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2011年1月25日 (火)

游氣風信 No27「暦・裸祭り・五十肩」

游氣風信 No27「暦・裸祭り・五十肩」

三島治療室便り'91,3,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/


《游々雑感》

 3月は陰暦で弥生と呼ばれていましたが、その語源は「草木がいや(弥)がうえにも生い茂る」すなわち「いやおひ」からきているそうです。なるほどうまく言い表しているものと感心します。そうなると1月の睦月や2月の如月の語源は如何にと関心が沸いて来ようというものです。

 陰暦一月の睦月は「睦み月(むつみつき)」、新年を親しい人達と親しみ睦み合ういう意味。「一年の計は元旦にあり」と年の初めを大切にしたのでしょうね。
 今の季節に当てはめると2月上旬から3月上旬、今年は2月4日が旧の元旦です。

 如月は諸説紛々です。暖かくなったとはいうものの、それゆえに感じるうすら寒さのために服を更に着るので「衣更着」。陽気が発達する季節なので「気更来」または「息更来」。草木の芽が張り出す月なので「草木張り月」。田を鋤き畑を打つところから「鋤凌(すきさらぎ)」等々。
 感覚的には「衣更着」が共感できますね。陽暦ではほぼ3月から4月頃になります。


「風雨改まりて、草木いよいよ生ふるゆゑに、いやおひ月といふを謝まれり」が始めに書いた弥生です。表日本の桜の頃。盛りの桜を楽しみ別れを惜しむ気持ちが含まれています。陰暦の三月ですが陽暦では大体4月上旬から5月上旬に跨がる頃に相当します。
 「さくら さくら 弥生の空は」の意味が理解できました。

 卯月は陰暦の四月。卯の花の咲く月。一説には稲を植える「植月」も。自然と農耕が生活や暦と深くかかわってきているのがよく分かります。
 今の5月上旬から6月上旬。

 陰暦の五月は「皐月(さつき)」で陽暦の6月上旬から7月上旬。「小苗月」、「五月雨月」、「早苗月」の略等との説がありますが、早苗月が穏当と言われています。

 橘の花が咲くので「橘月」、五月雨で月を見ることが稀なので「月見ず月」とも。
ここから五月雨は今の梅雨であることが見て取れます。
 庭木のサツキとの関係は分かりませんが、多分皐月に咲くのでサツキと名付けたのでしょう。
五月晴れは梅雨の合間の晴れた日を言いますが、今日一般的には5月の爽やかな薫風の日を呼ぶようになりました。

 水無月は陰暦の六月で、陽暦では7月上旬から8月上旬頃に相当します。子供のころ、どうして6月は毎日毎日雨が降り続く梅雨時なのに水無月と呼ぶのか不思議でした。
新暦の7月を表しているなら例年水不足がささやかれ始める月なので合点がいきます。

 炎暑に苦しむ陽暦の8月上旬から9月上旬は陰暦の七月で文月。ややこしいですね。
書いていて混乱してきます。
 名古屋周辺ではお盆を8月に行いますが、東京方面では陰暦を踏襲して今でも7月に行うようです。
 子供達にとって8月は夏休み、海や山が呼ぶ楽しい月です。しかし同時に広島、長崎の原爆の日に続いてお盆と敗戦記念日がくるところになにか心に訴えかけてくるものがあります。その頃にはそこはかとない秋風も吹き初め、赤トンボがそれに乗り里まで下ってくるし、いやがうえにも感慨が深くなり死者(祖先)との距離が近づく季
節です。
 文月の語源は「穂含月」「穂見月」とありますが、一般には「文披月」とされています。意味は七夕のために貸す文をひらくということですが正直いってよく分かりません。

 陰暦八月は葉月、今の9月上旬から10月上旬に跨がります。由来の説にいろいろあって「木の葉のもみぢて落つるゆゑに、葉落ち月」「雁が始めてくるので初月、または初来」などあってはっきりしないようです。

 長月は陰暦の九月で、現在の10月上旬から11月上旬です。語源は夜が長くなるので「夜長月」。もう一つは雨が長く降るので「長雨月」。この頃の長雨を秋霖と呼びます。
 11月初めから12月初めにかけては陰暦の神無月で十月。俗説に諸国の神様が出雲に集まり不在になるので神無月。もちろん出雲では神在月。

 霜月は陰暦拾壱月。12月上旬から1月上旬に相当。霜降りの月です。

 おしまいは有名な師走。時節的には現在の1月上旬から2月上旬に当たりますが、今日では混同して陽暦の12月に用いています。
 師(僧侶)が忙しく走り回るところから派生したとされています。別説に一年の終わりの「為果つ月(しはつつき)」とも言われていますが、いかにも忙しい雰囲気から師が走るのほうに軍配を上げたいですね。

