
 織女と牽牛がいっしょに文献にあらわれてくるのは、あの孔子が編纂したとされる詩経(前500年ごろ成立。世界最古の詩集)。

 大意は
「つまさきだって、急ぎ足の天の機織り娘は、一日に七回も機織り小屋と家とを往復してはたらいているが、機はいくら織っても足りなくなってしまう。

 美しくかがやいく天の牛ひきの若者は、畑をたがやそうと牛をひきだすが、いくら作物をつくってもまたとりあげられるかと思うと、牛に荷車をとりつける気もおこらない・・・」

 譚という国の大臣が作者。周の悪政に苦しむ農民の恨みを天に訴えたものであるということです。

 つまり七夕伝説のルーツは酷税に悩む庶民の密かな反抗だったのです。それを美しいに星に託して行政批判していたです。今の感覚とは全く異なります。
 七夕祭りが日本に伝わったのが奈良時代(710年から)、庶民に広がったのが江戸時代とのことですから中国の歴史は気が遠くなります。

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 夜空を見上げてどれが牽牛(彦星)で織女(織り姫星)かお分かりですか。
 実際に探しに出ましょう。
 ちょっとした郊外にでると星に不案内な私でもさほど苦労しないで見つけることができます。
 では、郊外からさらに離れて空気のきれいな山や海辺などまで行くとどうでしょう。
手に触れるように、あるいは天が落ちてくるように全天の星が輝き、その美しさには圧倒されますが、あまりにたくさんの星が見えてかえって素人には見つけにくいものです。

 まず、天の川を見つけることができますか。名古屋近郊ではあまりたいした川には見えません。

 次に、天の川の中にいる白鳥座を見つけることができますか。これは比較的簡単です。身近に知っている人がいればすぐ分かります。
 白鳥座は十文字の極めて整った形をしています。首を伸ばして大空を羽ばたく白鳥の姿そのものです。これは白鳥に変身した全能の神ゼウスが人の女房のところに夜ばいに行くところらしいです。

 白鳥座は南十字星に大して北十字とも呼ばれます。この形は十字架とも見え、その頭にあたるとても明るい星がデネブという星です。
 白鳥に置き換えると上下逆転してデネブは尻尾の位置になります。
 見つかったでしょうか。

 その近くの天の川の岸辺にひときわ明るい星があります。これが琴座のヴェガ(織女)。天の頂きに輝いています。北の空ではもっとも輝いている星です。

 ヴェガの対岸(東南方向)にすこし明るさは落ちるけれども十分に明るい星を見つけることができます。これが鷲座のアルタイル(牽牛)。

 白鳥座のデネブと琴座のヴェガと鷲座のアルタイルを結ぶと夜空に大きな三角ができます。これを「夏の夜の大三角」と称して他の星を見つける指標とするのです。

 星座を見るとき、本のイラストなどから想像してちまちま探しているとなかなか見つかりません。星座は相当広い範囲に大きく描かれています。夏の大三角もかなり大きい三角ですから、見つからないときはもう一回り二回り大きい三角を想像して下さ
い。

 中学生の理科の本には出ています。あるいは小学校の高学年でも習うかもしれません。子供さんがいらっしゃる方はたずねてみてください。

 夜空にきらめく二つの星を眺めながら今も昔も変わらぬロマンスに酔うもよし、悪政に怒るもよし。
 悠久の時を隔てた古代中国の人達の精神や、中世の日本人の心情に共感するのも夏の夜の一興です。

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