« 游氣風信 No39「古武術の発見 茶の本」 | トップページ | 游氣風信 No41「バドミントン 昆虫という世界 林竹二」 »

2011年1月25日 (火)

游氣風信 No40「古典落語 私の仕事」

游氣風信 No40「古典落語 私の仕事」

三島治療室便り'93,4,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

 

《游々雑感》

古典落語

 このところテレビで落語を見る機会がめっきり減ってしまいました。練り上げられ た玄人芸がいつのまにか大衆視聴者による視聴率という判断基準のもとに駆逐されて しまったのです。

 それはいつからでしょうか。ドタバタコメディーでもクレージーキャッツは芸がしっ かりしていました。彼らは一流と呼ばれたジャズバンドでした。ミュージシャンとし ての基礎が一見ふざけていたようなギャグの間合いにも活かされていたような気がし ます。
 ですから今日でもハナ肇や植木等、犬塚弘などそれぞれ俳優として活躍しています。

 クレージーのあと出て来たのはコント55号とドリフターズでした。

 コント55号は浅草の劇場で下積みを長く積んで鍛えられた歯切れの良さで売れまし た。欽ちゃんや二郎さんの芸も大衆向け玄人芸だったのです。

 ドリフターズはクレージーと同様にバンドからスタートしました。ビートルズの日 本公演の前座を務めたのですよ。それがコミックバンドになったのです。彼らの芸が 玄人と素人の境目にあったのではないでしょうか。しかし彼らの芸は一見素人風に見 せる玄人芸だったのです。
 毎週土曜日の夜、PTAからの下品だという抗議をものともせず子供達の間で圧倒 的に指示された「8時だよ。全員集合!」という番組がありました。その番組のため のリハーサルの厳しさは想像を絶するものがあったようです。だからこそあれだけ長 期(20年近く)にわたって人気を持続できたのです。

 では、素人芸と玄人芸の違いは何でしょう。
 コメディーに限って言うなら玄人芸は人を笑わせる芸であり、素人芸は人から笑わ れる芸(?)です。
 吟味されたネタと練り上げられた話芸で観衆を笑わせるのが芸、馬鹿なことをした り、ふざけたりして「アホやなぁ。」と笑われる(馬鹿にされる)のが素人芸なので す。

 もちろん藤山寛美のアホ役は立派に洗練された芸であってその頂点に立つものです。
決して本人がアホなわけではありません。

 なぜこんなことを書くかというと、以前ある落語家が嘆いていたのです。
 「うちの子はアホなことばかりしているから、落語家にしてやってください。」と いってお母さんが息子を連れて来たことがあるのだそうです。
 「お母さん、落語家は一生懸命まじめにアホを演じているのであって、本人がアホ ではないのですよ。」と丁重にお引き取りを願ったというのです。
 念のため書いて置きますが、この場合のアホとは親しみが込められた呼び方であっ て、決して差別している言葉ではありません。

 ドリフターズやコント55号のあとやって来たのが若手漫才ブームでした。勢いに乗っ て漫才コンビやコントグループが次々現れては消え、気付いたらテレビから芸が崩壊 していたのです。

 ブームの中心はツービート、オール阪神・巨人、今いくよ・くるよ、島田紳助・松 本竜介、ザ・ぼんち、B&B、星セント・ルイスなどなどです。その他大勢は忘れま した。

 今でも話芸のしっかりしていた阪神・巨人といくよ・くるよだけは活躍しています。
話芸はないけどブームの渦中から少し距離を置いて独自の路線を模索したセント・ル イス以外は解散しています。
 現在ツービートはビートたけしが、紳助・竜介は島田紳助がそれぞれ大活躍してい ますが、あとはタレントになったりレポーターをしたりしているようです。
 たけしや紳助は芸ではなく、彼らの社会を見る視点に斬新なところがあり、裏のコ メンテイターとしての存在意義があります。
 それが映画監督としても評価される理由でしょう。ある意味で彼らは一般人ができ ない自在な行き方をブラウン管を通じて見せてくれているところが人気の一端を担っ ているのではないでしょうか。

 漫才ブームの時はほとんどのグループが芸ではなくギャグだけに頼っていましたか らギャグに飽きられたときが解散につながったのです。ギャグとはたとえば「もみじ 饅頭!」とか「赤信号みんなで渡れば怖くない」とか「田園調布に家が建つ」など、 あるいは歌手の物まねやおかしなポーズや意味の無い言葉(古くはアジャパー)など
です。