 こうしてみますと、陰暦と陽暦の間にはかなりの季節感のずれがありますね。農耕には陰暦のほうが実用的ですから農時暦は今でも陰暦となっています。


裸祭り

 国府宮の裸祭りは毎年陰暦の1月13日に行われます。今年は2月16日の日曜日に重なったので大変な人出だったようです。
 裸祭りは正式には尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ=国府宮)の「儺追の神事(なおいのしんじ)」と言い、一人の神男を選んでその人に皆の災難を受けてもらい厄を逃れようという祭りです。

 何日間か身を清めた神男が拝殿に出ると儺厄を落とそうと各集落から集まって待ち構えていた裸男たち(主に数え年の24歳と42歳の厄男たち)が神男に少しでも触れようと殺到し、反対に神男を守るための護衛も活躍して激しい揉み合いになります。

 そこに手慣れた人達が水をかけて裸男たちを誘導して神男の道を作ります。神男はうつ伏せのまま触られたり殴られたり踏ん付けられたりして半分失神状態になるそうです。それを護衛の人達が神男の腰に縛りつけた縄を引っ張ったり担いだりして運んで行きます。
 かけられた水は寒空にもうもうたる蒸気と立ち上がり、実に勇猛果敢な男らしい祭りとなります。しかし参加した人に聞いた話では寒風にさらされた肌に水がかかるとものすごく痛くてあちこち逃げ回っているのだというのが一面の真相だそうです。いずれにしても掛け声と熱気、水蒸気を舞い上げて揉み合う男たちの勇壮な祭りのクライマックスを迎えます。

  その後、裸男たちは酔いから醒めて泥んこのまま家路を急ぎます。祭りの後の侘しさと裸の寒さと恥ずかしさが一度に襲ってきて、2度と裸何ぞになるものかと、ちょうど二日酔いの時と同じ心境にさいなまれるのですが、また来年その日が近づくと気もそぞろになり、裸で国府宮まで走って行くのだそうです。
 最近は神社の近くに風呂と着替えの場所を確保して参加する人達が増えていますが、その家がどこだか分からなくなってたどり着けない裸男たちも一杯いるようです。

 その夜、主役の神男は餅を背負って土に埋めてみんなの厄を払います。もっともそのとき神男は一人では歩けないほど疲弊しますから、両脇を支えられてやっと成し遂げるのだそうです。神男はまさに命懸けなのです。

 昔は旅人や乞食を無理やり神男に仕立てあげ、あげくのはて、殺到する厄男たちに揉み殺されたなどという生け贄のような話も伝わっていますが本当のところは分かりません。でも祭りの本来の在り方からすると真実のような気がします。
 どこかは知りませんが、似たような祭りで神男でなく木の玉を奪い合う「玉せせり」というのもあります。

 翌日には事前に奉納された大鏡餅が皆に一かけら100円くらいで頒けられて、その餅を食べると風邪を引かないと伝えられています。また裸男が首に巻いていた手ぬぐいを裂いて貰うとそれも病気除けになるとありがたがられています。

 そして祭りが終わると尾張平野はゆっくりと春に向かいます。

  梅の花ちるや儺追の神嵐    丈草
[参考 日本大歳時記 講談社]


《折々の健康》

五十肩

 およそ齢50になる頃、棚の物を取ろうとして肩がズキンと痛かったり手が上がらなかったり、帯を後ろで締めようとしたら手が後ろに回らない、ブラジャーのホックがうまく止められない、夜中に肩が疼いて目が覚めてしまうなどの症状が出てくると、五十肩と呼ばれます。
 英語ではフローズンショウルダー(凍りついた肩)と呼んでいます。
 症状の辛さと50という加齢を意味する名称が結構本人にはこたえるのですが、案外周囲は冷淡です。なぜなら命にかかわる病気ではないし放っておけば大体治ってしまいますから。

 もちろん50歳前にかかる人もいれば、70歳すぎてなる人もいます。若い人は「そんなに年じゃないのに、嫌だわ。」と言うし、年配の人は「わしも案外若いなも(発音はアンギャーワキャーナモ)。」と喜びます。

 この病気の原因はまだはっきり分かっていません。どこかに強く打って痛み出したり、仕事で手や腕を使い過ぎて症状が出たのなら原因がはっきりしていますから違う病名がつくでしょう。これといった原因もなく自然にいつの間にかさまざまな症状が出てくるものを五十肩と呼ぶのです。

 50年間ひたすらこちらの言いなりに働いてくれた腕が、「すまんがちょっと休ませてくれんか。」と勝手にストライキを始めたようなものです。思えば身体は精神の僕として何ひとつ苦情を言うわけでなく黙々と機能をこなしてくれています。わたしたちが身体に関心を持つのはどこかが悪くなったときだけですからね。

 ここはひとつ身体の訴えに耳を貸して、こちらの都合ばかり考えて無理に使っていたことを反省してみましょう。そして身体からのいろいろな信号を素直に聞いて身体と仲良く暮らして行く必要があります。
 運動選手や音楽家などは「この膝さえ痛くなければもっといい記録が出るのに。」
「手がよければ演奏ができるのに。」といいますが、膝を悪くしたのは、手を壊したのは誰かが忘失されています。自分の身体を道具の感覚で見ているのです。

