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2011年1月25日 (火)

游氣風信 No38「游氣風信の意味 森澄雄 風邪」

游氣風信 No38「游氣風信の意味 森澄雄 風邪」

三島治療室便り'93,2,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

<游々雑感>
改題

 《游氣健康便り》を今月より《游氣風信》と改名いたします。理由は《游氣健康便り》という名称には以前から少し長過ぎるのではないかという印象を持っていたことです。
 もう一つ理由があります。それは現代人はみな一種の“健康”という脅迫観念に追いかけられて脚下をじっくり見つめて[生]そのものを味わうことを見失っている傾向にありますから、いっそのことこの際“健康”から離れてしまおうというものです。

 つまり“健康”は真実大切なものですが、あくまでもそれは生きる上の必要条件で あって、目的ではないということです。ところが“健康”というより病気の情報が毎 日、新聞やテレビ・雑誌などを通じて家庭に飛び込んできますからかえって不安感に 振り回されているのではないでしょうか。しかも病院へ行けばたいてい何らかの病名
を付けてもらえますから立派な病人になってしまうのです。
 そんな訳で通信のタイトルを変更することにしました。

 「游氣風信」という字について説明しましょう。
 「游」という字はあまり一般的ではありません。この字は水に漂うという意味です。
「遊泳」は本来「游泳」なのです。サンズイは「水」を表し、シンニュウは「道」を 意味しますから、「遊」は陸の上をあちこちとらわれなく動くことであり、「游」は 水の上(中)を自由に漂っていくことです。

 「氣」は気の旧字体です。旧字体はメではなく米を用いています。それは米から湯 気が出ている様子を表しているのです。米を炊くと何やらゆらゆらする湯気がたち昇 ります。湯気は実体がなくて正体がはっきり分からないけど釜の蓋をカタカタ動かす 力を持っています。そこに古代の中国人は見えないけれども何かしらの力を感じて、
そのような森羅万象の奥に秘められたエネルギーのようなものを氣と呼び、「氣」と いう漢字を作ったのです。
 イギリスのジョージ=ワットがやかんの蒸気から蒸気機関を発見し機関車を発明し たのと軌を同じくしていますね。汽車の「汽」の字はサンズイを用いていますから、 蒸気そのものを表しているのでしょう。
 「氣」は実体が無く目に見えなくても機能があることを示しているのです。そこか ら何が何やら分からない、うまく説明できないことを「あれは氣だ。」と言うように なったのです。逆にその実体が解明されたらそれは氣ではなくなるのです。
 例えば昔リンゴが落ちるのは氣の作用と思われていましたが、ニュートンが引力の 法則を発見して以来その氣は引力と呼ばれるようになりました。すなわち原理が解明 されたら氣は氣とは言わなくなるのです。
 ちなみに時間的氣を「機」と呼びます。

 ただし氣にはさまざまな関係性を意味したり、身体や心の使い方のイマジネーションを活用させるキーワードとして有意義な面がありますから、氣という言葉を大切に 利用したいのです。

 ですから、昨今のテレビの怪しげな「氣ブーム」は何やら分からないことの一面それも現象面だけ取り上げて大騒ぎしているのだと知ってください。
 大衆が氣に飽きたら次の何かを捜し出してくるだけでしょう。彼らは大衆の好みを 捜しだしそれを煽り立てるのがうまいのです。これを言い換えると大衆の氣を察知し、 誘導するのがうまいとなります。

 NHKのドキュメントに虚偽と捏造(新聞では「やらせ」と言っていますが、「や らせ」は本当にあったことを本当のように見せかけるために演じさせることですが、 今回は全くのでっちあげですから「やらせ」ではありません。虚偽・捏造・嘘・ごま かしです。)があったことが今朝(2月3日)の朝日新聞に大きく書いてありました。
おそらく他の新聞でも同様の扱いでしょう。その朝日でさえ以前記自分たちがサンゴ に傷をつけてダイバーのモラル低下を大きく報道したことがありました。マスコミに は真実を報道する義務と権利がありますが、逆に偽情報で大衆を扇動できる力を持っ ていることを謙虚に真摯に認識すべきです。また、わたしたち受け手はたやすく振り
回されないことです。
 皇太子の婚約報道やら相撲取りとタレントの痴話喧嘩に対するマスコミの愚かしさ に先月から怒っていますから先月号と同じように話が逸れてしまいました。戻しましょ う。

 「游氣」とはこの膠着した時代を悠々とおおらかに風通しよく伸びやかに爽やかに 生きていこうという願いを込めたわたしの造語です。

 「風信」の「風」は自在に形無く行き来できる自由の象徴であり、それは高気圧か ら低気圧へ流れる空気の移動です。その意味するところはバランスの回復でしょう。
気圧の高低というアンバランスを回復するのが「風」なのです。
 人間社会に置き換えれば、富や時間を持てるものから待たざるものへという社会福 祉の流れであり、からだのなかの現象で言えば血液循環や漢方でいう氣(生命のエネ ルギーのようなもの)の循環の象徴でもあります。

 また「信」はニンベンと言から成立しています。これは人と人を言葉で結ぶという 意味と解釈してください。

 《游氣風信》は一陣の春風のように読者に暖かさを送り、時には凩(こがらし)の ごとく氣を引き締めながら、いささかでもわたしと縁のあった方の人生に何かをお伝 えできたらと思って綴っています。でも本当はわたし自身が一番楽しんでいることは 間違いありません。
 中にはむりやり送りつけられて迷惑がられている人がいらっしゃることも重々承知 しているのです。

