游氣風信 No62「震災 古本屋にて 」
游氣風信 No62「震災 古本屋にて 」
三島治療室便り'95,2,1
三島広志
E-mail h-mishima@nifty.com
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/
阪神大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福を心から哀悼いたします。
また、被災されました方々のお見舞いと、一日も早い復興をお祈りいたします。
「天災は忘れた頃にやってくる。」とは寺田寅彦の言葉です。まさに、今度の震災
は心の隙を突かれたという気がしてなりません。とりわけ、被災された方々には無念
の気持ちで一杯でしょう。遠く離れた地にいて、全く言葉もありません。
私事ながら、伯母夫妻(母親の姉)が兵庫区に居住していて、震災後連絡がつかず
心配していましたが、幸い火災は500メートル手前で止まり、家は倒壊も消失も免れ
ました。
もともと薬局を営業していましたから、食料や飲料に困らなかったため避難所に行
かなかったので何の情報も分からなかったし電話もできなかったとのことでした。
大阪に住む従兄弟がオートバイにおにぎりを積んで家を訪ねたら、伯母夫妻とその
娘と子供たち(夫は仕事でヨーロッパ)が家の中で不安そうにしていたそうです。
伯母夫妻は商売的には大成功して生涯遊んでも楽に暮らせるだけの蓄えはあるから、
この震災をきっかけに薬局を閉鎖しようと思ったそうですが、近所の店が壊滅してい
るし、よそ者が便乗値上げをしている現状に腹を立てた伯父が75歳の体に鞭打って商
売再開する意気込みをみせています。そのために、傷んだ店内補修も済ませたと連絡
がありました。 こうした話を聞くと、人は天災の前には無力であるが、いざとなる
と気持ちを立て直して復興に邁進できる生き物であることを知らされました。人間の
強さ、たくましさは素晴らしいものと改めて感心したのです。
日本人の心の奥に滔々と流れている無常の思想は、過去幾度もこうした災害を経験
して形成されたもののようですが、その度に困難から苦難とともに起き上がってもき
たのですね。
それは今度の震災でも多くの若者による直接のボランティアや、献血、募金などの
迅速な行動にもみられます。「この頃の若者は・・・。」と昔から繰り返されたお小
言も、一大事があれば「若者を見直した。」と吹き飛ぶというものです。彼らには本
気を出す機会がなかっただけなのです。むしろ若者が遊んでおれる社会の何と素晴ら
しいことか。これも改めて感じました。
地元の自治体は20数万に近い人が非難するというとてつもない非常時に右往左往し
ているようですが、これはわたしの住んでいる一宮市の人口とほぼ同じの数です。今
のところの混迷はしかたのないことでしょう。迅速な回復と願うばかりです。
それにつけても日本政府の体たらくは普段の国会のありようそのもの。あの程度の
政府しか持てない現状を残念に思います。むしろ国民ははなっから政府を信用してい
ないのでしょうか。信用して先の戦争に引きずり込まれたのですからね。
しかし、行政側はこれを機会に猛省し、他国の緊急事態に対応する組織や方法を参
考にして、次に備えるべきでしょう。
今、スイス政府発行の「民間防衛」という本が売れていますが、その緻密な戦争や
災害に対する防衛対策と心構えは驚くものがあると言います。いつも他国に蹂躙され
た国民ならではのものなのでしょう。
いつも他国を蹂躙してきた日本に緊急事態に対応する組織がないのもむべなるかな
です。
ともかく、一日も早く避難民の住居が少なくとも最低限の人間らしさを保証された
ものになるよう祈るばかりです。
《游々雑感》
古本屋にて
「お父さん、新しい古本屋ができたから連れて行ってよ。」
「新しい古本なんか無いよ。」
「違うよ。建物は新しいけど本は古いんだよ。冗談言ってないで連れて行ってよ。
○○君も××君もそこの会員になって漫画を安く買ってきたんだから。」
愚かな親子の会話のあと、息子にせがまれて新しくできた古本屋にでかけました。
漫画の古本が一冊100円で買えるのだそうです。どんなところかと興味をもって行っ
てみましたら、実にぴかぴかのおよそ古本屋らしくないお店でした。雰囲気は今はや
りのコンビニエンスストア、あるいは郊外型の大型書店。
清潔で明るい店内は信じられないくらい大勢の親子連れや若者でまるでバーゲンセ
ール真っ只中の賑わい。
売っているのは漫画の古本を主に一般古書、新旧のCD。
若者達がどのケースの前にも群がってその活況ぶりは素晴らしいものでした。
天井のスピーカーからはわたしのようなおじさんには題名も歌手も分からない最新
流行歌が流れ、会員カードと本やCDを手にした客が次々に三台のレジにならんでい
きます。
古本屋ならわたしは大好きで良く出掛けたものでした。
以前この「風信」にも宮沢賢治の本を探し回ったことなどのちょっとしたエピソー
ドを書いたことがあります。
二十代の始め、欲しい本を求めて、上京したおりに神田、高田馬場、高円寺、荻窪
などの古本屋街をはしごして回った事もあるのですから古本屋の客としてセミプロ級
だと自負していたました。
古書店ではすでに倒産した古い小出版社の名前など出して、
「むむ、この若造、できるな。」
と店のおやじの顔に一瞬の驚きと警戒心を浮かばせ、思わず眼鏡をかけ直させたりも
したのです。
そうした経験からすると古本屋とは、薄暗く、ほこりっぽく、かび臭く、雑然とし
て、客は自分を含めてせいぜい三人、女性客は絶無。店主は無愛想な鼻眼鏡でじろり
