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2011年1月25日 (火)

游氣風信 No30「陶芸 保健所事例会議 今日から始める俳句 米」

游氣風信 No30「陶芸 保健所事例会議 今日から始める俳句 米」

三島治療室便り'92,6,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

<游々雑感>

陶芸体験

 先月31日、名古屋市中村区の陶芸家、N先生の工房で陶芸に挑戦してきました。

 総勢12名。参加者の内訳は日本人4人、アメリカ人6人、カナダ人2人。ほとんどが初めてかそれに準ずる人。一人だけアメリカ人で本格的に陶芸をしている人がいました。
 N先生の工房は閑静な町の中にあり、ごく普通の民家の一階を全部陶芸のためのスペースにあて、住居は二・三階になっています。
 工房の真ん中に製作用の机がドンと据えられ、その上には手回しの轆轤(ろくろ)が何台か置いてありました。さらに庭への出入り口の所に、電動の轆轤が無造作に置かれ通行を妨げていました。

 工房の奥には完成した作品や窯入れを待つ製作途上の皿などを並べておく棚を設えた小屋があり、そこにも一台電動轆轤が粘土などと一緒にしまってありました。その小屋はN先生の手によって建てられたものです。
庭は菜園になっていていろいろな野菜が植えてあり、片隅には白い子犬が甘えたくて跳びはねていました。

 工房の一角には一辺150センチ位はあろうかという立方体のいぶし銀に輝く窯があって、太い煙突が窓から上のほうに這い出ていました。希望があれば人間を焼くこともできそうですが、多分警察に捕まることでしょう。
 とても大きい窯なので一度に相当たくさん焼かないと燃料費がかさむので簡単には火を起こせないそうです。

 まずは全員で紐作りによる抹茶茶碗に取り組みました。
 N先生が粘土を両手にくるんでくるくる揉むと直径1センチ位の紐がスルスル垂れてきますが、みんながやると太かったり細かったりのまるで田舎風手打ちうどんのようなものができあがり、あげくぷつんと切れてしまったりと、ままなりません。
 それでも全員苦労して立派に茶碗の形に仕上げました。

 体の大きなカナダ人のT氏は、器を自分の体形と同じようにとても大きく分厚くしてしまい、乾かした後でかなり削り取るはめになりました。いつも体重計に乗っては悲しそうな顔をしているT氏のことですから、きっとご自分の体も削り取れたらなぁと思いながら削ったに違いありません。

 繊細な風貌の米国人B氏は広口の夏茶碗を見事に仕上げました。表面を濡らした鹿革を使ってつるつるにしていました。うまく焼き上がれば品のいいものになるでしょう。

 米国人のB婦人は背の高い花瓶が欲しいといって、茶碗ではなく花器に挑戦して形よく作り上げ満足そうでしたが、25%は縮むと聞いてもっと高く作ればよかったと少し後悔していました。
 B婦人のお子さんの7歳になる可愛いFちゃんはピエロを作りました。去年まで幼稚園の粘土遊びで鍛えてあっただけに、なかなか上手でした。
 B婦人のご主人R氏は茶碗作成のあと、真剣に何かに取り組んでいました。聞くと能面を作るとのことでしたが、できあがりは髭を蓄えた西洋人の顔でした。いささか不可解感も残りますが、これは言語の相違による伝達の困難さゆえのことでしょう。


 そのあと、電動轆轤を何人かの人が試みました。
 先のT氏は苦労しながらも上手に湯飲みを作り上げました。ところがここで先生が大ちょんぼをしてしまいました。その出来立ての柔らかい、まるでサナギから蝶になったばかりのような作品を板に乗せて動かすときに倒してしまったのです。先生はすぐさま四角い口の湯飲みとして形を整えましたが、ひょうきんなT氏はハンカチを取り
出して泣く真似をしていました。

 A氏は実に見事に大きめの抹茶茶碗を完成させました。これには一同びっくり。わたしが「ジーニアス(天才)!」と叫びましたら、真っ赤な顔で照れていました。そのとき片耳の真珠のピアスがきらりと光りました。

 初めてながら皆さん結構上手に轆轤を回しました。しかし土が無駄になること。無駄になること。湯飲み一個作るのに十個分の土を浪費する感じ。水を加えればまた使えると聞いて環境保護に関心の深い外国人たちは安心していました。

 わたしは紐作りによる抹茶茶碗を過去に三回苦労に苦労を重ねて作った経験がありました。その暗い悲惨な土との悪戦苦闘の体験をその日は立派に生かすことができて、思い通りで、なおかつ先生お褒めの形ができました。荒々しい表(要するに雑ということ)はそのまま生かした方が良い、という先生のありがたい助言に素直にしたがって粗野な茶碗ができました。焼いたらどうなるかは神のみぞ知るですが。
 しかしその茶碗で抹茶を毎日飲んだら腕力が強化されることは確実でしょう。普通の倍近い重さであるには間違いないでしょうから。