 ギャグはテレビに出ないで各地方を回りながら演芸の世界に身を置いていた芸人に とって財産でした。どこへ行ってもその土地の人には初めての体験ですから受けたの です。それが一度テレビなどのマスコミに出てしまうと一即座に全国を席巻してしま いますから、もうどこに行ってもすでに飽きられているのです。たとえ人気絶頂のと きに出掛けても、本人が当地を訪れる前にギャグのほうがテレビを通して先回りして いますから、観衆は芸人よりギャグを見にきます。いつギャグを言うかだけが興味の 対象となってしまいますからそこに芸の入り込む余地がなくなるのです。
 騒がせ人の横山やすしが若手の漫才がギャグ頼りであることをブームの最中に警告 していましたが、こと芸に関しては先見性があったようです。

 何年も前に「分かるかなぁ、分かんねぇだろうなぁ。」というギャグで一世を風靡 した芸人がいました。確か松鶴家ちとせとかいう名前だったと思います。彼はその持 ちネタを武器に地味ながらも変わった漫談家として活躍していました。しかしひょん なことからそのネタが売れたためにテレビで引っ張りだこ。あっと言う間に飽きられ
て芸人としての寿命が尽きてしまいました。今でも地方回りをしていると思いますが、 それは残骸のようになった芸です。どこへいっても誰もがああ昔こんな芸人がいたな としか見てくれませんから。

 しかし芸があれば話は違ってきます。
 「地下鉄はどこから入れるんでしょうね。それを考えると夜も寝られない。」で人 気をはくした春日三球・照代は、それ以前からずっとそのネタでやっていました。売 れた後も相変わらず同じネタでした。しかし彼らにはそのネタを活かす話術があった
ので何回聞いても何か面白いという印象で、けっして飽きられませんでした。奥さん の照代さんが惜しくも亡くなってしまい残念なことです。

 若井はんじ・けんじという関西の兄弟漫才師がいました。軽妙な間合いで将来を嘱 望されていましたが、こちらも一方が早く亡くなってしまいました。
 「車にキーを付けとくと盗まれるから気ぃつけいや。」というキーのしゃれだけで 十分に聞かせてくれました。これもネタを支える話術があればこそです。

 漫才ブームが終わるころテレビで夢路いとし・喜味こいしの特集がありました。
 若手と違って彼らの漫才はスピードではなくテンポで聞かせるものです。おっとり としたやりとりの間がなんともおかしく、爆笑は少ないものの会場は常にくすくすと した笑いに包まれていたのです。
 話芸とはこういうものかと当時の若手漫才と比較して改めて感じいることができま した。

 さて、表題の落語にいかなければなりません。
 落語の多くは古典落語といって江戸から明治にかけて完成されたものです。したがっ て話の舞台や背景は今日とは大きなずれがあることはいなめなせん。主として吉原な どの廓(くるわ)が舞台の中心になっているのは歌舞伎と同じです。 廓以外では旅 話や床屋話、長屋の熊・八と大家さんのやりとり、あわてん坊や与太郎話、大店の旦 那と丁稚の話、和歌や歴史を題材にしたもの、人情話や怪談など多種済々です。

 そして落語は同じ話を何回聞かせても飽きさせないという話術が基本です。有名な 落語の内容は皆知っているのです。それでも話に引き付けさせるだけの技術が無いと 客は逃げてしまいます。そのために師匠の家に住み込んで掃除洗濯から修行を始めて、 全人格を落語家に育てていくのです。そのあたりは相撲や将棋の世界と同じです。

 現在のテレビを牛耳っているのは視聴率という怪物ですから、いきおいテレビ局は 受ける番組を作ります。とにかく視聴率を上げないとスポンサーが離れてお金が入ら
なくなります。内容は二の次ですから、はっきり言って視聴者に媚びた見るに堪えな い番組が圧倒的多数にならざるを得ないのです。ある意味で大衆を馬鹿にしていると しか思えないものが多すぎます。(といってもこのところあまりテレビを見ていませ んからはっきりしたことは言えませんが。)
 民放でも素晴らしいドキュメントを作っているのですが放映時間が日曜日の深夜1 時あたりですから、なかなか見ることはできません。

 ドリフターズから素人芸に人気が出始めた風潮はどんどんひどくなり、歌手は下手 でよし、ドラマは学芸会、お笑いはおふざけとなった今、寄席でこつこつ練り上げら れた話芸や時代を費やして洗練された古典話はお呼びでなくなったのです。聞く側に も聞くだけの知識が不足していることもその理由でしょう。昔の人にとっての日常も
今では知識や教養として聞く側に蓄えるよう要求されます。
 それでも落語の中には百人一首や歴史を主題にした話がいくつかあります。それは 江戸の人達の共通教養だったのでしょう。

