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2011年2月22日 (火)

游氣風信 No61「新年のことば 」

游氣風信 No61「新年のことば 」

三島治療室便り'95,1,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/ 


《游々雑感》

新年のことば

 数年前から「医道の日本」という鍼灸専門誌に「新年のことば」を掲載させていた
だいています。毎年11月頃「来年の新年のことばを200から300字で」と依頼がくるの
です。掲載者は今年の一月号で見ると295人の執筆者からなる膨大なものでした。

 「医道の日本」誌は昭和13年10月(1938)創刊以来月刊を維持してきたと言う我が
国でも希有の雑誌として創刊500号記念号は一般のマスコミでも話題となりました。
(500号には私も原稿を依頼されるという栄誉に浴しました。これはちょとした自慢
です。)

 1995年1月号でなんと通巻605号。一民間業界誌それも比較的地味な鍼灸業界の専門
誌としては驚くべきことではありませんか。

 私は鍼灸師の背後にこうした一本の背骨のごとき支えがあることを誇りにも思うの
です。

 今日改めて古い新年号を引っ張り出してみましたら、初めて「新年のことば」を書
いたのは昭和62年、1987年でした。それから毎年執筆し今年で既に9回目になります。
月日が経つのは早いと月並みな驚きとともに机に積み上げた「医道の日本」誌をしば
らく眺めておりました。
 今月は今までに書いた「新年のことば」をここに抄出して紹介しようと思います。
私の個人の歴史ですが、時代を物語る一面もありますから。

1987年(昭和62年) 33歳

捨てきれない荷物のおもさまへうしろ 山頭火
 自分から捨てられるものをどんどん捨てていったら一体何が残るだろうか。父であ
ること・夫であること・子であること・治療家であること等の肩書、金銭欲・性欲・
食欲・名誉欲等の欲、過去の体験・教育から得た常識、本からの知識、思い出、こだ
わり等々。一切がっさい捨てた時、そこに素裸の、正真正銘の自己が存在しているの
ではないだろうか。 私達の役目は、人の病気と付随する苦しみを除去することであ
る。そのために、鍼も灸も捨て、何もない自分でも人の役に立てる、そんな自分を創
らなければならない。

☆☆☆☆
 この頃は自分とは何かを結構一生懸命考えていました。身ぐるみ脱いだ時、いった
い自分は何なのだろうというおそらくは誰もが抱く疑問を私も人並みに抱いていたの
です。とりわけ私の仕事は会社のような後ろ盾がある訳ではないし、誇れる学歴も家
柄もありません。そんなちっぽけな自分でも存在価値はあるのではないかということ
を、根源から問おうとしていたようです。今はその問題は「ヒト」と「人間」とテー
マを変えています。

1988年(昭和63年) 34歳

 長野県佐久地方にある妻の実家では、毎年味噌・醤油を自家醸造している。こうし
た文化はそれぞれの民族の宝であり永く伝えられるものであろう。 
 人間の歴史は文化を引き継ぎ、何かを付加し、次に伝えることで築かれてきた。と
ころが近年に至って、歴史の流れが次々分断され、先の味噌・醤油も家の伝統から全
く異質の工業製品に換わり、漬物を含めた発酵食品という財産そのものを失いつつあ
る。
 安易さ、経済性を重視することで大切な文化・自然を破壊し、次に伝えられないと
したら、我々の世代の責任は大きい。
 鍼灸も永い歴史を持つ文化である。しかし、本当にその文化を受け止めている治療
家は何人いるだろう。自分自身を含めて、見つめ直したい。

☆☆☆☆
 これも自分探しの一面です。自分を個人の中で突き詰めるのでなく、社会や歴史の
中で捕らえるほうがより鮮明に見えてくるのではないかと考えていたのです。文章が
この《游氣風信》と違ってちょっと横柄というか生意気な印象を与えるかもしれませ
んが、それは購読層の違いと掲載誌の質を落としたくないという気負いからです。《游
氣風信》は無理やり手渡して読んでいただくという意味合いもあって文章を極力てい
ねいにしてあります。

1989年(昭和64年 平成元年) 35歳

 お魚博士で有名な故末広恭雄博士の娘さんで音楽家の末広陽子さんが、雑誌の対談
で興味深い話をしておられる。要約すると「作曲家の作品には作曲家の思いが込めら
れている。同時にそれを演奏する人にも作品に込める思いがある。そこに両者の接点
がある。しかしその接点を捜し出すにはピアノの勉強だけではだめで、両者に人生や
自然から得た豊かなものがないと接点が作れない。」ということである。
 治療師と患者の場合、目的は治癒であるが、今の話のような接点となると何であろ
う。芸術と同様に治療を通して、互いの人生がより豊かになれたら素晴らしい。人と
人との触れ合いから生まれてくる豊かな何か。これこそ文化と呼ぶにふさわしいもの
ではないだろうか。