 身体調整の仕事もそんな気持ちで取り組んでいます。現実には難しいことですが。

 もともと東洋医療に関心を持った理由は高校時代に恩師増永静人先生の本を読んで その考え方に共感を覚えたからなんです。ただ当時はこれを仕事とするつもりはなかっ たのですが大学二年の時オイルショック(ニクソンショック)があり、三流大学では いい就職口もなく、卒業後鍼灸の専門学校に進み、自ずと指圧や鍼などが口糊の業に なってしまいました。

 増永静人先生は京大哲学科で心理学を選考された方で有名な哲学者西田幾太郎博士 の孫弟子に当たる方です。京大卒業後あの「指圧の心母心、押せば命の泉湧く、ハッ ハッハ。」の浪越徳治郎先生の日本指圧学校で10年間指圧の究明と啓蒙に努めたのち 独自の道を歩んでこられたこの業界では著名先生ですが、11年ほど前に57歳で亡く なられました。わたしが師事できたのはわずか3年余りですがその存在は我が胸中に 大いなるものとして光芒を放っています。

《今月の言葉》

森澄雄(俳人)

 俳句観の上でも変遷をしながらきたつもりだけれども、同時にかわっていないのは、 自分の生涯のその時点でどう自分をつかむか、どう自然をつかむか、いわば人間が80 年生きる時間の系列の中で、今の自分、それから、この大きな宇宙に浮かぶ、虚空に 浮かんでいる自分、その時空の一点でね、焦点を捉えて、今の自分を詠うと、そうい う作業をしてきたんですね。だから、自分を詠いながら、個の世界でありながら、一 句は普遍的でありたいと、そういう思いを絶えず持ってきた。
角川春樹氏との対談から
(「俳句」平成5年2月号・角川書店刊)

森澄雄氏略歴
 大正8年兵庫県生まれ。九州大学卒。加藤楸邨に師事。生活に執し清新の句境を拓 く。のち古典、中国史、宗教書に親しみ、時間、空間の広がりの中に思索的で多彩な 作品世界を深めた。代表句「炎天より僧ひとりのり岐阜羽島」「秋の淡海かすみ誰に もたよりせず」

略歴は平井照敏編「現代の俳句」(講談社学術文庫)参照

 森澄雄氏は飯田龍太氏とともに現代を代表する俳人です。龍太は俳句師、澄雄は俳 諧師と呼ぶ人もいます。どちらかというと澄雄氏の方が虚の世界にいて句に広がりと 深みをたたえ、龍太氏の方は鮮やかな印象度の強い作風です。
 外国の人が俳句に抱いているイメージは上に紹介した森澄雄氏のことばのような禅 の世界を思わせるもののようです。

《風邪について》

 今年の国府宮の裸祭りは2月4日、立春の日でした。国府宮神社やその周辺の屋台の 出店は多くの人手で賑わったようです。その後あちこちの方から奉納された大鏡餅の かけらをいただきました。これを食べると一年間風邪を引かないのだそうです。

 風邪と言えばインフルエンザがあいかわらず猛威を奮っています。
 インフルエンザウイルスは咳やくしゃみで吹き飛ばされた後、数10分間空中を漂い、 さらに壁やテーブルや服などに付着して数時間生きているのだそうです。それに触っ た手でものを食べると口から伝染するのです。
 したがって風邪の人には近づかない、外から帰ったらうがいをする、手もよく洗う ということが予防として広く知られています。
 さらに、それだけでなくウイルスが入ってきてもはね返すだけの体力の維持に心掛 けることが必要です。そのためには疲労過労を避け、栄養的に質の良い食べ物を腹8 分いただくことです。食べ過ぎは胃腸風邪の元ですから。
 ビタミンCは体内でウイルスと戦うインターフェロンの合成に欠かせませんから新 鮮な野菜やみかんをとると良いでしょう。またストレスはビタミンCを多量に消費を しますからストレスと上手に付き合うことでCの消費を押さえることです。けれども 少々のストレスは適度の心身緊張をもたらすのでかえって風邪を引きにくいものです。

 しかしいったん引いてしまったら、与えられた休息の時間だと思い切って休むこと です。
 風邪はさまざまな症状を呈します。漢方ではそれをその人に応じたバランス回復運 動と考えます。下痢はおなかの掃除。咳やくしゃみは呼吸器の掃除。熱はからだの機 能を高めて抵抗力を強化するなどです。
 だからと言って無理をしてこじらせることは危険ですから、安静と休息、保温と栄 養を考慮して、後はからだにまかせておくのです。2・3日である程度回復するはずで す。1週間もすればたいてい良くなるでしょう。咳はしつこく残ることが多いですが。

 ただし、からだの弱い子供や老人は風邪から思わぬ病状に移行することがあります。
あまりの高熱が続いたり、激しい下痢によって脱水症状が起きたりしているときはも ちろん考えるまでもありませんから、掛かり付けのお医者さんに相談してください。
それはバランス回復を越えた状態ですから注意しなければなりません。船にたとえる なら揺れ過ぎてバランスを失い転覆してしまうことですから。
 特に老人はあまり熱が出ていないのに肺炎になったりしますし、糖尿病にかかって いる方は注意が必要です。

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