と店内をなめるように睨み、そこは一種隠微な、背徳の匂いのする、禁断の、しかし
悦楽の秘境というものでした。
学生時代、日がな一日、デートもしないで古本屋で過ごした膨大な時間は、他人か
らすると実に無駄なもったいないものと見えたでしょうが、わたし自身にはけっして
惜しくはない、むしろ豊饒と言ってよかった時間だったのです。
古本屋の棚の上の隅から順番にくまなく本のタイトルを読みながら、何かおもしろ
い本はないか、以前から欲しかった本は出ていないかと緊張と期待で店中の本を総な
めにしたものでした。本棚の下に積んである絶版の文芸誌などもほこりを払いながら
一冊一冊手に取って注意深く探していったのです。
何の目的もなくふらりと立ち寄った古本屋で念願の一冊を見つけた興奮と法外な値
段で手が出なかった落胆。
そうした苦労や徒労の成果が今も本箱の片隅に幾冊かの書物として記憶とともに残っ
ています。もはや入手困難な宮沢賢治の研究書、驚くほど安く入手した医学大辞典、
貴重な句集、古い雑誌等々。
嗚呼、わたしの青春のかなりのページは古本屋とともにあると言っても過言ではあ
りません。(こう書くとイメージがあまりに暗いですから補足しますが、本当はわた
しは撥刺〈はつらつ〉としたスポーツ青年でしたから誤解無いように。)
しかるに最近の古本屋の明るくて軽薄で、往時を知るものからすると情けないこと。
本が出版洪水の中で文化を担う存在から消耗品になって随分の年月が過ぎましたが、
それが古本屋というものの形態もすっかり変えてしまったようです。そこでは大量に
消費された書物、とりわけ漫画が二回目三回目の読者を求めて流通しているようです。
以前からの古書店が経営難でどんどん閉ざされているのが現状ですから時代に合わ
せて生き抜いていく企業努力はとても大切なことです。いかなる形態でも古書の流通
を停滞させてはいけないと思うのです。貴重な資源でもあり文化財でもあるのですか
ら。それが低俗なら低俗という時代を記録してある訳ですから。戦後のデカダンのカ
ストリ雑誌(粕取り雑誌)などは年配の方なら覚えておられるでしょう。あれも今か
らするともっとも当時の一面を如実に物語っています。ちょうど遺跡のように。
それにわたしは漫画を否定する立場にはありません。
「当世の大学生は漫画を読んでいる。」
と言われたころ、わたしはまだ中学生になるかならない年齢でしたから
「へえ、今は大学生でも漫画を読むんだ。だったら小学生のぼくらが読んだってちっ
とも変じゃない。」
と漫画をよく読みました。今でも読んでいますし子供との会話のネタにもなっている
のです。。
東大の解剖学の養老孟司先生も書いています。
「大学生だろうと東大生だろうと漫画は読む。なぜなら大学の先生であるわたしも
大好きで読んでいるのだから。」
漫画には実に低俗で子供にも大人にも読ませたくないものが多くあります。しかし、
それは小説や映画でも同じでしょう。
しかも多くの優れた漫画は小説をはるかに凌駕していることはすでに常識です。昔
なら小説家になったような人が、今は漫画家や漫画の原作者になっているのですから。
作家として著名な賞をもらいながら、漫画の原作の方に力をいれている人もいます。
小説文芸誌の売上がせいぜい月に数万部。「少年ジャンプ」という週刊漫画雑誌が
一誌で700万部。表現者の欲求として漫画がいかに魅力的であるかは一目瞭然でしょ
う。
また、今の日本の多くの出版社は漫画による利益を、少しも売れない学術的に貴重
な出版物発行に回していることもよく知っています。漫画が日本の出版文化を経済的
に支えている面は看過できません。
さらに今の日本から世界に発信できる文化は漫画やアニメーションだけと言っても
過言ではない状況なのです。
お隣の韓国も漫画を重要な輸出文化としてお堅い政府が認めたと新聞に出ていまし
た。
今度出掛けた新しいスタイルの古本屋がそれなりに出版文化財の保護をしているこ
とは貴重です。ただ、それにしてもあの明るすぎる雰囲気はとても書物の山の中から
渇望の古本を探す喜びを感じさせてはくれないようですが、これは中年の懐古趣味な
のかも知れません。
わたしは子供が漫画を物色している間に、懐かしい「二十四の瞳」と「トルストイ
民話集」を購入しました。ともに100円。本当に安い。
世の中は懐古趣味だけでは成り立っていかないのは自明のことです。しっかり時代
について、先を読んで生きていくことはこれからますます大切になります。これは同
時代を生きる者として年齢に関係なく義務ではないかと思えるほどに。もちろん高齢
で引退している方は悠々自適に生きていただいて結構ですが。
何かにつけて
「昔はよかった。」
と回顧ばかりする人は、ちょっと待ってくださいよ。
昔は年金も健康保険も水洗トイレもクーラーも自動車もなかったのだと現在の暮ら
しぶりを改めてありがたいものと評価することも必要でしょう。
昔が良かったのは自分が若かったからなのですね。
《後記》
大震災の影響は、離れた地でもそれぞれの人の心に影を落としているようです。冒
頭に書いたように一日も早い復興を待つのみです。
内戦に揺れるアフリカのある国の先生たちは子供達の精神的痛手を癒すために、絵
を画かせていますが、そのための色鉛筆やクレヨンが全く不足しているそうです。日
本ではそんな不自由なことはありませんが、学校で心の癒しがされるのでしょうか。
復興とは経済や町作りだけでなく、一人一人の気持ちの中も復興されなければ終わ
らないものなのですね。従軍慰安婦や残留孤児の心がいまだに癒されていないように。
(游)
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