游氣風信 No33「中秋の名月 別離」
游氣風信 No33「中秋の名月 別離」
三島治療室便り'92,9,1
三島広志
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中秋の名月
9月11日は中秋の名月、一年中でもっとも月が美しい日とされています。
ただし、本来は太陰暦、つまりお月さんの運行から作られた暦に基づいていますので、中秋の名月は毎年旧暦8月15日の夜ということになります。
近年なぜか名月の夜は天気が悪く、満月が夜空に煌々と輝く風情に出会うことかなわぬ年が多いのですが、今年は近づく台風に雲が蹴散らされたか、全天を静かに照らす満月が堪能できました。
わたしの家は郊外にありますから、田圃や畑などの自然に囲まれています。家からほんの百メートルも行けば、実ったばかりの青い稲穂のただ中に立てるのです。
きれいな月に誘われてちょっと出てみました。
はたして田圃の脇の舗装されていない農道にはさまざまの雑草が強い夜風に揺れています。名前が分かるものだけでもエノコログサ(ねこじゃらし)や盗人萩(種が体にくっついて困るヤツ)、カルカヤ、ススキ、セタカアワダチソウ、アカノママ、スイバ、野菊などの秋の草がうっそうと茂っています。
我があばら家の玄関にススキが活けてありましたが、おそらくこの辺りから持ち帰ったものでしょう。
見上げれば南の空高く満月が白い光を放ち、その周囲を虹色の輪が淡く包んでいました。漆黒の机に置かれた白磁の皿とでもたとえましょうか。その神秘的な冷たく透き通った輝きは、いかにエンデバーが地球の回りを旋回しようと見るものを飽きさせません。
洋の東西を問わず、月は人の心を波立たせます。
月に触発された物語りも多く、我が国の「竹取り」(かぐや姫)は中でもとりわけ美しいものでしょう。しかも昨今はやりのSFの要素もあります。
宇治拾遺物語には月がたくさん出て人心をたぶらかすので、名人が打ち落としたところ、タヌキか何かが化けたものであったなどという話があったような記憶がありますが確かではありません。
それを題材にドイツの作家ミヒャエル・エンデ(あの有名な「モモ」の作者)も似たストーリーを書いています。
宮沢賢治の生前に唯一刊行された童話集「注文の多い料理店」の中にも「かしはばやしの夜」とか「月夜のでんしんばしら」などが置かれています。月の光に照らされて現実からいつの間にか非現実の世界に移行していく初期の幻想的傑作短編です。
満月の夜は、事件や事故が多いとも聞きます。その極端な物語が月夜になると狼に変身するという「狼男」でしょう。
月は潮の満干に深くかかわっています。あるいはわたしたちの血潮にも影響を与えるのかも知れませんね。
日本では昔から季題のベストスリーとして、雪月花が上げられています。
冬の美は雪に象徴され、秋は月、春のこころは桜で代表されたのです。もっともこれなど京都を中心にした公家文化の名残であって、雪国の人が雪を風雅を眺めたとは思えません。雪は暗く冷たく憎く恐ろしいものであったに違いないからです。今日だってスキー場で儲けている人以外は同じでしょう。
月は一年中ありますが、秋が一番美しいということで秋の季語になっています。また、花と言えばいろいろあるけれども、桜に勝るものは無いということで、歌の世界では花と言えば桜を指します。これはご存じのように中世以降のことで万葉集の頃は桃の花の方が人気が有りました。韓国や中国でも桃に軍配が上がるようです。
さて歳時記を紐解いてみましょう。秋には月の季題に基づいた季語がたくさんあります。その中で名月に関係するものを少し紹介しましょう。たまに風雅に遊ぶことは、時間に追われた現代人にとってとても大切なことです。
待宵
まつよい。陰暦8月14日の夜、名月を明日に控えた宵の意。夜と、その夜の月を指す場合がある。
名月
めいげつ。陰暦8月15日、中秋の名月。もっとも月が美しい日とされる。穂ススキ、芋、団子などの初物を供えるのは収穫を祈る農耕儀礼の名残。
この月の光で針に糸が通せたら裁縫が上達するとか、この夜絞ったヘチマの汁は皮膚を美しくするなどの言い伝えがある。
明月・望月(もちづき)・満月・十五夜などもという。
