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2011年2月22日 (火)

游氣風信 No57「夏去りて」

游氣風信 No57「夏去りて」

三島治療室便り'94,9,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/ 

《游々雑感》

夏去りて

 すさまじい暑さと日照りを秋に残したまま夏が去って行きました。
 この夏の暑さは全く厳しく、驚異的、記録的、歴史的、前代未聞、殺人的、かつて
何人たりと言えども体験したことがないなどという形容が少しも誇張でないほど耐え
難いものでした。

 新聞の見出しには猛暑、酷暑、溽暑(じょくしょ・蒸すような暑さ)、極暑、炎暑
などとまるで俳句の歳時記のような言葉が踊って、暑さに一層の拍車をかけたようで
した。しかし、現実はそんな言葉以上の焦げ付くような厳しさで、誰もが犬のように

喘いだ夏の二カ月ではなかったでしょうか。

  極暑の夜父と隔たる広襖(ふすま) 飯田龍太
  念力のゆるめば死ぬる大暑かな    村上鬼城

 それに輪をかけて人々を苦しめたのが日照りです。

 昨年は雨の続く冷夏でした。冷害による米の大凶作で国産米を入手するために恐慌
をきたしたことはまだ記憶に新しいところです。
 それから一転して今年は旱魃(かんばつ・日照りのこと)。四国や九州の一部では
大変苦しい状態が続いています。
 木曾川の豊かな流れに恵まれているここ西尾張地方はさほどの心配もなく秋を迎え
ましたが、知多半島や東尾張地方は給水の時間制限がありました。

 11月に、愛知県と静岡県の境にある鳳来寺山で一泊吟行句会(現地に出掛けてそこ
で俳句を作り、句会を行うこと)を予定していますから、当地にお住まいの林業家O
さんと近郊を下見して来ましたが、川の水は少なく、日本の滝百選に入った「阿寺の
七滝」も寂しい限りでした。鳳来寺山は仏法僧という鳥で名高い景勝地です。

 幸いわたしの住む一宮市は周辺の市町村が小中学校のプールを取り止めたときでさ
えも、子供達は真っ黒に日焼けして水泳を楽しむことができました。水泳の苦手な長
女はプール中止を心待ちしていたのですが。 この地区が水に恵まれているのは豊富
な木曾川の伏流(川底の砂の下を流れる水)と地下水のお陰です。さらに昔からの強
力な水利権。

 宮沢賢治の詩としてよく知られている「雨ニモマケズ(手帳に書かれた11月3日と

いう日付のメモであって発表を意図したものではない)」には次のよく知られたフレ
ーズがあります。

  ヒデリノトキハナミダヲナガシ
  サムサノナツハオロオロアルキ
(日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き)

 「寒さの夏」は昨年のような冷夏、「日照り」は今年の夏。
 この詩は厳しい岩手県の気候の中で農民に共感して必死でもがいた昭和初期の賢治
の絶唱ですが、奇しくもここ二年が詩のようになってしまいました。

 当時は今のように日本が経済大国でなかったので、タイ米やアメリカ米を輸入する
力もなく、またそれらの国に売る余分もなかったでしょう。
 さらに工業用水を韓国から買ったり、スーパーでフランスの水が年中売られている
という信じられない光景が見られるはずもありませんから、人々の苦しみはいかばか
りのものだったでしょうか。その片鱗にほんの少しばかり触れたのがこの二年だった
ようです。

 しかし、夏はこうした厳しい自然の様相を見せる反面、生命が激しく燃え盛る季節
でもあります。
 若者はサーフボードを抱えて海へ出掛け太陽の生気を全身に吸収し、また多くの人
達は連れ立って高原へ涼を求め、深い緑の新鮮な空気を満喫します。

 夏、それは人生にたとえればまさに青年から壮年にかけての最も命のみなぎるとき
でしょう。
 空は濃く青く、入道雲が夏の勢いさながらの激しさでむくむくと湧き上がり、突然
の雷鳴と夕立をもたらします。
 樹々は深緑の葉で空を覆い、蝉は高らかに恋の歓喜の声をほとばしらせ終日倦(う)
むことがありません。
 せせらぎに舞う涼風が人に安らぎを与え、眼前をよぎる小鳥に生きている喜びを覚
えます。
 そう、夏は青春を謳歌するに最もふさわしい季節なのです。

 さらに夏にはもう一つの顔があります。それは誰もが自分自身の深みを否応無く振
り返らざるを得ないという側面。
 夏さなか、暦では立秋を過ぎるとお盆がやって来ます。自分の肉体の中をとうとう
と流れる血潮と魂の源に思いをはせるのがお盆。
 お盆には家を遠く離れた子供達も久しぶりに集って、門前に迎え火を焚いて祖先の
霊を呼びますと、盆提灯の青く灯る仏間には一種荘厳な静寂が立ち上がります。そこ
で時空を超えた家族のきずなを確認し合うのです。おじいさんやおばあさんが孫の手
を引いて身内の和を実感し合う、いわば過去と未来の融合する至福の瞬間と言えるで
しょう。

