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2011年1月25日 (火)

游氣風信 No42「名前と不安 与謝野晶子 新茶」

游氣風信 No42「名前と不安 与謝野晶子 新茶」

三島治療室便り'93,6,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

 


《游々雑感》

名前と不安

 在宅ケアに訪問したお宅の庭に、青い小さな花をつけた雑草が、風に吹かれてとて も涼しげに揺れていました。この頃あちこちで群生しているのを見かけるのですが、 しかしそれは近年のことで子供の頃は見ていなかったような気がします。

 草の名をその家の人に聞いても「知らない。」と言うし、草花に詳しい患者さんも 「分からん。」、訪問のヘルパーさんも「さて何でしょう。」と答えるばかりです。

 家に帰って家人に花の特徴を言って尋ねても「現物を見ないことには何とも言えな い。」とは至極もっともなことです。

 その雑草は身の丈40センチくらい。太さ2ミリ程度の真っすぐ伸びる薄い緑色の茎 の先の方に淡い青紫の花が穂のように2、3個咲いて風に優雅にそよいでいます。茎に は葉がなく、蕾が点々と根までついていますが咲いているのは上のほうだけです。そ れが青い穂に見えるのです。根元にはマツバボタンのような葉っぱがあって花の形は イヌフグリに似ています。

 庭や道端、荒れ地や土手などにかなりたくさん咲き乱れています。しかし適当な間 隔をおいて生えていますからなかなか涼しげで見飽きることがありません。雑草です が庭に栽培してもいいほどです。

 誰も花の名前が分からないとなるとかえって気になって仕方がないものです。そこ で実際に花を根っこから持ち帰って家の図鑑で調べてみましたが載っていません。検 索図鑑にも植物図鑑にも園芸植物図鑑にもありません。それではと俳句大歳時記も見 てみましたが見当たりません。

 さあこうなるとますます気になるし、意地でも名前を調べずにおくものかと闘志を かき立てられます。
 翌日、書店で野草辞典や植物図鑑を片端から調べました。ところがどの本にも掲載 されていません。店員の目を気にしながらページをめくっているうちに5冊目くらい でやっと見つけることができました。

 その名はマツバウンランです。多分聞いたことがないと思います。それもそのはず 北米産の帰化植物とあります。図鑑には近畿より瀬戸内に自生とありますが近年こち らにも広がって来たのでしょう。
 イヌフグリと同じゴマノハグサ科ですから花の形が似ているのです。ウンランとい う黄色い花もありますが、これもゴマノハグサ科です。しかし花も枝や葉の形も全然 違います。葉はマツバボタンにそっくりですからマツバと命名されたのでしょう。

 なにはともあれこれで安心して眠ることができます。

 随分前、短歌の総合誌に有名歌人の日記的エッセイが連載されていました。小池光 という歌に評論に大活躍している歌人が担当の折りに、氏が名古屋の短歌全国大会に 行ったときのバスでの出来事について書いていました。


 それは小池氏が大会の司会をするために名古屋駅から会場に向かうバスに乗ってい
たら、すぐ前で自分が幹部を努めている結社誌をやおら取り出して読み出した正体不
明の青ジャンパーの青年がいてとても驚いたという内容です。


 その書かれた状況からすると正体不明の青ジャンパーは私に違いありません。なぜ なら私自身バスの中でこちらをじろじろ見ていた変なおじさんが壇上で岡井隆(中日 新聞の一面に毎朝「今朝の言葉」とかを連載している)とか塚本邦雄(同じく毎日新 聞の一面に以前連載していた。今も続いているかは知りません)などそうそうたる人 の間に入って司会をしているのでびっくりしたのですから。


 そして私は当時小池氏のいる短歌の会(短歌人)に所属していて、バスの中でその 雑誌を読んでいたのです。
 当時、小池光という名前は良く知っていたのですが、顔は知りませんでした。

 それで早速小池氏に手紙を書きましたら返事が来て

「青ジャンパーはあなたでしたか。何によらず謎が解けると安心します。」

とありました。
 このように花の名前だけに限らず謎が解けるとほっとするのです。

 謎を謎のままに置くことは意外に気力が消耗します。謎を究明する探求心というの は案外この不安からの脱却なのかも知れません。あるいは不明を明らかにするのは人 の本能なのでしょうかね。謎は危険を感じさせます。敵の存在に気付きながらどこに いるかはっきりしない不安と恐怖の状態なのです。

 昔から人は動物や植物に名をつけ、道具にふさわしい名称を与え、人の名も本名、 あだ名、呼び名と使い分けあていました。名をつけることで対象が把握できた気がし て安心するのです。体調がおもわしくないとき病名を知ったらなんとなく安心できま すし、受験校が決まったら合格したような気がするのはどなたも体験済みでしょう。

