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2011年1月25日 (火)

游氣風信 No39「古武術の発見 茶の本」

游氣風信 No39「古武術の発見 茶の本」

三島治療室便り'93,3,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

 


《気楽図書館》

古武術の発見(光文社)
対談  東京大学教授 養老孟司
武術研究家  甲野善紀
より養老孟司氏の発言

 他人が自分のことをどう思っているかという、そういう対社会的な自分のイメージというもののほうが、むしろより客観的に存在する、と言ってもいいんです。要はそ うした対社会的存在としての自己と、自分の考える自己と、そのバランスの問題だろ うと思います。
 いまはもう極端に、自分の中にある自分が自分であるという考え方が強くなってい る。
 自分といういうものは自分のなかだけにあるものじゃないんで、他人のなかに分散 して入っている。それをだいじにしたわけです。だから墓をきちっとつくるというこ とになる。
 墓というものを考えてみると、自分は見るわけじゃない。他人が見るものなんです。
そうすると他人の中の自己というものが弱くなっていけば、自然に墓というものはな くなっていくんです。

解説

 養老孟司先生は東大の解剖学の教授。解剖を通して得た独自の極めて冷めた切り口 の思考方法「唯脳論」を駆使してさまざまな現象を切り開いて行く手法は多くのファ ンを獲得しています。
 その先生が日本武術の身体術の高みに対する認識が盲点であったと武術研究家の甲 野善紀氏と行った対談集。
 甲野さんは知る人ぞ知る武術の研究家。今日のスポーツ化した柔道や剣道、空手な どと異なった江戸時代を頂点とした武術を通して見た身体論や社会論が注目されてい ます。普段から和服に帯刀といういささか危ないいで立ちで町を闊歩しているそうで すが、決してこわい筋の人ではなく、日本の文化の行きついた世界を今に再現したい と努力している人です。

 今回の引用は養老先生の発言です。
 自己というものは自分の皮膚の中に収まっているだけでなく、さまざまな関係性の 間にこそ存在しているとは以前から思っていたことですが、墓を持ち出して説かれま すとより明瞭に理解できます。その辺の思考は人間の形態や営みなどの対象を対象の みならず観察者まで視野に入れて考える養老先生の切り込み方の鮮やかさから来るも のなのでしょう。そうすることで還元主義に膠着した自然科学からおおらかな脱出が 可能となるのです。

茶の本
岡倉天心(講談社文庫)

 芸術では「現在」が永遠である。茶人の考えによれば、芸術を真に鑑賞することは、 芸術から生きた感化をうける人だけに可能であるという。そこでかれらは、茶室でえ た風流の高い水準で、日常生活を律しようとつとめた。どのような環境にあっても心 の平静を保たねばならない。また対話は周囲の調和をかりにも乱さぬように行われな ければならない。衣服のかっこうや色彩、身体のこなしや歩き方まですべて芸術的人 格の表現となり得るのであった。これらは、いささかも軽視することのできないもの であった。というのは、人はおのれを美しくしてこそ、はじめて美に近づく権利をも つことができるからである。かくて茶人は、美術家以上のもの──すなわち、美術そ
のものとなろうと努めた。それは審美主義の禅であった。われわれが認める気さえあ れば「完全」はいたるところにある。

解説

 天心は日本の心の中心に禅を置き、あらゆるものの中に禅的な要素を見いだそうと 試み、それを普遍化することに努めたようです。その極めて日常化されたものが茶の 湯だったのでしょう。
「風流の高い水準で日常生活を律する」という考えは、「道」として江戸期に培わ れた日本の世界に誇れる唯一と言っていいほどの高い文化価値です。武道や茶道・華 道の高いレベルにそれが伺えます。ただし今日の家元制度という芸より経済のための 組織制度は果してどこまでそれを伝えているか疑問のあるところです。
 最近知り合った外国人たちはみな口をそろえて日本人の間から日本が喪失されるこ とを残念がっています。戦争という重大な過ちをしっかり検討する事なく曖昧に反省 の振りをしているだけでは、良いものも悪いものもひっくるめて捨ててしまうことに なってしまうでしょう。優れた文化の高みまで捨てる理由はどこにもないのですから。

 平畑静塔という俳人は同じ水準を「俳人格」と呼び、高浜虚子にその典型を見てい ます。
 天心の行動は文明開化によって日本の良さまで失うことに危惧を感じて、日本文化 の根を掴もうとしたのです。今日の様相とどこか似ているようですね。

 紹介の本は1906年、The Book of Tea(茶の本)として、アメリカで刊行されたも のの日本訳です。 

 今月は奇しくも日本文化の再発見となりました。


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