游氣風信 No25「新年の遊び 在宅ケア」
游氣風信 No25「新年の遊び 在宅ケア」
三島治療室便り'92,1,1
三島広志
E-mail h-mishima@nifty.com
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/
≪游々雑感≫
新年
新年を祝うのは、無事年を越せたことのへの感謝の気持ちの表れでしょう。つまり「去年1年、無事に過ごせておめでとう」ということだと思うのです。
それに加えて、「今年も無事過ごせるようによろしくお世話になりますよ」と健康や無事を親しい人同志、互いに声を掛け合って言祝ぐ訳です・・・などと勝手に解釈しています。
何はともあれ古い年は去り行きました。そして希望と不安をないまぜにして新たなる未来が私たちを待っています。
本年が活力ある年であるように、毎日を大切に生活していきたいものです。お互い励ましあって楽しく頑張っていきましょう。
今年も希望の方にこの雑文をお届けしたいと決意も新たにワープロに向かっています。(とんでもない、読まされる身にもなってくれという声も聞こえないこともありませんが・・・)
正月の遊び
正月の遊びと言えば独楽回し、歌留多取り、凧揚げ、羽根突きなどと相場が決まっていましたが、そんなものは今日の子供達には全く顧みられません。今はファミコン、テレビ、アニメのビデオあたりが人気のマトでしょうか。
したがって伝統的な遊びは俳句の中に年配の人達の郷愁として残るだけになりつつあります。
黒髪を乱してかるたとりにけり 下村梅子
正月用に着飾った促成のお姫様も勝負となると前後の見境はありません。
手毬唄かなしきことをうつくしく 高浜虚子
どんな手毬唄かは分かりませんが、悲しさを美や滑稽に置き換えるすべを昔の人は知っていました。
目隠しが透いて見えたる福笑 籾山梓月
「しめたっ。見えるぞ!」と思いつつも完璧に並べたら透けていることがばれてしまいますから、どうごまかすかが腕の見せ所。
独楽の紐ながくて童ひき切れず 山口波津女
子供の悔しげな顔が目に浮かびます。
羽子板の重きがうれし突かで立つ 長谷川かな女
大人の女性の感慨でしょう。それにしても羽根突きなど全く見かけません。
双六の賽の禍福のまろぶかな 久保田万太郎
賽(サイ さいころ)の禍福とは作家万太郎ならではの捕らえ方です。
私が子供の頃は、独楽と凧揚げはよくやっていました。福笑いや双六は今でもやっていますね。それに最近では百人一首や歌留多よりはトランプの方が人気が有るのではないでしょうか。
そういえば子供達が常日頃、表で遊ぶ光景がすっかり減ってしまいました。正月くらい外に引っ張り出して伝統遊戯を教えるのも大切な大人の仕事でしょう。以前は子供の社会で大きい子から小さい子に自然に伝わったものでしたが。
在宅ケア
(注:介護保険施行の10年近く前に書いたものです)
この頃、在宅ケアを要請されることが多くなりました。患者さん同士の紹介はもちろんですが、お医者さんから直接、あるいは医師会から鍼灸師会を通じて、または保健婦さんを通しても増えてきました。そして、訪問してみると患者さんの重篤な状態に驚かされます。
気管切開といって、痰を吐く力のない人が喉元に穴を開けているのをご存じでしょう。症状が進行せず一応の安定をみたら、その状態で退院して家族が面倒をみているのです。尿は管が直接通してあって週2回ほど看護婦さんが来て処理してくれるようです。
また、別の患者さんのところには週3回も点滴の為に医師と看護婦が訪問してくれるそうです。
往診するドクターも大変ですが、なにより付ききりで看病する家族の御苦労は並大抵のものではないはずです。
私も訪問していろいろなリハビリテーションの技術を患者さんに施しますが、それ以上に家族の方(主として奥さん)の愚痴を聞くことも大事な仕事になっているようです。病人の辛さもさることながらその看護のためのしわ寄せが大抵たった一人の家人に集まってしまうのですからその御苦労は想像以上のものであることは間違いあり
ません。
それに核家族化が進んでいて、介護者がほとんど老人と呼んでおかしくないのが原状です。
病む人とその周辺に現代社会の持つ様々な歪みが凝縮して露呈しているんですね。
医療や家庭、教育や経済等のさまざまな問題が。
私のように政府公認の正統的な医療と非公認の非正統的医療の狭間にあるような立場の者でさえも、医療の一端を担う者としてこうした在宅ケアに関わる機会がどんどん増えてくるようです。
(公認と非公認の間とは、厚生省認定の学校を卒業し、国の認めた試験に合格し保健所に届けて開業しているという点で公認、保険を扱うには症状によって限定され、さらには医師の同意を必要とするという点で非公認、しかも鍼の効く理由が未だ明確でない点でも非公認です。私たち鍼灸指圧などの業務を医業とは区別して医業類似行為と言います。)
今まで私が訪問した患者さんは脳卒中後遺症やパーキンソン病(脳のある物質の分泌が悪くなって起こる病気。体の機能がだんだん衰え、手が震えだし、顔が能面のように無表情になり、歩いていてもパッと止まれない。)、筋萎縮性側索硬化症(進行性の筋肉の萎縮する病気。有名な宇宙物理学者ホーキング博士が罹っている。難病中の難病。)、頚椎性の四肢麻痺や腰椎性の両下肢麻痺、小児の脳性麻痺など予後の厳しい病人や障害者ばかりです。そしてその分、本人や家族の肉体的・精神的及び経済的負担は大変重いものです。いかに医療費が無料とは言えども。
私達身体調整に関わる者は病人や家族の抱える苦難に共感しながら、患者さんを明るく励ましていかねばなりません。障害者だからと自棄的になりがちな人達を、何とかして患者自身の持てる能力内で充実した毎日を暮らしていけるように手助けが出来るように心掛けていきたいものです。
そのために苦しんでいる人達に対して医療的技術の提供と精神的支えを媒体とした交流をするべく日々の研鑽をしなければなりません。
病気や障害、それらは全て明日は我が身の問題です。言い換えると私たちは誰もが障害者になる能力を持っているということなのですから。
以上を本年の年頭の誓いと致します。
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