 午前中で一通りの工程は終わりました。あとはN先生に色付けと焼き上げを任せて完成を楽しみにするだけです。

 先に帰った二人を除いて全員、二階の食堂に上がって先生の料理と皆の持ち寄ったお弁当を食べながらビールを飲みつつ歓談しました。
 最後に先生から全員に先生作のとっくりや猪口、皿や一輪挿しなどのうち一品づつをいただいてお開きとなりました。

保健所の事例会議参加

 先月わたしの元へ江南保健所から、寝たきりで家庭療養しているHさんの在宅医療に係わる一員として会議に参加してほしいと要請がありました。
 Hさんの在宅医療を今後どのように展開していくかという会議です。
 出席は主治医と県と市の保健婦、S病院のソーシャルワーカーと市のホームヘルパー、それに一番遅く係わり始めたわたし、あと保健所の偉そうな人たちでした。

 まずは過去数年間のHさんの病状の経過とそれに対するケアの報告があり、次に今後どのようにケアを展開していったら良いか話し合うというものでした。
 保健婦さんの作成した緻密な報告書を見てわたしのみならず、主治医の先生も大変驚かれ、一人の患者のためにここまで情熱をもって係わっている人々にいたく感心いたしました。
 なにぶんにもずっと一匹狼でやってきたわたしとしてはこのようなチームの一人として活動することはなかったので、この会議に参加することで新鮮な感慨を得ることができました。
 もっとも一匹狼と言えば聞こえはいいですが、波間に浮きつ沈みつしている水母(くらげ)のごとき怠惰な毎日を送っているわたしとしては、こんな会議に参加することは初めての経験なので緊張と戸惑いがありました。
 正直なところ、会議中、柔和な笑顔の保険婦さんから時折きりっとしたまなざしをこちらに向けられると、そのつど自らのいい加減な仕事ぶりを追及されるようで胸の動揺は禁じ得ませんでした。

 高齢化社会に向かっていろいろな試みが、まだまだ静かなささやかな潮流ではありますけど、確実に動き始めています。そしてそれらは病院における看護婦さんや地域に密着した保健婦さんたちのナイチンゲール精神に代表される善意的犠牲と努力の上に成り立っているようです。
 ちなみに保健婦とは看護婦が広く地域社会に貢献するためにさらに勉強して取得する資格です。助産婦も同様です。したがって看護婦も保健婦も助産婦もみな基本的に同じ志を有する女性たちなのです。

気楽図書館

「今日から始める俳句 黒田杏子著(小学館ライブラリー)」小学館¥720

 世は「無常」と言います。すべてのものごとは常ならず、いつも刻々と変化しているという意味です。
 ところが、音が「むじょう」ですから、つい心のどこかで「無情」と混同してしまい、はかなさ、つめたさ、わびしさという感情で捕らえてしまいます。
 もともと「無常」は感情を交えないで現象をそのまま見つめる冷徹な認識であり、反対に「無情」はこちらの感情に引き寄せてしまう見方です。
 つまり「無常」とは変化を言うのです。変化を悲しめばはかない、さびしいものとなり、喜べば新しさ、発展となります。
 青年も老い、花は枯れ、岩は風化し、繁栄を謳歌した文明は滅びます。しかし、変化は退行だけではありません。子供はたくましい青年になり、花は実を結び、岩は砂として生まれ変わり、滅んだ文明の遺産は新たな文明を築く礎となります。
 人は疲れ、睡眠を求め、翌朝、再び新しい一日が始まります。すべてのものごとはこうした巡りの中にあります。それをどう捕らえどのように感じるかはその人次第です。

 毎日の生活は一定のパターンの繰り返しからできています。
 日常性は安定を感じさせますが裏返せば陳腐なものです。ですから人は時々旅に出たくなるのでしょう。反対に非日常性とは不安定ながらも新鮮なものです。
 わたしたちの普段の生活はともすれば変化に乏しく何か時間に追われて流されているようなもどかしさを感じます。その時間の流れに対して時には杭を打ち込んでやりたくなるのが人情でしょう。生きた証しが欲しいのです。
 先に述べた旅行に行くのもその一つですし、身近なところでは日記をつけたり、写真やビデオを写したり、絵を描いたりします。また、短歌や今回紹介した本を参考に俳句を作るのもその方法です。
 流動的な土を焼き固めて「形」として永遠化する陶芸もまた同様です。

