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2011年1月25日 (火)

游氣風信 No35「胃カメラ体験記」

游氣風信 No35「胃カメラ体験記」

三島治療室便り'92,11,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

《游々雑感》

胃カメラ体験記

 以前からみぞおちの痛みを訴えたり、しこりのようなものが触れる患者さんには胃の検査を勧めてきました。ほとんどの人は何事も無く済んでひとまずは安心したのですが、中には残念ながら既になんともならない状態になってしまっていた人もありました。

 下腹部のしこりが異常に大きいので産婦人科に行ってもらったら、子宮筋腫で手術を勧められた人もいました。その方は迷っているうちにトイレで赤ん坊の頭くらいある血の塊が出たため、急いでそれを持って産婦人科に駆け込んだところ、なんと血の塊は筋腫がきれいに剥がれ落ちた物と判明して胸を撫で下ろしたという幸運な例もあります。

 さて、わたしは人にはさんざん勧めておきながら、胃の検査というものをしたことがありませんでした。しかし今年は無理と不摂生がたたったのか、貧乏ゆえの栄養失調か、春、夏、秋と季節の変わり目毎に胃が痛くなり体重も減り、患者さんからかえって心配される始末でした。
 「先生の代わりは何人でもあるが、家族の代わりは無いでよお。無理せんでちょうよ。」と言われたことさえありました。

 自営業や自由業の人は仕事の時間が不規則で、しかも定期的な健康診断を受ける機会もありません。知り合いの看護婦さんからこういう機会にこそ受診しなさいという強い勧めもあってこの際胃カメラを飲んでみることにしました。

 ここ2・3年、昼ご飯が4時5時になることも多く、結局食べないこともよくあり、夕食は10時半から11時などと、結構不健康な毎日を送っていました。しかもきちんとした休みも取らず色々な雑事で駆け回っていたような気がします。年齢も年内に39歳になりそろそろガンに注意をしなければならない年でもあります。

 漢方医療は養生を基本にしています。それは節度ある毎日を過ごせと言うことです。

 仕事で適当な疲労とストレスを楽しみながら、食事をゆったりとおいしく頂き、お酒も適当に嗜み、家族や気のおけない友人たちと語らい、好きな運動にいそしみ、高尚な趣味を味わい、暑さや寒さ、人間関係などの環境の変化と上手に付き合って生活すること。日頃のバランスの崩れを鍼や指圧や漢方薬、健康体操などでこまめに回復
を試みること。これが漢方の基本のなのです。
そして天命(天から与えられた自分の役割)を尋ね、見つけ、見つけたらそれに邁進することをこそ人生の無上の喜びとすること、それら全てをひっくるめて漢方と言うのです。

 その漢方を基礎にした療法に携わっている本人がこんな不摂生な生活をしていてはざまはありません。とりわけいつも時間に追われているので気持ちが落ち着く暇が作れないのです。そこで最近はちょっと仕事のペースを落とし、ゆとりを持たなければと思っている矢先でした。

 そんな訳で、ちょうどいい機会と胃カメラを飲むことに決めたのです。
 検査の前日は夜9時以降は食事も水も禁止されました。もちろん翌朝の検査まで完全に断食断水です。
 病院に行くとまず白い薬を大サジ一杯分くらい飲みます。次に針のついていない注射器で喉の奥に麻酔剤を入れてもらいます。それは5分したら吐き出します。
 しばらくして部屋に呼ばれました。看護婦さんから肩に麻酔剤を注射されて、ちょっとしたアドバイスを受けました。
 まず呼吸は腹式呼吸でハアハアとすること。
「まるでお産みたいですね。」
と言ったら笑われました。 
 さらに「先生から呑んでと言われたらカメラを呑んで下さい。」との助言。それで一生懸命唾を飲む稽古をしましたが、麻酔のためか緊張のせいか唾液がうまく飲めません。それでもどうにか飲む手ごたえがつかめました。
 ところが左向きで横にされ、口に小さな管をくわえるように指示されてしまいました。なるほどこれなら誤ってカメラのファイバーをかみ切る心配はありませんが、唾がうまく飲めなくなりました。困ったなと焦っているところへ先生が入室されました。


