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2011年1月25日 (火)

游氣風信 No32「虫愛づる 中上健次(差別と俳句)」

游氣風信 No32「虫愛づる 中上健次(差別と俳句)」

三島治療室便り'92,8,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

《游々雑感》

虫愛づる・・・信州にて

 「花は生殖器である。」
とは牧野富太郎博士の言葉です。彼の著書でこの衝撃的かつ的確な表現に触れたときは圧倒されたものでした。
 美しい花は、自然の中で植物が世代を生き継いで行くための精一杯の知恵の化身、そのゆえの造形であって決して人間の花瓶を飾るための装飾ではないのです。
 そんな花を訪れるのは昆虫たちです。
 庭のムラサキツユクサの花に大きなマルハナバチがやってきました。普通の蜜蜂の倍くらいの大きさで毛が長く丸っこくて可愛らしい蜂です。
 可愛いからといって刺されてはいけません。彼らの仕事の邪魔をしないように眺めるのがコツで、体に止まっても手で払ったりは絶対にしないことです。放っておけば勝手に飛んで行ってしまいます。蚊の連中と違って蜜蜂族にとって人間の体は何の魅力も無いものですから。

 彼らはせわしく花の間を飛び回って、蜜を吸い、花粉を脚にからめて働いています。
よく見ると蜂は一度入った花には二度と入らないで、次から次に新しい花を目指しています。既に蜜を吸った花に近づいてもさっと避けて別の花に潜り込みます。無駄な労働は極力避けているらしいのです。そのあたりがせわしない動きとしてわたしたちの目に映るのかも知れません。 なにしろ人間は無駄なことが大好きですから。
 もっとも案外外国人から見た日本人も同じようにせわしなく見えるのかも。

  蜂の巣を燃やす夜のあり谷向かひ  原石鼎

 お盆が近づくころには信州の里には羽化したばかりのアキアカネが若やいだ艶やかさで花や枝の先に止まっています。アキアカネは小ぶりな赤トンボの一種です。でもこのころはまだあまり赤くなくてむしろ黄色といってもいいくらいでしょう。
 このトンボが一度山に上がって真紅になり、秋深むころ里に戻って来ると聞いたことがあります。ですからお盆前でも車でもっと高原にいってみると膨大な数の赤トンボに出会うチャンスがあります。
 昔の子供は赤トンボの羽根を毟(むし)ってトウガラシなどといって遊んだそうですが、もちろんわたしは昔の子供ではありませんからそんな残酷な遊びをしたことはありません。
 わたしが子供のころ流行ったのはトンボのお尻に線香花火を突っ込んで「ロケット!ロケット!」と叫んで飛ばす遊びです。こんな他愛のない無邪気な遊びはおそらく誰もがした経験があるでしょう。

  蜻蛉のとまるところに日が射して  牧瀬蝉之助

 上の田圃に行くと、農業用のため池があります。大きさは二反ばかりでしょうか。
そこに行く途中小さなヤギの牧場があって柵を抜け出したヤギに纏い付かれて大変です。
 池にたどり着いてから、じっと水面を見つめていますと時々何かが浮かんでは潜って行きます。それらはたいていオタマジャクシですが、時折何か丸く平べったいものがチラと光って動きます。なんでしょう。
 ゲンゴロウです。岐阜の昆虫館の名和館長がこのごろすっかり見ることができなくなったと新聞で嘆いておられた体長5・・はあろうかという見事なゲンゴロウがたくさん生息しているのです。
 この流線形で黒く滑らかな昆虫は子供のころから憧れのまとでした。水中網で捕まえてこの手でしっかり握ることができたのは齢30を過ぎてからでした。手の中で船のオールの形に進化した後ろ脚が力強く動くのを十分味わってから水に戻したものでした。
 名古屋近辺の田圃には茶色の小さなゲンゴロウは一杯いますが、大きなゲンゴロウはなかなか見つけることができないのです。

  源五郎話をききに灯を取りに    千賀静子

 表で妙に変な声がするなと思ったら、音調が整って「ミーンミンミンミーン」とやり始めました。どこで鳴いているかと耳をこらしていましたら、どうやら柏の木から聞こえてくるようです。
 信州では庭に好んで柏の木を植えるのです。一説には「かしは(柏)あっても借りは無い。」という駄洒落からだといいますが、信頼できる筋からの情報では次のようです。
 柏の木は落葉樹ですが落葉の仕方に特徴があります。普通の木は去年の葉が落ちてから次の若い葉が出てくるのですが、柏は若葉が出てきてから古い葉が落ちるのそうです。これを子供の成長を見届けてから親が死ぬ、つまり家が途絶えないという縁起にたとえた訳です。

