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2011年2月22日 (火)

游氣風信 No55「蝉」

游氣風信 No55「蝉」

三島治療室便り'94,7,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/ 


《游々雑感》

セミ

 どんよりした空を吹き払って、一気に夏がやってきました。梅雨明け宣言は出てい
ませんが(七月五日現在)、梅雨とは明らかに違った灼けるような夏空が広がったの
です。わたしは夏にはあまり強くないたちなのですがカッとした夏空は心が浮き立つ
ようで大好きなんです。(夏はビールを美味しく飲むために暑いという説もあります。
その証拠に夏になると枝豆が食卓に出てくるのだそうです。)

 車を走らせながら窓を開けると、驚いたことに万緑のポプラ並木からクマゼミの群
声が飛び込んできました。シャーシャーシャーシャーという鳴き声は「暑々々々」と
聞こえます。炎天下にもっともふさわしい大合唱ではありませんか。

 しかし蝉には鳴き出す順番があります。いきなりクマゼミではちょっと困るのです。
ものには順序というものがあると言うではありませんか。まず最初に梅雨の合間に木
陰からジーと静かに鳴き出すのはニイニイゼミでなくてはいけないのです。薄茶色の
可愛い蝉です。
 実はそれに先だってハルゼミというのが五月ごろ松林で聞かれるそうですが、その
鳴き声はギーギーという地虫のようなものですから、それを蝉と気付く人はよほどの
虫好き以外まずいません。したがって、蝉らしい第一声はニイニイゼミというのが一
般的でしょう。
 その次に聞かれるのが夏の真昼間のBGMにふさわしいアブラゼミ。夏の暑さをい
やというほど際立たせてくれますね。鳴き声はギリギリジリジリといったようにまさ
に焼け付く感じです。油蝉という名の由来が油を煮えたぎらせたような音からきたそ
うですからいかにも暑そうなのも頷(うなず)けます。
 わたしは羽根がギラギラテラテラして油紙のようだから油蝉と思っていましたが。

 アブラゼミと前後して登場するのがクマゼミ。黒くて大きいから熊のようだという
ことから命名されています。
 小学三年の夏、広島の山の中で初めてクマゼミを捕まえたとき、手の中で力強くブ
ルブルと羽根を震わせていた感触は今でもしっかり残っています。体は黒くて太く、
羽根は無色透明。
 このクマゼミを今年の蝉の第一声として聞いたので大変驚いているのです。おそら
く急に暑くなったのでいろいろな蝉がびっくりして地中から飛び出してきたのでしょ
う。

 蝉の名前は大体鳴き声から名付けられています。これは蝉の特徴がその鳴き声にあ
るからにほかなりません。姿を見せずにやたらと大きな声で鳴いているのですから当
然です。随分以前に、ある高名な外国人が「あの鳴く木を本国に持ち帰りたい。」と
言ったという有名な逸話もあるくらいです。

 ニイニイゼミ、アブラゼミ、カナカナ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシなど身近な
蝉はクマゼミ以外、全て鳴き声をその名にしています。ただし、カナカナはヒグラシ
が本当の名前で、それは光りの陰りを好んで鳴くからと言われます。すると「日暗し」
ということでしょうか。あるいは「日暮れ」の意味でしょうか。はっきりとは分かり
ません。

 さて、蝉の出てくる順序ですが、先ほど書いたようにハルゼミ、ニイニイゼミ、ア
ブラゼミ、クマゼミときて、秋口ちょうどお盆のころから九月中頃までツクツクボウ
シ、その後がチッチゼミとなります。
 チッチゼミは十月半ばまで鳴くそうですがその声は秋の虫の音のようでハルゼミ同
様蝉と分かる人はよほどの通で、まず身近にはいないでしょう。わたしですか?もち
ろん分かりません。

 以上は名古屋近辺の平野ことですが、関東以北ではあまりクマゼミはいないようで
すし、山に行きますと、ニイニイゼミのあとヒグラシ、ミンミンゼミときてアブラゼ
ミの順番のようです。

 お盆休みにちょっとした山に出掛けますと、昼日中はミンミンゼミ、午前中と夕方、
それからちょっとした日の陰りや雨の前にはヒグラシを聞くことができます。
 ミンミンゼミのミーンミンミンミーンという鼻が詰まったような声を聞くと「嗚呼、
日本の故郷に来たな。」という感慨もひとしおになりますし、ヒグラシのカナカナカ
ナカナという哀愁を帯びた声が山々に静かに響き渡ると感傷的な世界に浸ることがで
きます。

  うぶすなの深閑として蝉涼し  荻野杏子
           (うぶすなは生まれた土地のこと。産土と書く。)
俳句仲間の荻野さんの句の蝉はヒグラシのことだと思います。

 ミンミンゼミは黒い胴体ですが、クマゼミより一回り細く頭の緑色が印象的です。
翼は無色透明。カナカナはさらに小さい黒い胴体に無色透明の羽根です。

 北杜夫さんの「どくとるマンボウ昆虫記」に、芭蕉の

  しづかさや岩にしみ入る蝉のこゑ

という有名な俳句に対するおもしろいエピソードが紹介してあります。この蝉とはいっ
たい何の種類かということです。

 北杜夫さんのお父さんはかの高名なる歌人斎藤茂吉ですが、茂吉はこれをアブラゼ
ミと考えました。それに対して小宮豊隆という著名な評論家から次のような反論をさ
れたのです。

