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2011年2月22日 (火)

游氣風信 No66「逢うは別れの(指圧の縁)」

游氣風信 No66「逢うは別れの(指圧の縁)」

三島治療室便り'95,6,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/ 


《游々雑感》

逢うは別れの・・

 逢うは別れの始めと言います。これは白居易の「和夢遊春詩」の句「合者離之始」
を出展とすることばで、逢った人とはいつかは必ず別れなければならないという無常
(無情ではありません)を表した有名な詩句です。(大辞林参考)

 会った人だけでなく、出会った風景とも必ず別れなければならないことは昔の人ほ
ど身に染みて分かっていたのだと思いませんか。現代と違って新幹線も飛行機も自動
車も電話も無い時代には、遠方の人と次に会えるという確たる信念などもてなかった
に違いありません。

 また、世に戦乱が続き、病気に対しても手をこまねいてただ看病するのみという厳
しい時代にあっては、人との出会いと別れは今よりずっと真剣なものであったの思う
のです。 戦後五十年もの間、国内においては全く平和であったという希有な時代を
生きて来た者としては、別れをさほど深刻には考えません。「またいつか会えるさ。」
という思いがあるからです。

 日本の誇る茶の湯の文化の基本理念のひとつに「一期一会」がおかれているのは、
戦乱の世に波乱の人生を生きた千利休の切実な思いの反映に外ならないでしょう。

 最近、私は三名の親しい外国人と別れを経験しました。二人はアメリカ人、一人は
カナダ人です。仲よくしている外国人がぽつりぽつりと帰国することはいつものこと
なのですが、特に親愛の情をもって交流していた人達が三人ほぼ同時に帰国するとい
うのは初めてでした。そこで冒頭のことば「逢は別れの始め」が身をもって響いてき
たのです。

 しかもなお、飛行機が飛び交う今日では、たかが日本とアメリカやカナダ、いつで
も会いに来ることができるし、行くこともできるという気持ちも強いのです。現に彼
らが三名とも
「今までは自分が日本に来たのだから次はそちらが我が国にくる番だよ。」
と同じことを言い残して帰って行ったのです。 

 おそらく今の日米加の距離は、江戸時代の人達が江戸と京都に離れ離れになること
よりずっと身近な距離であることは間違いないでしょう。
 彼ら三名はわたしの指圧教室の生徒であり、身体調整のクライアントでもありまし
た。(彼らは特に病んでいたのでなく、養生法として調整を受けていたので、患者で
はなくクライアントと呼びます。意味は心理療法に訪問した来談者のこと。広告の依
頼主の意味もあります。)

 五月末に帰国した米国人女性のBさんが初めてここへやって来たのははもう5年く
らい前になるでしょうか。アメリカ人男性と結婚している日本人女性Sさんの紹介で
指圧が習いたいとやって来たのです。ところが通訳と期待したSさんがすぐに妊娠し
てしまい、通訳なしで教えなければならなくなってしまったのはいい経験になりまし
た。はるか昔に習った英語の単語を乏しい脳みそを絞りながらの会話はそれは楽しい
ものでした。わたしのとんでもない英語を聞かされた彼女はいい迷惑でしょうがしか
たありません。ここは日本なのですから。

 体の細いBさんは結構神経質で日本の生活とはうまくなじめないようでしたが、そ
れでも多くの日本人の友達を作っていろいろな活動をしていました。彼女はつごう1
2年近く日本で暮らしましたがついに日本語は上手になりませんでした。そのかわり
彼女の英語はとても理解しやすいもので、わたしのつたない英語力でも互いに話し合
いができたのです。その理由の一つとして彼女が上げたのは興味深いものでした。

 彼女の親族に耳が聞こえない人がいたのです。Bさんはその人が理解できるように、
唇の動きやことばの使い方を工夫しながら成長したので、自分の英語は日本人にも理
解しやすいのではないかというのです。これはおもしろい見解です。

 なぜ外国人が指圧を学びにくるのでしょう。
 海外に指圧を広めたのは、国内に指圧ブームを作った例の「指圧の心母心。押せば
命の泉湧く。」で知られる浪越徳次郎先生です。そのブームを学術的に固めたのがわ
たしの恩師故増永静人先生でした。