 さてその柏の木から聞こえてきたのはミンミンゼミの声でした。この蝉の声は有名ですが名古屋近辺ではあまり聞けません。山の蝉だからです。
 名古屋では梅雨明けころの岩にしみいるようなニイニイゼミから始まって、油を煮たたせたように「ギリギリ」うるさいアブラゼミ、夏の盛りを「シャーシャー」とよけい暑くさせるクマゼミ、秋口、夏の終わりを感じさせるツクツクホウシという順番で蝉の社会が成り立っています。ミンミンゼミやヒグラシは山に行かないとまず聞けないのです。

 信州に限らず山国での蝉はなんといってもミンミンゼミです。朝から昼過ぎまで元気に鳴いています。夕方や日が陰るときにはカナカナと悲哀をあびたヒグラシの声が聞こえることもあります。
 今朝方、下手くそに鳴き始めたミンミンゼミはおそらく柏の木の根元から出て来たばかりに違いありません。何故ならわたしが近づくと木の下の草むらからばっと飛び立ち、近くに大きな抜け殻があったからです。
   ・・・・
  風呂をもつ家は風呂たて蜩に    高田風人子
  子を殴ちしながき一瞬天の蝉    秋元不死男

 トンボやチョウは自分の道をもっています。
 庭のオニユリにカラスアゲハが蜜を求めてやってきました。それを追いかけて近所の子供が網を抱えて飛んできます。ユリの花にぶら下がるようにしがみついて蜜を吸っているカラスアゲハに網を一閃、振り降ろしましたがアゲハは悠然と網をかすめるように飛び去っていきました。
 子供は「カラスはまた来るよ。」と言って立ち去りました。しばらくして、同じ子が網を担いでやってきました。辺りをぶらぶらして時間を過ごしているとやんぬるかな、さっきのカラスアゲハが舞い戻ってくるではありませんか。
 ユリに止まって蜜を吸っているチョウに慎重に近づいたその子はそっと網を寄せ、静かに掬い上げるようにアゲハを捕らえました。 「捕ったよ、おじさん。」と自慢げに見せびらかせた後、お盆には生き物を殺した
らいけないんだと空にアゲハを放ち、次の獲物を求めてどこかに去って行きました。

 虫の好きな子はこのようにチョウの習性を利用して捕まえるのです。

 オニヤンマという大きな虎の模様のトンボはご存じでしょう。緑色の目からは火を吹くような迫力があり、巨大なあごにかじられたらそれは痛いものです。
 このトンボも村の外れの用水に立って待っていますと、威風堂々行きつもどりつしています。それもたくさん行き来していますからものの10分で3匹は捕れます。
 チョウもトンボも何らかの縄張りか仲間との約束か分かりませんが、こうした道をもっていて行ったり来たりしています。それらはオスのようです。
 生まれつきの習性を学習によって変えることのできない彼らを確かファーブルは「本能のもの知らず」と呼んだと記憶しています。
 彼らは本能に対する忠義な性質を利用されてたやすく人間に捕まってしまうのです。

 あな恐ろしきは人間なり。


 これら自然ののどかな営みの奥には厳しい自然の淘汰があります。
 平穏な自然は食いつ食われつの結果として表面上は調和という優しさを見せていますが、それは食べられることを逃れた得たモノだけの世界です。しかも逃れ続けられるという保証はどこにもないのです。
 シラユリに止まって優雅に翼をゆらめかす貴夫人のようなアゲハチョウも身を守りながら食べ、子孫を残すことにのみ腐心している弱肉強食の世界に身を置く戦士なのです。

 自然を愛でるとはその陰の世界をも視野に置いて眺めることが大切でしょう。そうすればチョウチョは好きだがガは嫌いとか、アオムシは嫌だけどカブトムシは好きなどという偏見と差別に満ちた偽善的自然愛は無くなろうというものです。 アリのように大地の掃除屋がいてくれればこそ、庭が虫の死体で一杯にならずに済んでいることに目もくれず感謝もせず、たまに砂糖壷にアリがたかったからといって殺虫剤を取り出して大騒ぎすることはないのです。