 また呼び方を変えることでで人やものとの関係がちょうどいい具合に成立するので す。初対面なら山田さん、親しくなれば山田君、さらに山ちゃんなどと変わることで、 お互いの親密度が図られるのですね。
 さらにものの名が分かると本質まで理解できたと勘違いします。それは本を買って しまったらもう既に読んでしまった気になるのと似ています。

 名が分かるとなんとなく腑に落ちるのです。逆にそのために腑に落ちやすい名を付 けるよう努力します。それは個人の力でなく人々の間で自然に取捨選択されて名が決 まり、その名も時代や社会の価値観の変遷と共に変わっていきます。
 女性の着物であるスカートはバドミントンではスコートと呼びます。針は釣りや縫 い物の道具ですが、治療に使うものは鍼となります。状況に応じて使い分けるのです ね。

 また自分の子供のように無名のものに名を付ける権利を得たらその子に親の期待を 込めて名付けるでしょう。今の流行は翔の字だそうです。お相撲さんにもよく見かけ ます。大きく羽ばたいて欲しいという願いです。それだけ今の時代が閉塞しているの かもしれません。

 こうして身の回りのものを明らかにして自分の安心を得ているのです。そうすると なんとなく身軽になります。。

 そのものの名を知ることで人と共通の場に立つことが可能になります。それによっ て社会性を得て、かつ民族共通の歴史に生きることにほっとするのではないでしょう か。もしそうでなければ伝達性を無視して庭先の花に自分勝手に名前を付けておけば よいはずです。自分だけの識別のためらなそれで十分なのですから。
 しかしそれでは共通の認識が持てません。社会や歴史からの拒絶感がより強まり、 孤独感にさいなまれる気がします。

 そんな訳で、今日もどこかで親子連れが野草図鑑や昆虫図鑑、魚類図鑑を携えて森 や山や河へ出掛けます。そこまでしなくても動物園や水族館で「ああ、こいつはこう いう名前だったのか。」と旧知の友に会ったような懐かしさを覚える、あるいは名を 知って急に親しみを覚えたりするのでしょう。

 その命名に先人の知恵や工夫やユーモアを読み取って感心するのです。
 そんな図鑑など興味がないという方も一度本屋の図鑑コーナーに行ってご覧なさい。
実にさまざまの図鑑が積んであるのに驚かれることでしょう。それだけ売れているの です。
 子供はとくに図鑑が好きです。背丈が伸びるに合わせて視野が広まり、周囲に関心 のアンテナが張り巡らされるのです。すると「どうして。なんで。」という口癖で親 を困らせる始めます。その探求欲を満たしてくれるのが図鑑であり親の知識なのです。

 子供はこうして名を覚えることで自分の立場が周囲に育まれていること、社会とい う共通の場に生きていることを学習していくのです。何もかもに名がついていること に感動するはずです。

 学ぶことは身近から謎のベールを剥がしていくこと、それを踏み台にさらに新たな 謎を発見していくことです。現今の教育がそうではなくて社会の規範に子供を鋳型の ように押し込むことに傾きがちなのは残念しごくです。

 子は学習を通して社会性を身につけ歴史に思いを寄せることでヒトから人間に成長 していくのですが、知識を覚えこまされるだけでは人間でありつづけることはできな いのです。
 初夏の日差しの中で穏やかに揺れているマツバウンランは、そんなことにはいっこ う関係なく、青い穂花をちらちらと輝かせています。

《今月の言葉》

創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力です。
与謝野晶子

 さすがに明治という日本新時代の黎明期に活躍した女流歌人の言葉です。ここまで おおらかに自らの可能性を信頼できることは素晴らしいですね。まるで当時は日本の 思春期だったかのようです。
 今日こんなことを言うと「青臭い」と時代が無視してしまいかねません。しかしこれは時代を超えた希望の言葉です。
 老人になったらその分、過去をたくさんもっているのだから材料は若い人より豊富 なはずです。あとは発明しようという創造欲です。これは自分で燃えたぎらせるしか ないでしょう。でも、材料をたくさんもっているのは自信につながりますね。
 この言葉はこの先ずっと抱いていたいものです。

《後記》
 毎年この頃になると新茶を持って来てくださるご婦人がいます。今年もおいしい和 菓子とお茶を携えてみえました。早速身体調整の後、いただくことにしました。ふと、 去年の新茶がまだ残っていることに気がついたので「去年の新茶にしましょうか。そ れとも今日いただいたのにしましょうか。」とおたずねしたら、「去年のは新茶とは
言いません。」と美しい眉をきりりと吊り上げていつになく厳しい口調で答えられま した。その勢いについに一昨年の新茶も残っているとは口に出せなかったのでした。

 みなさん、新茶は早く飲みましょう。
(游)


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