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2011年2月22日 (火)

游氣風信 No60「第九コンサート 」

游氣風信 No60「第九コンサート 」

三島治療室便り'94,12,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/


《游々雑感》

第九コンサート

 「今年も早いものでもう師走。」
という毎年恒例の感慨に心動かされる月がやって来ました。
 このところの師走の恒例となれば言わずとしれたベートーヴェンの「第九」です。

 近所に住む稲垣さんのご子息で声楽家の稲垣俊也さん(バス・バリトン・・男声低
音部と中音部)がイタリアで行われたオペラ歌手の登竜門として名高いパルマ国際声
楽コンクールで見事優勝、日本各地で凱旋リサイタルをされたのは1992年12月のこと
でした。
 新婚間も無い遠藤久美子夫人(ソプラノ・・女声高音部)との共演は実に華やかな
もので、リサイタルは同コンクール日本人初の優勝を祝す人達で大盛況でした。

 その時の俊也さんの言葉で印象的だったのが
「地元にオペラという文化を根付かせたい。」
ということでした。

 今回俊也さんはそれを実践すべく、歳末の恒例となった市民によるベートーヴェン
の「第九」を歌う会に出演されたのです。そのために時々地元一宮市のアマチュア合
唱団の指導のために東京から来られたと聞きました。
 わたしは11月になって市の広報や街角のポスターなどで「第九」の開催を知ったの
ですが、正直なところ始めは聞きに行く気は全く無かったのです。なぜなら、いくら
プロの声楽家が4名客演するからと言ってもしょせんは素人の合唱。あえて聞きに出
掛ける程のものではないだろうし、「第九」は結構長くて退屈な曲だし、オーケスト
ラも「一宮第九記念オーケストラ」というのじゃあなんとなく期待できそうもないし・
・・。果たして入場券2500円の価値はあるのだろうかなどとという計算もありました。

 実は12月は20日に旧知のサキソフォン演奏家三日月孝さんが服部真理子さん(高校
同級生の奥さん)のピアノ伴奏でリサイタルをするのでそちらを聞きにいく計画を、
すでに4月頃には立てていました。年末の音楽はそれでいいと決めていたのです。

 そんな訳で、「第九」のことは忘れていました。
 ところが、「一宮第九をうたう会」の練習場になっている市の施設に努めている方
が、「最近めきめき上達してるよ。気の毒なくらいしごかれているから。」
とおっしゃいますし、妻が俊也さんのお母さんから、
「『第九』は第四楽章だけで、あとはワルツやアリア(オペラの美味しいところ)を
やる予定だから是非。」
との情報をお聞きして、じゃあ行ってみようかと重い腰を上げたのでした。

 当日、家族や近所の母娘連れと出掛けてみて予想は見事に裏切られました。良いほ
うにです。とても素晴らしいものでした。
 確かにコーラスのハーモニーは危なっかしくてわたしごときの素人耳にも分かるほ
どあちこち乱れました。歌詞も、もたつくところが一杯ありました。でも原語のドイ
ツ語で歌うのですからしかたありません。
 しかしクライマックスなどは見事に歌い切ったなあと感心いたしました。やはり今
年で七回目ともなれば練れてきているのでしょう。本当に市民合唱としては見事なも
のでした。
 拝見したところ合唱団員は50歳から60歳台の方が多く、女性の方にやや若い人が目
につきましたが意外に年齢層が高いこと、その人達があれだけの曲に挑戦し、歌い切っ
たことに感動は禁じ得ません。
 さらに驚くべきはオーケストラでした。以前に聞いたウィーンフィルほどの透明感
ある演奏は望むべくも無いとしても、これまた素人が聞くには十分すぎる音色で、と
りわけパーカッションの安定した響きとコンサートマスター(バイオリンの首席演奏
者・指揮者を除いたオーケストラ全体のボス)の繊細なバイオリンソロは立派なもの
でした。
 「待てよ。」
と改めてパンフレットを読みますと、何のことはない、このオーケストラは
「平光保を常任指揮者とし、岐阜県下唯一のプロフェッショナルオーケストラである
各務原室内管弦楽団のメンバーを中心に東海地区生え抜きの優秀なメンバーによる云
々」
と書いてあるではありませんか。なんだ、プロの集団だったのです。うまいとか下手
というレベルはとうに越えているのですから演奏が一人前で当然なのでした。

 交響曲第九番「合唱付」を作曲したとき既にベートーヴェンの聴力は無く、初演を
指揮した彼には会場に鳴り響く拍手が聞こえなかったそうです。指揮者は客席に背を
向けているからです。演奏家がそっと彼の向きを変えますと万雷の拍手を打ち鳴らす
手が見えて、大好評であったことを納得したと高校で習いました。
 外界の音を失ったベートーヴェンは自らの内なる声を聞いてこの曲を作ったのだろ
うか、などと考えながら聞く合唱はいかにも感動的だったのです。

 ただ、なぜ年末に、日本全国どこもかしこも「第九」なのかは理解に苦しむところ
です。誰がどこで始めたのかも知りません。臍曲がりかもしれませんが新たな年を迎
えるにふさわしいやり方は外にもあるだろうにと思うのです。
 クラシック音楽は極めてレベルの高いものであることは自明のことです。また日本
の演奏家の能力ももはや西欧に劣らない段階まで来ていることも十分承知しています。
俊也さんのように国際音楽コンクールで毎年何人かの日本人が優勝する時代です。
 しかしクラシックをやらねば文化的でないという考えも偏狭でしょう。日本には日
本の文化と呼べる歌がありますし、ましてや忘年行事なら外にも方法はあるでしょう
し。一か所二か所でやるくらいなら分かりますがどこもかしこも「第九」というのは
解せませんね。この主体性・創造性の無さにはいかに芸術性の高いものを演奏しよう
と、そこに“ものまね”は感じられても文化を見いだすことは困難です。