満月は日の入りと同時に東の空から出てくる。
良夜
きれいな明月の夜のこと。
無月
むげつ。雲で満月が見えないこと。
雨月
うげつ。雨が降って満月がみられない。
十六夜
いさよい。いざよい。陰暦8月16日の夜。満月より月の出が少し遅れるので、ためらうの意「猶予(いさよう)」を当てる。
立待月
たちまちづき。陰暦8月17日の夜の月。月の出が16日よりさらに遅れるので立って待つ心持ちを言う。
居待月
いまちづき。陰暦8月18日の月。17日よりさらに月の出が遅くなるので、居て(座って)待つという意味。
寝待月
ねまちづき。陰暦8月19日の月。月の出がますます遅くなるので寝転んで待つという意味。臥待月(ふしまちづき)とも言う。
更待月
ふけまちづき。陰暦8月20日の月。もう月は半分近く欠けてくる。夜が更けてから出てくる。
宵闇
20日を過ぎると、日が沈んでから月が出るまでの間が長く、10時過ぎなければ月が出て来ない。この間の暗闇を宵闇と呼ぶ。月を待ち侘びるこころが込められる。
後の月
のちのつき。十三夜とも。陰暦9月13日の月。明月の約一月後の満月に少し届かない月を眺める。そのわずかに欠けた月を愛でるところに風情がある(そうです)。
栗や枝豆を供える。
立って待つとか座って待つとか、古人の感性にはただ脱帽するばかりです。
日常の忙しさと俗事を離れ、一人風雅に稲穂を照らす月を観賞していましたら、冷たい夜風にさらされて、そのうえ夜露にあたったためでしょうか。突然おしっこがしたくなりました。そのためにわざわざ家に戻るのも惜しいし、月がわたしにもっといておくれとささやきますので、「えい、ままよ。よくぞ男に生まれけり。」と月を仰ぎながら闇にまぎれて立ち○ョ○とシャレこみました。
これぞまことの立待月・・・お後がよろしいようで。
《後記》
この夏、3つの別れがありました。
カナダ人のトニー&ジャッキーが予定通り、2年の滞在を終えて9月初めに帰国しました。
トニーはとても人懐こい好青年で指圧塾のご婦人たちにとても人気が有ったのですが、初めて来たときは髭もじゃの大男でみんなびっくりしたものでした。わたしなども熊が来たのかと思ったほどでした。しかし愛嬌のある笑顔と腰の低い物腰であっと言う間にみんなの人気者になったのです。
ジャッキーは彼と将来を誓った彼女。知的で静かな(トニーはそんなことは無いと言いますが)イギリス系美人です。
2人はカナダでの新生活を夢見て前途洋々と旅立っていきました。
さて後の2つの別離はとてもつらいものでした。
1人は3カ月の闘病の後に48歳で夭折された西村先生。理性と穏やかな優しさを兼ね供えた秀れたカウンセラーでした。いつもこの《游氣健康便り》を楽しみにしてくださっていて、一番大切な読者だったのです。
あとには夫や高校生を筆頭に3人の子供さんが残されました。一番下はまだ小学生。
厳しい闘病だったと胸が痛みます。
亡くなる数日前に病室に見舞って、
「寝たままで背中が痛いでしょう。背中をマッサージしてあげようか。」
と言いますと、横向きになりながら
「三島先生の超一流のマッサージをしてちょうだい。」
とすっかり衰弱されたお体で冗談まで言われました。
最期までとてもしっかりしておられました。
もう一人はわたしの所で一緒に身体調整の勉強をしていた接骨院経営の原瀬先生。
柔道5段の大男ですが、いつもにこやかに、はにかんだような顔をしていました。患者さんたちからもとても親切な優しい先生と評判でした。
そんな彼があろうことか、子供の頃から親しんだ長良川に5歳の坊やを泳ぎに連れて入って、溺死してしまったのです。子供は幸い釣り人や中学生に助けられました。
通夜の席で奥さんの憔悴した姿や、小学2年生のお姉ちゃんが健気に正座して挨拶している様子を見るとかける言葉が見つかりませんでした。
「なんでこんな早よ逝ってまったんやろ。」と奥さんの口からやっとのことで吐き出された言葉が忘れられません。
享年38歳。わたしと同年です。
言葉に対していささか楽天的なまでに信頼を置いていたわたしは、今回のことで言葉の無力さを徹底的に教えられる結果となりました。
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