 増永静人先生は五十才を過ぎてから外国人の弟子ができて、必死で英会話の勉強を
しておられたのをよく記憶しています。カッセトテープを片時も話さず、外国人生徒
と英語で丁々発止とやっておられました。発音はお世辞にもうまいとは言えませんで
したが、ともかく根性で聞き取り情熱で理解させるという感じ。いかに京都三高・京
都帝大という秀才コースを履歴に持たれる先生とは言え、敵国語禁止の時代に十代を
過ごされた方ですから大変だったと思います。

 先生のそうした努力で指圧は海外に広がり先生の本の英語訳(数カ国後に訳されて
います)はベストセラーになりました。今日ではSHIATSU(指圧)は英語とし
てかなり知られています。
 そのお陰でわたしも外国人生徒を持つことができたのです。なにしろ、何人かの生
徒はアメリカで買った増永先生の英語版テキスト「禅指圧」に一杯赤線を引いてぼろ
ぼろになったものを持参したのですから。

 わたしは東京の先生の治療センターにしばらく泊まり込んで勉強させていただいた
のですが、そこにイタリア人Mがいて、彼とはなんとか英語でコミュニケーションを
とっていました。そのとき、ことばなどなんとかなるという経験があったので、Bさ
んとも案外平気で指圧授業ができたのです。

 Bさんの夫のお父さんが亡くなり、年老いた姑ひとりになったので帰国して世話を
することになり、急遽アメリカへ小学生の娘さんを連れて立ちました。嫁が姑の面倒
をみるというのは日本と同じですね。
 Bさんの夫R氏は日本にあと数年残って大学教授を続けるそうです。
 「タンシンフニン(単身赴任)デス。」
と寂しがっていました。

 このBさんから多くの外国人生徒が派生しました。
 Bさんは自分のパートナーに友人のアメリカ人女性Sさんを連れて来たのです。彼
女はアースデイ(地球の日)という世界的な環境保護市民運動の名古屋のリーダーで
長良川河口堰の反対運動などでも活躍していましたが、2年前帰国して、マッサージ
の学校に進みました。驚いたことに、わたしのところで勉強していた時間が考慮され
て、向こうの学校の授業時間が短縮できるのだそうです。わたしはSさんに頼まれて
証明書を2通書いて送ったのです。

 SさんはD君というハンサムな米国人青年を連れて来ました。今度はそのD君がカ
ナダ人のT君という大きな熊のような青年を伴って勉強するようになりました。
 D君はニューヨークに住む母親が肺ガンで余命いくばくもないという理由で帰国し、
その後アフリカに2度ほどわたり、現在ニューヨークに戻っているそうです。今、彼
の弟のC君が調整に来ています。

 熊のようなT君はいったん帰国して大学に戻り、先生の資格を取りしばらくパート
の教員をしていましたが、前から興味のあった禅の勉強のために再来日、広島県にあ
る国際禅堂で9カ月修行したのち、今年の5月末に帰国しました。
 帰国の数日前、わたしのところに調整を受けがてら別れの挨拶にきました。プレゼ
ントに白隠禅師の「夜船閑話」という健康法として有名な本をくれました。その表紙
裏にメッセージが書いてありました。

Misima-sensei,
You are a perfect example of living Zen.
Your work, your effort and your compassion
shows the true spirit of a BOSATSU.
Thank you, Gassho(合掌).
                   呑海

 呑海というのは得度を受けた彼の仏弟子としての名前です。
 メッセージの意味は、気恥ずかしくて訳せません。辞書を片手にどうぞ。
ことほどさように彼は真摯に禅を日常生活の中に取り込み、あらゆるものを我が師匠と
してとらえた行き方を念願しているのです。実に人当たりのよい好青年でした。カナダ
にはJという以前からのガールフレンドが待っていますから、近い将来結婚の報が入る
ことでしょう。

 T君からA君、A君からS、R、P、M、R、C・・・という具合にもう数えきれな
い程の外国人がやって来ては帰国していきました。

 さて、親しかった3人のうち、Bさん、T君については書きました。最後のひとりは
J君です。
 J君はアメリカでアマレスを8年練習し、日本では合気道を2段までとって帰国しと
いう格闘技の好きな青年です。優しい顔と頑丈な体と周囲に対する気配りの行き届いた
心の持ち主でした。その幅広い心くばりはアメリカの大学でユングの心理学を学んだた
めでしょ
うか。
 現在アジア各国を旅行中で、9月からアメリカのマッサージ学校へ通うそうです。わ
たしは彼のために入学に必要な紹介状を書きました。