 そもそもお盆の由来は仏教の大切な行事です。 釈迦の弟子が亡き母の供養のため
にどうしたらいいか釈迦に質問しました。すると釈迦は

 「おまえの母は欲深だった。おまえは母に代わって貧しく飢えている子供達に施し
をしなさい。」
と指示したのです。ですからお盆のことを施餓鬼(せがき)と呼ぶ宗旨もあると聞き
ました(この項、自信はありません。正確には本で調べるなり、詳しい人に聞くなり
してください。)。

 お盆と前後して、夏の風物誌として無くてはならない高校野球があります。
 帰省した子供達が親を囲んでテレビを見ながら、なつかしい故郷の高校の活躍に胸
を躍らせるのが高校野球の醍醐味。帰省できない人達も球児の活躍に故郷を思います。

 試合に勝っても負けても高校球児の懸命なプレーに感動するファンは大勢いて、感
情移入のあまり選手と一緒になって泣きながら観戦する人さえいます。
 近年、高校野球の人気の凋落(ちょうらく)が言われますが、これは家族や故郷へ
の思いが希薄になったものとも考えられるでしょう。

 お盆に先立って誰もが心を痛めるのが8月6日の広島、9日の長崎の原爆記念日。そ
れらに続く15日は敗戦の日です。この日はちょうどお盆と重なって鎮魂(ちんこん)
の思いがなおさらつのります。

 空襲で家を焼かれた方、親族を戦争で失った親や妻や子、あるいは兵隊として外地
に出征した往年の若者、疎開先でつらい少年時代を送った当時の都会の子供たち、戦
後の食料難を必死でしのいだ人たちにとってその記憶はまだまだ生々しく、毎年この
頃になると戦争に対する怒りの感慨が込み上げて来ることでしょう。

 また戦友あるいは同期の桜という苦難を一緒に生き抜いた世代の連帯感と、辛かっ
たけど人生でもっとも充実していたという懐かしさもあるようで複雑な心理を一人一
人が持て余しているようです。
 特に近年は近隣諸国からさまざまな戦争責任を問われ、わたしたち日本国民が単に
軍国主義の被害者としてのみ戦争を語ることができなくなっています。

 情熱のたぎりをつくす生命の謳歌と裏腹に自分自身の遠く深い過去との対話、これ
が日本の夏ではないでしょうか。
 その夏をわたしたちは鮭のような故郷回帰本能で夏の数日をしみじみとした思いと
共に過ごすのです。わたしたちの体内に潜んでいる脈々と受け継がれた血潮が、日本
人全体を過去に向けるのでしょうか。

 一方で燃え盛る命の輝きを燃やし、一方で魂の奥を訪ねる、このふたつの矛盾が混
然と進行するのが夏。

 各地で夏の終わりを告げる精霊流しが行われると、わたしたちは過去への思いを川
の流れとともに混沌たる海に流し去って、再び実生活に戻って行きます。
 こうした営みが毎年繰り返されながら、それでも毎年違った人生を歩む、わたしは
そんな人の営みがどことなく螺旋階段を登り続けているように思われてなりません。

 夏、誰もいない居間に蚊取り線香の煙がくゆらいでいるとき、わたしは日本の夏を
強く感じます。それは燃える太陽でもなければ青く広がる海や緑萌える山でもありま
せん。
 わたしにとって、夏とはどうしようもないなつかしさなのです。故郷や昔の友達の
思い出などでないもっと奥深くから自ずと湧いてくるなつかしさ。

 発生学の三木成夫先生は人には昔々の血潮の記憶があって、それが北方指向、南方
指向を生み出す、あるいは海鳴りに限りない「なつかしみ」を覚えるのは遠い昔、海
で生命が発祥したという記憶が細胞の中に潜んでいるからと書かれていますが、どう
もそういった類いのなつかしさを覚えるのです。

 蚊取り線香に言いようもない日本の夏のなつかしさを感じる。わたしはひょっとし
て、もしかしたら遠い昔「蚊」だったのでしょうか。

《後記》

 大分の俳句仲間から“かぼす”を送っていただきました。箱を明けると鮮烈な香り
が飛び出してきて、口の中に唾がじわっと湧いてくるのを押さえることはできません。

 アメリカ人におすそ分けすると「オオ、ライム!」と言って目を輝かせました。

 徳島のすだち、大分のかぼす、西洋のライム、だいだい、ゆず、いずれもミカンの
仲間で、果肉を食さず、汁の酸味と香りを楽しむもの。
(游)

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