 部屋の明かりがすうっと落とされると、先生の手元で何やら怪しげに光るものが蠢(うごめ)いています。小指ぐらいの太さの黒い棒のような物の先端から発光しているようです。
 そのとき以前見た映画の場面を思い出しました。それは火星人が地球に攻めて来るH・G・ウエルズの原作になる有名なSFです。例のタコの火星人が出てくるやつです。
 文明の進んだ彼らが持っていた探索機がちょうど胃カメラそっくりで、くねくね動く管の先から赤やら青やら白やらの光を発していたのです。そして人間を見つけると鋭い閃光を発して何もかも焼き付くすという恐ろしいものでした。

 先生はその恐ろしい怪光線をわたしの口に突っ込みました。
 「はい、呑んで。」
 「はい。」
と心の中で返事をしながら、あせって呑もうとしましたがうまくいきません。ところが先生は
 「もう入りましたよ。」
ここはもう実にあっけないものでした。そういえば腹の中でなにやら動いている感じがします。
 その後、2・3回喉に管が当たって嘔吐しそうな気分になりましたが、たいしたことはありませんでした。

 苦しそうな素振りを感じると看護婦さんがすぐに右腕(左向きの状態ですから右腕が上にきています。)をつかんで「落ち着いて腹式呼吸をして下さい。」と励まして下さいます。

 わたしは見た目は惨憺たるありさまでしょうがとても落ち着いていて、この看護婦さんは注射した背の高い人かな、それともあの若いかわいい子かな、あるいはいかにも婦長という感じのあのちょっと怖そうな人かななどと不謹慎なことを考えるゆとりさえありました。

 検査中はただ横になっているだけで、胃の中にカメラが入っていろいろ検査したりビデオを撮ったりしているとはとても思えません。ただ先生の息遣いと時々看護婦さんに与える指示だけが暗闇の中で聞こえています。 前もってテレビの画面を見てもいいと言われていたのですが、角度が悪くて先生のおなかしか見えませんでした。もっとも見ていておかしなものが写っていたらものすごいショックを受けることでしょうが。

 「では終わりです。」と先生がカメラを出されるときはまた少し嘔吐感があり、看護婦さんに腕をつかんでもらえました。

 最後にベッドに座って、先生からビデオを使って説明を受けました。
 「これはもう胃に入っているのですか。」
 「そうです。胃です。」
 画面に写っているのは焼き肉屋でおなじみの上ミノそのものです。学生時代、焼き肉屋でアルバイトをして、小腸や大腸を刻んでいましたから、少し懐かしい風景でした。
 「ここを見てください。」
 「ああ、赤い斑点がありますね。」
 「充血しています。目が赤くなるのと同じです。胃炎ですね。」
 「怖い物はありませんでしたか。」
 「大丈夫です。」

 こうして胃カメラ体験は無事終了致しました。
 ちなみに30年前、胃カメラを受けた人から聞いた話では、「それはもうひどいもので、まさに拷問そのものだ。」ということでしたが、ここは素直に科学技術の進歩に敬意を表するばかりです。

 今度から検査をされる方は、バリウムなど飲んで後でゲップと便秘に泣かされるより、さっさと胃カメラを受けるほうをお勧めします。結果もすぐ分かりますし。

《後記》
 11月8日は俳句の会で古溪山永保寺に行って来ました。紅葉に包まれた端正な古刹は好天に恵まれて、大勢の写真愛好家や家族連れでおおにぎわい。
 句会は禅道場を借りて行いました。厳粛な雰囲気と整えられた庭がいやがうえにも気を引き締めてくれます。中でも接待に当たった若い雲水の節度と凛々しさのある物腰に感心しました。
 14日は馬込にハイキング。紅葉はさほどのことはありませんでしたが、快晴の初冬の山の空気を満喫してきました。たいした距離は歩かなかったのにその夜のバドミントンは足がもつれてうまく動くことができません。実に情けない。

 馬込の島崎藤村記念館に次の言葉の碑がありました。

誰でもが太陽であり得る。
わたし達の急務は、ただただ
眼の前の太陽を追ひかけることではなくて、
自分等の内部(なか)に太陽を高くかかげることだ。
島崎藤村

 明治という時代の志の高さが偲ばれます。

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