 この紹介状の中にアメリカ的な考えを表すおもしろい例があります。
 たくさんの質問のうち、彼の人生観、知的能力、他人から見た長所、短所などはまだ
分かるのですが、中に、

  彼がこの学校に入ることで我が校はいかなる利益を得るか

という項目があったのには驚きました。

 生徒として我が校に入学するからには当校から生徒に利益(知識・技術・資格)を与
えると同時に生徒も我が校に利益をもたらす人物でなければならないという考えでしょ
う。何につけ自主性・自立性を重んじる国民性です。自分を中心に世界を眺め、そのた
めに負う責任を明確に自覚することを大切にするのです。なるほど、こうことがアメリ
カ的なのかと深く考えさせられました。

 その点日本人は自分が益を得ることばかり考えて、先方に自分がいかなる益を与えら
れるかをあまり考えないのではないでしょうか。その代わり相手の責任もあまり深追い
しないのです。
 自分も権利を主張する代わりに相手の権利も尊重するという二方向性の視点、これは
日本人も大いに学ばねばならない点でしょうね。

 今、大リーグで野茂投手が活躍しています。その実力と活躍をアメリカ人も素直に評
価してくれています。すごいものはすごいと。それに対して、横綱曙が勝つと座布団が
舞うという日本人の狭量さ。自分の応援チームが不利になるとグラウンドにものを投げ
込むという幼稚さ。敵味方を越えて素晴らしいプレーを評価できないのです。
 今後、野茂投手のように日本人もどうどうを自分の実力を示していけば、だんだんこ
うした島国的劣等感はなくなっていくのでしょうか。そうありたいものです。

 J君は5年間の日本での生活でアメリカの独立心と日本人の相互にもたれ合う生活を
体験し、今は日本の方が暮らしやすいと言っています。名古屋が一番リラックスできる
とも言います。確かに彼の目配りは日本的な印象は受けました。どちらかというとアメ
リカ人は集団の中で常にリーダーであろうとします。無理にそうしなくても自然になっ
ているのです。

 その点ではJ君は日本に住むほうが気楽なのかもしれません。しかし、彼は他国の文
化を素直に認める腹の大きさを持っています。タイの文化も、韓国の文化も素晴らしい
もの、
同様に日本人も好き、つまり、物事の良いところを素直に掬い上げることができる性格
なのです。これはアメリカ人というより彼の独自のものでしょう。国際関係で練り上げ
られた真の国際人と言えるかも知れません。
 こうした好漢が日本にも大勢増えることを願います。

 今、わたしの教室にはアメリカ、オーストラリア、イギリス、オランダ、ニュージー
ランド、ブラジル、ルーマニア、カナダ、日本の人が来てわいわいがやがややっていま
す。そのわたしとオランダ人の会話の仲立ちをルーマニア人が英語でするという奇妙な
組み合わせ。
 そこに共通している感情はとにかく指圧の勉強を通じて、みんなでうまく仲良くやっ
ていこうというものです。この互いに互いを思いやること、これは洋の東西を越えた人
類の持っている共通の優れた感情であり、知性なのだと思っています。そしてそれは努
力を必要とするものであることも特記しなければならないでしょうが、それは夫婦も同
じことですね。

《後記》

 先日、梅雨の晴れ間をぬうようにして、名古屋の伽藍、覚王山日泰寺に行ってきまし
た。
名前が示すように日本とタイの友好の為に明治37年間に作られた比較的新しい寺院で
す。
 明治31年、ネパールで発見された釈迦の遺骨をタイ王室より分けていただいたもの
を奉納するために建立されたそうです。この寺は特定の宗派を持たず、現在仏教19の
宗派の管長が3年毎に住職をつとめるという珍しいものです。
 境内には残念ながら歴史の重さがなく、建物は立派ですが趣には欠けました。むしろ
、周辺にあった、庶民信仰のお地蔵さんなどが祭ってあるうっそうとした場所の方がそ
れらしく感じられたのは致し方のないことでしょう。宗教の持つ陰の部分が日泰寺には
全くないのですから。
(游)

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