胃が悪い原因は食べ過ぎた自分が作ってはいないか、自分がやりたいからと好き放題にやって身体を壊してはいないか、よい機会ですからちょっと立ち止まって考えてみるといいでしょう。
 自分が原因を作っていると分かったら健康保険は使わないくらいの心構えがほしいですね。ただ安いから、保険料を払っているからと娯楽での障害や飲み過ぎに健康保険を利用しようなどとは思わないでほしいものです。
 身体は本来体と心が不可分に存在しているものですから、改めて身体をいたわる気持ちが大切です。
 五十肩やぎっくり腰などはそのチャンスなんです。

炎症
 五十肩は肩の筋肉や関節、腱などに炎症が起こっています。痛いから動かさないと筋力が弱くなって肩と腕の境の関節が不正になり、神経の痛みも出てきます。これは疼きや鋭い痛みが肩から肘、手首までも響いてきます。

 この炎症があるから五十肩はなかなか治らないのです。
 以前仕事で手を酷使して手が上がらなくなった30代後半の女性の調整をしたことがあります。この人の場合、骨盤の調整と肩甲骨と鎖骨の間を少し広げる調整をしたらすぐ上がるようになりました。これは五十肩ではなかったから簡単に処置できたのです。

 ひどくなると関節に石灰分が沈着して全く動かなくなります。こうなると治るまでに2年近くも費やすことになります。それでも必ず上がるようになるから安心してください。ただし少し上がり方が悪くなります。

 怖いのは癌などの病気からも似た症状がでることです。夜間の痛みがあまりひどかったり、じっとしていても痛いときはしっかり検査をしたほうがよいでしょう。まして体重減少などがあればなおさらです。

調整
 おかしいなと思ったら早めに腕を休めることです。
 骨格的には骨盤からの歪みが見受けられますから、骨格調整を受け、家庭でやれる安全な操体法を続けることです。
 東洋医学的な全身調整も経絡体操と呼吸法が有効です。基本的には腎経と胆経を調整します。
 食事は砂糖や酒は避け、色の濃い野菜をしっかり食べ血液をきれいに保つことです。


 キネシオテーピングも家庭でできる方法として勧められます。
 夜間痛には肩の下にタオルを畳んだ枕をいれておくと多少楽になります。
 痛いからと全く動かさないと筋肉が弱り、関節の動きも悪くなります。痛みが許容できる範囲で動かした法がよいです。上半身を床と平行になるまで前屈し、痛いほうの手でアイロンを持ち、身体の反動をつかってぶらぶらするアイロン体操という有名な体操もあります。

 操体法、経絡体操、呼吸法、テーピングについては游氣の塾にお問い合わせください。

《今月の言葉》

  寺山修司

  幸福とは幸福をさがすことである。    ジュール・ルナアル

── 私はこのルナアルの言葉を、高等学校の便所の落書きのなかで発見したのだ。私はこの大きな真理をなんべんもよみながら、目にしみるような窓の青空に目をやった。
   人と人とに出会いがあるように、人と言葉とのあいだにも、ふしぎな出会いがあるものだなあ、と思いながら。

[ポケットに名言を 寺山修司 角川文庫]より

《後記》
 指圧塾に来ていた米国人のデニーが家庭の事情で急に帰国しました。突然のことですのでお別れ会もできませんでした。別れの挨拶に来た彼は、「指圧塾はとても楽しい生活のリズムを私にくれた。仲間(4人の外国人と4人の日本人)との雰囲気も良く、(母ほど年の離れた)日本の女性たちとも言葉は通じなくても楽しくコミュニケーショ
ンができた。」と大変出会いを喜んでくれました。

 帰り際、部屋の中を何度も何度も見回して、脳裏に、胸に、瞼に日本の思い出を刻み込みながら、名残惜しそうに去って行きました。彼の涙をたたえた青い瞳が生涯忘れられそうもありません。
 彼はアメリカの大学に帰った後、近い将来、アフリカに行く予定だと言っていました。これからも数限りない出会いの喜びと別離の悲しさを体験して行くことでしょう。

 茶道の言葉「一期一会」が改めて思い起こされました。

 これから花粉症の季節です。しかしアトピー性皮膚炎ともどもあまりに患者数が多すぎますね。花粉は単なる誘因で本当の原因は文明それ自体の在り方にかかわっているような気がします(詳しくは游氣健康便りのNo,2に書きました)。
 環境の歪みはまず弱者に現れるのは水俣病の猫の例で明らかです。食事の制限や皮膚軟膏などで表面を取り繕っているうちに大変なことになるような不安感は誰もがなんとなく感じているこの頃ですね。

 さりとて春は身体の中から何かが湧き出してくる季節です。家にこもっていないで陽気を吸い込みに出掛けましょう。動けない人も窓を開け放って自然のエネルギーを身体の隅々まで吸収いたしましょう。
 生きている実感の享受、これなくして病気は治りません。
(游)

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