☆☆☆☆
 これも「自分とは」という問題を文化の中で考えようとしているようです。文化と
は何か。それは人間にあって動物に無いものです。つまり人の営みは善悪を超えて全
て文化となります。文化をより良い方向へ導くのも、愚かな道を歩むのも文化なので
す。例えば原子爆弾などは科学の粋を集めた文化の極みですが同時に人の最も愚かし
い面が巨大化されたものでしょう。

1990年(平成2年) 36歳

 孔子が読まれているそうである。いまさら2500年前の思想でもあるまいと思うが、
科学的成果によるテクノロジーの使い方が分からなくなった混迷の現代に、天命に沿
う孔子の思索から教えられることは多い。まさに子曰温故而知新である。
 流行の“気”も、単にテクノロジーとして重宝がっているとしっぺ返しがくる。

☆☆☆☆
 「気」や「占い」、「霊魂」などのブームの走りがこの頃から始まったのでしょう。
物質文明の行き詰まりから解放されたいという大衆の心がこうした方向に目を向けた
のです。これも根本をしっかり持っていないとブームに躍らされるだけで終わってし
まいます。大切なのは「気」ではなくてそれを用いる人なのですから。孔子も「今の
時代は霊や占いなど怪しい物が流行っているが私はそれを信用しない」と言っていま
す。あの時代も今もあまり変わらないようです。孔子は人の生き方の背後に天という
絶対的実存を立てたのでした。

1991年(平成3年) 37歳

 昨年は2つのことに挑戦した。1つは月刊の個人広報紙を「游氣健康便り」という紙
名で発行したこと、もう1つはパソコン通信を試み始めたこと。
 パソコン通信は、書斎が電話回線を通じて世界に開かれていると思うと、時代を生
きている気持ちにはなる。鍼灸師主催のネットによる成果も本誌に発表された。時間・
空間を超えたコミュニケーションに参加するのも一興。乞う同胞。

☆☆☆☆
 この前年から《游氣風信》が始まったことが分かります。当時は「游氣健康便り」
という名前でした。これは健康情報を中心にしたものでしたが、むしろ健康情報過多
による不安神経症的社会にこれ以上加担する必要もないと軽い読み物に内容を変えた
のです。また、この頃からパソコン通信を始めました。パソコンやワープロを電話線
とつないで手紙を出したり、新聞を読んだり、仲間と話し合いをしたりできるのです。
大もとのコンピューターに全て記録してありますから場所も時間も問いません。何時
でも自分の都合のいいときのつないで手紙を読んだり送ったりできるのです。
 新聞には毎日実態のはっきりしないマルチメディアの記事が出ていますが、それな
らまずパソコン通信を試みられることを提案します。空間も時間も超越した通信媒体
は人生に厚みを加えてくれることは間違いありません。上述のように自分の書斎が世
界につながっていると思うだけでも豊かな気持ちになるのです。しかも今は携帯用の
ワープロで公衆電話や携帯電話からでも交信できるのですから愉快なものです。私は
俳句の結社誌の原稿も時々パソコン通信で送っていますし、若い連中は遠く離れた仲
間とパソコン通信俳句会や連句をしているのですよ。それは時間も場所も限定されな
いから可能なのです。

1992年(平成4年) 38歳

在宅ケア
 最近在宅ケアの機会が増えた。そして訪問先で色々な経験に出会った。付き添って
いる年老いた妻が、精神的に追い詰められて入院することもあった。そこに若い人達
の協力的な介入がない。家族関係がうまく機能していない。親も何故にと考え込んで
しまうほど子供達に遠慮している。
 病む人とその周辺に現代社会の抱える様々な歪みが凝縮して露呈している。医療や
家庭、教育や経済の・・。

 鍼灸師は彼らの苦難に共感しつつ、彼らを明るく励ましていかねばならない。医療
的技術の提供と精神的支えを媒体として。すべては明日は我が身の問題なのだから。

☆☆☆
 これは辛口のコメントです。この年の文は掲載しようか迷いましたがここに書いた
人はすでに亡くなっていますのであえて掲載いたしました。幸いなことにここに書か
れているようなことは急速に改善の方向に向かっています。政府が在宅介護の計画を

明確に打ち出したからです。そのことは翌年の「新年のことば」に伺われます。

1993年(平成5年) 39歳

 本誌に在宅ケアが特集される時代が来た。私も開業以来10数年、常に何人かの在宅
患者を診てきて、現在も保険制度の元で訪問している。彼らの殆どは快方に向かうこ
とは不可能な病気もしくは障害を抱えている。したがって彼らに対する行為の主体は
治すキュアではなくあくまでケアである。
 最近は患者に関わる医師や保健婦、ケースワーカー、ホームヘルパー、家族たちと
の在宅ケアについての会議に呼ばれたりもした。過去の経緯、現状から将来への展望
まで実にきめ細かな話し合いが業種を超えて対等に行われる。その熱意には襟を正さ
ずにはおれない。ところが治療家は訪問先でそれらの業種を一手に引き受けることに
なる。つまり治療家としてマッサージ機能訓練を施すのみならず看護婦、ケースワー
カー、カウンセラー、ホームヘルパー、ちょっとした病気の相談、時には夫婦喧嘩の
調停員や棚作りの便利屋までをこなさなければならないのだ。