 受けなければ芸ではないという風潮が続くと落語そのものが痩せ衰えてしまいます。
いずれは消えてしまうかも知れません。今でも落語家の中には単に和服を着たコメディ アンとしか言えない人もいます。これは東京の席亭もどんどん無くなるし、活躍の場 が減ってくればコメディアンになるのも生活のためには仕方の無いことでしょうが、 寂しいことでもあります。

 そのうち歌舞伎や文楽のように国が支えていくようになるのでしょうか。考えてみ てください。高座で愉快な話をしている人が年金生活をしているなんて。 芸人は一 般人の生活に付随する悩みを突き抜けてみせることで存在している人達です。深刻な 問題を笑い飛ばして生きる活力を与えてくれる人達です。たとえ年金をもらっていて
もかまいませんがそれが高座から匂ってくるようでは困ります。
 名前は忘れましたが脳卒中で倒れた落語家が最近高座に戻りました。まだ体は不自 由なままでロレツも不十分ですが主として病院を回って同じように病気や障害に苦し んでいる人達を励ましているそうです。

 「わたしが倒れたとき、お医者さんからこのままでは植物人間になると言われたそ うです。それを聞いた師匠の林家こん平は『これは大変だ。植物人間なら毎朝水をや らなきゃなんねぇ。』。こういう師匠を持ってありがたいというか情けないというか・ ・・。」
 「リハビリのとき歩く練習をするんですが、ただ歩くことがとても難しい。どうし てもよろけてしまって訓練の先生に助けてもらうんです。それがどうゆうわけか若く てきれいな先生の前でばかりよろけるんです。」

 こんな具合に大変なことをさらりとユーモアに切り替えるところが落語家のすごい ところであり社会が彼らを必要とするゆえんでしょう。

 落語が受けないということの奥に、何かを無くしているわたしたちの現実がある。
そんな気がしてならないのです。
 ある外国人新聞記者が書いていました。
 「相撲の呼び出しが土俵を掃き清めるところを見ているととても面白い。幕下格か ら十両格、幕内格から三役格と上に上がるにしたがって掃き清め方が芸として完成さ れていく、風格が出てくる。」
と言うのです。
 こういうことはじっくりと本質を見るという目がなければ分からないことです。相 撲の勝ち負けだけに大騒ぎしていると見落としてしまいます。見る芸を鍛える必要が あるのです。

 これはもはや精神の問題でしょう。落語に限らずものの価値が見えなくなってきた、 あるいは見失いつつあるのは何故でしょう。このあたりにバブルに振り回された理由 も隠れているようです。

《後記》
わたしの仕事

 時々、あなたはどういうことをなさるのですかと聞かれます。游氣の塾の意味が分 からないからでしょう。ですから游氣に関しては先月号に書きました。
 法律で保障されたわたしの身分は鍼師、灸師、あんま・マッサージ・指圧師です。
具体的に行っているのは漢方の方式に則った鍼灸と経絡指圧、分子栄養学理論から導 かれた栄養学の指導とビタミンオイルマッサージ、関節機能学(キネシオロジー)に よるモビリゼーション(骨格調整いわゆる整体ですが関節の動きを考慮した安全なソ フトなもの)、呼吸体操である今ブームの気功法の指導などです。
 さらに最近比重が増えているのが医師や保健婦さんたちと協力体制にある在宅障害 者のケアです。

 わたしは自分の行為を身体調整と称しています。快適な毎日を送っていただくため に心身の不調に対して身体に直接働きかけることで、それを調整しようというもので す。とりわけ病院に行っても特に病気ではないと診断されながらも、本人にとって不 快な状況に働きかけることが主になります。逆に末期ガンや西洋医学で芳しい成果の 得られない病状の苦痛緩解に協力することもあります。

 身体調整の目的は「治療」ではなく心身を「癒す」ことです。
 わたし自身は身体調整を心身の状態がマイナスであればそこからの脱出をめざす「 癒療」と健康だがよりプラスに活性された心身をめざす「鍛練」とに大別し、全体を 「養生」と呼んでいます。

 鍼灸治療院などのように分かりやすい呼称をあえて避けてあまり使用しないのは上記の理由からなのです。ただし保健所への届け出は法律に定められていますから三島鍼灸指圧治療室です。
(游)

|

« 游氣風信 No39「古武術の発見 茶の本」 | トップページ | 游氣風信 No41「バドミントン 昆虫という世界 林竹二」 »

游氣風信」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 游氣風信 No40「古典落語 私の仕事」:

« 游氣風信 No39「古武術の発見 茶の本」 | トップページ | 游氣風信 No41「バドミントン 昆虫という世界 林竹二」 »