 「第一にアブラゼミでは俳句の雰囲気にそぐわない。第二に芭蕉が出羽(今の山形
県)立石寺に入ったのは元禄二年五月下旬、今になおすと七月始めであり、まだアブ
ラゼミは鳴かない季節だ。」

 短気で負けず嫌いな茂吉も反駁(はんばく)します。
 「ほそい声のニイニイゼミをしずかとか岩にしみいると聞くのは当たり前すぎる。
わたしは近代的感覚から群れ鳴く蝉の中にいて静かさを感じ取ったと解釈したのだ。
しかしわたしは芭蕉を近代人として買いかぶっていたようだ。」と第一の件には反論
しましたが、第二の季節のほうは言葉でごまかすわけにはいかないので、実地検査を
試みたのです。

 昭和三年夏、茂吉先生、ついでの用事で立石寺にでかけました。しかしこれは八月
三日のことで遅すぎて役にはたちません。翌年現地の人から七月始めにアブラゼミが
鳴くこともあるとの便りを得て勢いたち、翌年太陰暦で元禄二年五月二十日頃を太陽
暦に換算して七月七日頃出掛けたのです。しかし当日は大雨で蝉の声聞けず、翌日も
同じ、断念せざるを得なかったのです。
 その八月、現地に出掛けた彼の目の前には頼んでおいた蝉の標本がずらりと並べら
れました。大部分はニイニイゼミだったのですがアブラゼミの標本もあり、我が意を
得たりと早速写真に撮らせたそうです。
 
 彼の負け惜しみの文章は原文のまま紹介しなければならないでしょう。
 「私の結論にはその道程に落度があって駄目であった。動物学的には油蝉を絶対に
否定し得ざること標本の示すごとくであるが、文学的にはまず油蝉を否定していい云
々。」

 斎藤茂吉の執念には脱帽です。傍線のように昭和三年、四年、五年と頑張ったので
すから。またその負け惜しみの強さも尋常ではないでしょう。まさに感動ものです。

 彼が自説を引き込めることは極めて希なことであったと子息の北杜夫氏は書いてお
られます。いざケンカとなるとホノオのごとくいきりたち「俺と戦う者はかならず死
ぬ」などとわめいたとのことです。どくとるマンボウさんならではのユーモアエッセ
イ小説のことですからどこまでが本当か分かりりませんが、茂吉という人の卓越した
個性を物語る面白いエピソードですね。

 立秋も過ぎ、庭の朝顔が日ごとに鮮やかになる頃、どこかからツクツクボウシの声
が聞こえだします。この頃になるとめっきり朝夕の風の涼しさに夏も終わりだなとい
う安堵と一抹の寂しさを味わうことになりますが、この蝉の声が秋の訪れを決定的に
告げてくれるのです。

 オーシンツクツク・オーシンツクツク・オーシンツクツク・ムクレンギョー・ムク
レンギョー・ムクレンギョー・ジーと聞きなします。(聞きなしとは虫や鳥の声を人
間の言葉に置き換えること。意味を持つことも持たないこともある。カッコーを閑古、
ブッポーソーを仏法僧と言うように。)
 オーシンツクツクと繰り返し威勢よく鳴いているところに人が近づくとムクレンギョ
ーと変わり、最後にジーと鳴き止むのです。地方によってオウシンゼミとか法師蝉と
かの呼び名があります。
 色は暗い緑色の小さな蝉で、羽根は無色透明。

 蝉は地中で数年間の幼虫時代を過ごした後、わずか一週間ばかりの成虫の期間を子
孫を残すために雄は雌を求めてせわしく鳴き叫び、子孫繁栄の営みの後その生涯を終
えます。雌も受精、産卵をして短い地上生活を生き急ぐのです。
 たった一週間は短いようですが、幼虫期間をいれると最も長生きな昆虫です。
 暗い長い、しかし安全であろう地中生活を経てからが大変です。残された一週間の
間に恋愛の相手を探し、求愛し、一挙に産卵まで持って行かねばなりませんから。映
画に誘ったりダイヤを贈ったりの無駄な手順を踏む事なく、ただ種族保存のために邁
進(まいしん)するとなればあの鳴き声の騒がしさも理解できようものです。
 
 こうして喧噪とも言える蝉の短い夏が終わり、主役の座はコオロギなどの秋の虫た
ちに移ります。

 今回参考にした手持ちの「どくとるマンボウ昆虫記」は昭和四十三年発行の角川文
庫で、紙が茶色く変色し、作中のすべての昆虫名には横線が引いてあります。われな
がら随分一生懸命読んだとみえます。四十三年ならわたしが中学三年生ですから、な
んと我が娘の年齢です。感無量。
 同書にクセナークスという人の詩が紹介してあります。

  蝉の生涯は幸いなるかな
  彼らは声なき妻を有すればなり

 蝉が鳴くのは求愛する雄だけで、雌は声を発しません。蝉の雄は物静かな妻を娶(め
と)ることができて幸せだという皮肉だが的を得た詩。いずれにしてもクセナークス
に乾杯。

《後記》

 今年になってわたしが以前業界誌に書かせていただいた原稿が共著という形で相次
いで出版されました。
 一つはエンタープライズ社刊の「マニピュレーション症例報告集」(マニピュレー
ションとは手による治療のことです。)に「身体調整と心臓発作」という題の論文。

 もう一つは8年前のものの再刊ですが医道の日本社刊「創刊500号記念特集 圧痛点
による診断と治療及び指頭感覚」に「触れる心『接触』から『触れ合い』へ」という
もの。
 どちらも大勢の著者の中の一人として参加しています。ご希望の方にはコピーをお
送りします。
(游)

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