☆☆☆☆
 以前は口コミで患者さんから訪問治療の依頼を受けていたものでしたが、この頃か
ら保健婦やホームヘルパー、病院のケースワーカー、あるいは直接主治医から電話を
いただくようになりました。それまでひっそりと障害と闘っていたり、介護に疲れ果
てていた家族に多少なりとも行政の目が向いたのです。福祉に関しては北欧と比べる
とまだまだあまりにお粗末だという記事が朝日新聞に連載されていましたが、まだ過
渡期どころか端緒についたばかりですからしかたありません。急いで充実させて貰い
たいと願うのみです。それでも数年前に比べれば隔世の感とはこのことです。以前は
在宅患者の体は不潔でした。シーツの上に剥離した皮膚が山のように積もっているこ
とも珍しくありませんでした。仕方ありません。高齢の家人が精一杯の努力をしても
体力的に限界があるのですから。しかし、今はどの患者さんも磨かれたようにぴかぴ
かしています。大袈裟でなく。それは月に1~2回の入浴サービス、あるいは週一回の
デイサービス。とりわけ週二回のホームヘルパーの訪問。これら社会資源を有効に利
用できるようになったのです。まだ、こうしたサービスを知らない人もありますし、
かたくなに拒否する人もありますが今のところ良い方向に進んでいるようです。ただ
し、行政の予算がどこまで持つのか。政治改革や行政改革、税制改革、なにより国民
の意識改革など問題は山積み。上手にやり繰りしてもらいたいものです。

1994年(平成6年) 40歳

 社会性とは人は社会に支えられないと生存不可能という認識とそれに報いる行為で
あろう。人間は人から学び人に施すという社会性と、過去の人々の貴い経験考察の蓄
積の恩恵という歴史性を有する。これらを踏まえて生き、将来に伝えようとする人の
ことを社会性ある人間というのである。
 教育者の故林竹二氏は「人間であることと人間になることは違う」と言われた。人
間になることは即ち社会性・歴史性を持つことであり、それは教育によってなされる
のだ。
 鍼灸師の社会性もこの方向にあることは間違いない。

☆☆☆
 《游氣風信》は毎月「医道の日本」編集部へ送っていますので寄贈雑誌コーナーに
紹介していただいていますから、まれにそれを読んだ鍼灸師から送ってほしいと依頼
がきます。今まで何通も送っているのですが「受け取りました。」という返事を受け
取ったことが実にただの一度しかありません。別の一般雑誌に紹介されたときに送っ
た方たちからはていねいな読後感を送っていただいたにも関わらずです。別に礼状が
欲しいわけではありません。何年か前、鍼灸師の間に質的向上をしよう、社会性ある
鍼灸師、社会から認知される鍼灸師になろうという掛け声が上がったことがあったの
ですが、こうしたちょっとしたことが社会性なのではないかと憤りを押さえて書いた
のが上記の「新年のことば」だったのです。ちなみに返事をくださった鍼灸師は彼自
身立派な「治療院便り」を発行している人でした。

1995年(平成7年) 41歳

 友好関係にある地元医師会と鍼灸師会を通じて在宅ケアを依頼された。患者は両親
が介護している。背後に両親の目を感じつつのリハビリは辛い。長寿社会とは親が子
を介護しなければならない社会でもあるのだと痛感した。
 しかし、幾多の困難を内包しつつも新年をおおらかに喜びたい。

☆☆☆
 現在、親が子を介護している家庭を3軒受け持っています。長い人は37年にも及び
ます。その方は最近になるまで在宅治療のことを知らなくて、最近になって保健婦さ
んに私を紹介されたのでした。家族で頑張るのは限界があります。現在は医療の進歩
から介護の期間が依然とは比較にならないほど長くなっていますから患者も家族も疲
労困憊になってしまうのです。しかし、ゆっくりながらも社会の目がこちらに向かい
つつあります。なぜなら自分も何時かは年を取る、あるいはそれ以前に障害という困
難になる可能性も避けられないというしごく当たり前なことに多くの人達が気付き始
めたからです。
 上の文章の末尾と同じく幾多の困難を内包しつつも喜びをもって新年を祝いましょ
う。

《後記》
 新しい年。しかし地球はあいも変わらず宇宙空間を猛然と爆発気流に乗って飛んで
います。そんな悠久な時間の流れを一年毎に区切って、心を新たにするという古人の
知恵に乗っかるのはとても賢い過ごし方ではないでしょうか。
 何はともあれ
「新年おめでとうございます。」
「HAPPY NEW YEAR!(幸せな新しい年を)」

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