 ひるがえって、わたしたちが人間界を見る時はどうでしょう。残念ながらわたしたちが人間社会を見る視座も実は虫の世界を見る時とあまり違っていないことを本当はしっかりと自覚する必要があるのです。
 つい口にしますね、「あいつは虫けらみたいなやつだと。」

中上健次

 角川書店刊の「俳句」誌では俳人以外の人による鼎談形式で俳句鑑賞を掲載しています。わたしはこのコーナーを最も愛読しています。参加者は歌人の前登志夫・岡井隆、作家の中上健次の各氏です。
 ところが最新号の平成4年8月号では中上健次氏が欠席していました。以前から健康状態が悪く、腎臓ガンであることを新聞や雑誌で明らかにしていましたから、心配していましたが、はからずも訃報として伝えられました。

 わたしは彼のファンではありませんが、新聞の訃報で興味を持ったことがありました。
 その記事には彼は非差別部落の出身であることが明記されていて、後日の吉本隆明の追悼文でもそのことに触れ、島崎藤村がその作品の「破壊」や「夜明け前」などで告発的に非差別部落の問題に触れてはいたものの切り込みは浅かったが、中上は現象の奥底に深く割り込み、差別そのものさえも超克した、すなわち人間を超え、山の神や地の霊の世界まで進んで、そこにおいて差別を実にあっけからんと乗り越えたと書いていました。

 それに対して帰宅して読んだ朝日新聞では中上の出自には全く近づかず、単に彼との交友録や文壇的(文学的ではない)評価でお茶を濁していました。

 長野は差別問題に地域で取り組んでいます。町のあちこちに差別をやめましょうと看板が一杯立っています。地域での取り組みが顕著なのです。また、根強い差別問題が身近にあるということでしょう。ですから信濃毎日でもはっきり書いたのかも知れません。

 先の「俳句」誌で中上は歯に衣着せぬ物言いで俳人から反感を持たれるほど俳人を斬っていました。編集部でカットされてしまうとも鼎談の中で述べているほどでした。

 ただわたしが予想するに現象の上辺だけを見て客観写生などとありがたがっている俳人に対してそのお目出度さにはがゆかったのかも知れません。今日の俳句はもともとが現実肯定的な呑気なものが大勢を占めていますから。
 生きている現実を素直に何の疑問もなくのほほんと生きているわたしのような人間は中上のように生まれついて何の言われもない差別に出会う人からすると何も考えず生きているように見ことでしょう。非差別部落民や在日の韓国人・朝鮮人のように本人の全く関与しえない部分で生まれついて差別を受けている人はまず現実の不条理に疑問を持つことでしょう。そして次に現実を破壊する行動に出るか、意味の世界で何らかの決着をつけようとするの違いありません。
 それのできない人はグレるか落ち込むかでしょう。どれを選択するかはその人の個性と能力によって決定されると思われます。
 中上は文学でそれに立ち向かったうえで、差別そのものを超克しようとしたのでしょう。そんな彼から見ると俳句の世界は実に薄っぺらなものだったに違いありません。
もちろん彼とて文学的に評価できる俳句や俳人はきっちり評価していました。彼は俳句を愛していましたから。

 ただいつも耳に残っている言葉があります。それは知り合いのアメリカ帰りの日系3世の女性の言葉です。

 「日本はいいわ。だって日本人だからといって差別されないもの。」

 場所と時代が変われば自分も差別される側の人間であることを常に自覚することは生きるうえでの基本だとは思っています。そして無自覚に生きるといつの間にか差別する側に回ってしまうのだということも。

 さらに人は若い自分と年老いた自分を比較して、若いときは良かったと今の自分自身を差別します。
 思うように手が動いたときと、五十肩で手が上がらない今とを比べて、この手が悪いのは使い過ぎて動かなくしてしまった自分に原因があるのは横において、手を責めます。他人を差別したり責めたりするのと同じように。
 
 「元気なときは障害者になぜ金をかけて面倒みなきゃならんかと思っとったけんど、自分が動けなくなったら勝手のええもんで、障害者をもっと大切にしよと思う。」とはわたしが訪問している患者さんの言葉です。


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