旅に出て、初めての風景に感動しその印象を胸に止め、日記やアルバムに時の断面を封じ込め、心の揺れを三十一文字や一七文字に刻み込み、素材に思いを交じえながらキャンバスに絵の具を盛り上げ、人間としての生きた確かな息遣いを止めておきたい・・・これはわたしたちが常ならぬ世に生きている不確かな存在であるからに外ならないでしょう。
 日常の流れに杭を打ち込むものの一つとしてここに紹介した俳句があります。
 作者黒田杏子は博報堂のキャリアウーマンとして多忙な毎日を暮らしながら、自ら主宰する結社誌のみならずテレビやラジオ、雑誌にと活躍する今日もっとも多忙な俳人として、また妻として、どれもが他を犠牲にすることなくむしろ互いに高めあって充実した毎日を過ごしておられます。俳句もさることながらその生き方と個性が多くのファンをつかんでいるようです。

 作者は日常生活と俳句の関係を季語を通じて次のように書いています。

 俳句の愉しさ、すばらしさの核は季語との出会いです。生きている限り、人はいつも何かに出合っています。そういう出合いの瞬間を季語に託して詠む、それが俳句です。この世の中の森羅万象、すべてが私たちとの出合いを待っていると考えてみたとき、生きている一瞬がかけがえのない大切な時になるはずです。(中略)何気なく眺
めていたすべてのものが、いったん俳句を作ろうという姿勢になった人には、まるで別物のように、生き生きと新鮮に見えてくるのです。


 わたしにもこんな経験があります。
 この春のことでした。「とうとう桜も終わりか。」と空を見上げました。そこには少し前までの豊かな桜の花は無く、枝にわずかな花びらが残っているだけ、しかも絶え間無くひらひら散り続けていました。
 桜が散るとき、人ははかなさを感じないではいられません。日本人は散る桜に人生を重ねて見ようとします。散り急ぎを美とする傾向さえあります。

 ところがわたしの目に飛び込んで胸を打ったのは散る桜ではなく、先日まで桜に隠されていた青空でした。
 満開の桜がその見事さと裏腹に、青空を覆い隠してしていたのです。春から初夏へ向かう瑠璃色の空を背後に追いやっていたのです。
 そのとき「桜の野郎め。こんな奇麗な空を隠していやがったのか。」というのがわたしの心境でした。新鮮な驚きだったのです。
 こんな感覚は漠然と眺めるだけでは見逃したことでしょう。

 さて、本の紹介の方がすっかりお留守になってしまいました。
 「今日からはじめる俳句」というタイトルからも分かるように今まで俳句に縁のなかった人、関心はあったが入り込めなかった人向けに実に優しく手をとって指導してくれてある本です。指導というより作者が一番楽しみながら読者と一緒に俳句会(通称句会、無記名で互いの俳句を選び、後で批評し合う会)や、吟行(日帰りもしくは一泊旅行に出掛け、その地で出合ったものを俳句にし、句会を楽しむ)をしている雰囲気。

 作者は「まえがき」に言います。
 俳句を始めて後悔している人に私は出合ったことがありません。年齢にかかわりなく、俳句を始められた方はどなたも、「あと十年早く始めていたら・・・」とおっしゃいます。 どうぞ、あなたも今日から、あなたの俳句づくりを始めてください。

<後記>
 尾張平野でも田植えが終わりました。
 息子に頼んだら田植え機が田圃とうまく接地していなくて、たくさん苗が浮いてしまい、手で植えなおしたという農家のおじいさんがいました。そのことを息子に言うと来年から手伝ってくれなくなるといけないので内緒にしているそうです。その人が田圃に入れるのも頑張ってあと十年、日本のお米はどうなるのでしょう。

 アメリカのお米を全部買っても日本の消費量の半分も賄えないでしょう。日本の農地の値段はアメリカの40倍、潅漑費が10倍、肥料代が5倍、農薬代が4倍、機械代が20倍。その日本の米がアメリカの3~4倍というのは大健闘。茶碗一杯が20~30円、あんパン一個が100円。こんな米を高いとわたしたちは信じこまされているのです。

 しかもアメリカは米に76,5%の補助金を出しているのです。日本は18%。これもアメリカの米が安い理由です。いかに日本の農家が苛酷な労働によって米を生産しているかがわかります。つまるところ普通の農家は米では少しも儲けていないのです。
 世界の米流通のほとんどはタイの米が賄っています。タイで米の生産量が1,4%減少したとき国際価格が53%高騰したそうです。米はまだまだ投機的な状況にあります。


 また水田のもつ保水能力はとても貴重です。ただでさえ山間部の農家や林業の後継者がいないところへきて米が自由化されたりしたら、山間部の田圃、例の棚田は壊滅します。すると水はあっというまに海に流れ去りますから、水不足や洪水などの治水に重大な問題が起こるでしょう。
 先程の農家のおじいさんの息子に対する愚痴は日本人全ての問題でもあります。
 資料参考は「コメの話 井上ひさい著」新潮文庫でした。
(游)

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