 まあ理由のひとつはふだん一般に縁の薄い交響曲をこの際身近に感じてもらうため
に演奏しよう、しかも「歓喜の歌」の大合唱に市民参加してもらえば年忘れにふさわ
しいだろうということなのでしょう。
 そこまで譲ってもまだ疑問はあります。ドイツの属国であった訳でも無いのになぜ
意味の分からない原語で歌うのかということ。メロディに日本語が乗らないからでしょ
うか。しかし当日、俊也さんはじめ当日のプロの歌い手たちは皆それぞれアリアを日
本語で歌われたのです。そこには歌の意味を伝えようという意図がくみ取れます。
 無理にドイツの古い言葉で難しくやることは結局はクラシックは高級なんだよとい
う旧来の弊を糊塗するに過ぎないのではないかとも思ってしまうのです。

 あんまりぶつぶつやると「ぼやき漫才」みたいになりますからもう止めます。
 今各地で「第九」をやっている人達もきっと深く考えてはいないのでしょう。惰性
でやっているのです。恒例とは案外そういうことなのかもしれません。一番始めにや
り出した人には明確な意図があったに違いないのでしょうが後に付随する人達は繰り
返すこと、継続することに意義を見いだすのです。(この《游氣風信》もそうじゃな
いかと言われそうですが。)
 NHKの紅白歌合戦もしょうがなく続け、しょうがなく見ているという図式ができ
て何年も経っていますしね。恒例とはそういうものなのでしょう。

《後記》

 名古屋の美大を卒業後スペインにアトリエを構えている紀平晃子(のぶこ)さんの
個展が名古屋栄の画廊“4CATS”で開かれました。知り合いのフリーライター中
村設子さん(先月号で紹介したベータ・カロチンの本を書いた方)の是非にというお
薦めもあって見にでかけました。
 紀平さんはスペイン在住が長くなるにつれて日本的なものの良さに引かれるように
なったとおっしゃいました。確かにそこに置かれている作品は漆喰(しっくい)や日
本紙などの素材とスペインの色合いや紙、ブーゲンビリア(鮮やかな花の一種)など
で不思議な世界を彩っていたのです。

 12月11日は俳句の会の用事と忘年会のために東京まで行ってきました。前日変電所
が火事になった影響で山手線がひどく混乱して、平日のラッシュのようなありさまで
したが、無事その日のうちに帰って来れました。

 当日俳句の黒田杏子先生から古い俳句の仲間で最近評判の本を出版された人を紹介
されました。彼女は4年間世界各国を回って、外国に住む日本人を取材していたのだ
そうです。その録音テープがじつに700時間。回った国は40カ国以上。本に登場する
人だけで108人。
 膨大な労力をそそぎこんだ本の題名は“「在外」日本人”、著者は柳原和子さん。
前著に「カンボジアの24色のクレヨン」などがあります。
 “「在外」日本人”は朝日新聞や読売新聞などの書評で絶賛されていますからご存
じの方もおられるでしょう。
 ここに登場される人達のインタビューに耳を傾けるということは、遠い世界からじっ
くりと日本を見つめなおすことになります。そこでかえって日本とは何か、日本人と
は何かが浮き彫りにされてくるそうです。そのあと国籍を越えて、人間とは何かを深
く考えさせられると書評子が書いていました。

 本文で触れたオペラ歌手稲垣俊也夫妻はイタリア生活が長く、今も行き来されてい
るようですので2つの異なった文化圏の中から何かを学んでおられるでしょう。
 先の画家紀平晃子さんも「在外」日本人の一人になるわけですが、彼女もまた日本
を離れることで日本の美を再発見できたそうですから、こうした人達の視点がこれか
らの日本人に本当に必要になってくるのではないでしょうか。
 日本が国際社会として成熟できるかどうかという大切なときです。柳原さんの“「在
外」日本人”は時機を得た好著と言っても過言ではないでしょう。是非ご購読くださ
い。彼女は世界を遍歴するために大変な借金をしたそうですから。(これはプライバ
シーにかかわる重大秘密ですから本来こんなとこに書いちゃいけないのですが。)
 こうした地道に文化を支えている人達を支援するのは本や絵を購入すること、コン
サートに足を運ぶことです。子供や孫にくだらないテレビゲームソフトを次々買い与
えるくらいならその中のわずかばかりのお金をこうした人達に回してください。(文
化と無縁のわたしに回して下さることもそれはそれで立派な行為だとわたしは思いま
すが・・。)
 “「在外」日本人”2900円、晶文社。ゲームソフトの半分の値段です。573ページ
と分厚い本ですが108人の章仕立ですからどこから読んでも構わないのです。

 1990年(平成2年)1月から始めたこの通信も今月号で60号を達成しました。ちょう
ど丸5年が経過したことになります。ワープロが壊れた一回を除いて月刊を貫きまし
た。よく続いたものと我ながら感心しています。1号からずっとこの駄文に付き合っ
てくださっている方も何名かおられます。心から感謝いたします。
 この先はどうなるか分かりませんが、いままで同様無理せず気楽に続けようと思っ
ています。どうぞお付き合いください。

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