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2011年1月25日 (火)

游氣風信 No24「昴 宮沢賢治は何故舞ったか5」

游氣風信 No24「昴 宮沢賢治は何故舞ったか5」

三島治療室便り'91,12,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

《游々雑感》

昴(スバル)

 冬の夜は空気が澄んでいるせいか、星が一年中で最も美しい季節です。さらに夜空を彩る明るい星(一等星)が特に冬空に集中しています。星座でもオリオン座、オオイヌ座、おうし座、ふたご座など有名な夜空の大スターが百花繚乱、ピンと緊張した空にくっきりと瞬いています。

 オリオン座は四角の中に3っつの星が斜めに並んでいる造形美の鮮やかな、見つけ易い最も有名な星座でしょう。神話では次のような話になっています。
 オリオンは無敵を誇っていましたが神をも畏れぬ傲慢さが怒りをかい、神に遣わされた毒サソリにアキレス腱を刺されて死んでしまいました。そのため、さそり座が夜空にある間は姿を見せず、さそり座が沈んだ後、東の空から上って来るのだそうです。
さそり座は夏の星座、オリオン座は冬の星座ですから、とても面白くできた話です。

 日本では四角を形成する内の2個の一等星(リゲルとベデルギウス)を、平家星・源氏星と呼んでいます。

 その東南に青白く輝いているのがオオイヌ座のシリウスです。ちょうどオリオン座の3つ星を左(東南)に延長していくと嫌でも目に飛び込んで来る明るい星です。
 シリウスは西洋では犬星、中国では天狼と呼んでいます。どちらも犬もしくは狼の青くらんらんと輝く目に見立てているようです。そして日本では青星または大星。こちらは見たままの色や大きさで呼んでいてどうも和名はイメージの広がりに乏しいようですね。

 シリウスは恒星(太陽系の惑星以外の星。位置が恒常的なので恒星。太陽系の星は地球から見て位置が不定で惑っているようだから惑星。太陽に近い順に水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の9個だけ。)の内で一番輝いている明るい星で、1.6等星、普通の1等星のなんと30倍の明るさです。

 オリオン座の西北におうし座があります。3つ星を今度はシリウスの反対(西北)に延ばしていくと赤く光る1等星が目につきます。これがおうし座の牛の右目に当たるアルデバランという有名な星です。そしてアルデバランを頂点に星を結ぶとVの字が描けます。このVが牛の角に当たり、その牛の肩の辺りに日本はもとより世界中で古くから最も愛された昴(すばる)があります。

 清少納言も枕草子で「星はすばる」と持ち上げています。ところが昴は決して明るい星ではなく、星に詳しくない人ならまず探すのに大変苦労する星です。しかもそれは一つの星ではなく、幾つかの星が集まって一塊になっている朧な星団で、一般にはプレアデス星団と呼ばれているものです。昴は和名なのです。語源は「統べる」「む
すばる」と言われています。

 その一塊の星が幾つ見えるかで視力検査をして、徴兵をした古代の国もあるそうです。通常肉眼では6個見えます。この星団の形は意外でしょうが、富士重工の自動車のマークになっています。そうです、スバルレガシーやスバルレックス、スバルサンバーなど富士重工の車のボンネットに燦然と輝いているマークです。
 スバルは我が国唯一の日本語名の自動車なのです。日本の車に和名が使われているのは当然のはずなのですが、唯一というところに日本人の舶来尊重が読み取れて、一抹の寂しさが感じられます。

 「昴」という歌謡曲もありますね。歌詞に人生を詠み込んであって、我が人生を思いながらしみじみ感動できる曲です。フランク・シナトラが歌う「マイウェイ」と谷村新司の「昴」、最近では美空ひばりの「川のながれのように」などが同系の歌でしょう。
 「昴」は谷村新司のおおらかに歌い上げる見事な歌唱に感動して、つい、真似をしたくなりますが、歌いこなすのはとても難しく、周囲の人に多大な迷惑をかけて、さらには顰蹙(ヒンシュク)の嵐を招くので有名な歌です。(それは他の2曲も同様です)。

 ところで著名な星の研究家がこの「昴」を愛唱歌と絶賛しつつもひとつ気になると言っています。それは2番か3番だか忘れましたが「名も無き星たちよ」というところです。なぜなら名も無い星を見つけたらそれは新星か未発見の星だから一大事件。もしそんな星を発見したらハレーすい星のように自分の名を冠して永遠に天文史上に名
を残すことができます。そうなれば墓や戒名など不要になるほど素晴らしい墓碑銘になることでしょう。したがってこの詞は「名も知らぬ星」とするべきなのです。
 谷村は「昴」の2番煎じに「天狼(シリウス)」という曲も作っていますが、こちらはあまり売れなかったようです。しかし私はこちらのほうが思わせ振りが少なくて好きなんですけどね。

 余談はさておき、夜空を見上げる余裕がありましたら、オリオン座やシリウス、昴などを探してみてください。せちがらく生きている一時、悠久の時に心身を漂わせるのもいいものです。「昴」を口ずさみながら(決して他人には聞かせないように)。


<宮沢賢治は何故舞ったか>
その4

 風に代表される天の気象が人間の心身に大きく係わっているのは、生命体の存在そのものが環境と分離・交流という矛盾の中にのみ確立できることを示唆している。
 学問的には生態学が生命体と環境の関係を明らかにしつつあり、人は環境と支え合い、影響し合うことで人間存続の道を歩むしかないことが広く知られるようになった。
そこから環境破壊に対する反省、未来に対する不安、それ自体が商品価値を生むなどと複雑に入り交じって今日のエコロジーブームを生み、支えている。

また、経験的にも湿気と神経痛、低気圧と喘息のように気象と病気の関係は昔から「年よりの痛みは天気予報より正確」だなどとため息交じりの冗談として言い伝えられている。

 しかしそうした具体例を出すまでもなく、「もののけ」とか「気」ということばで示すようなメンタルな自然との交流に日本人は特に敏感なようである。俳句の季題、季語はその集大成であり、次に上げるような人口に膾炙した短歌も日本人なら誰もが心を動かされるものである。

  秋きぬとめにはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる  敏行
  わが宿のい小竹群竹ふく風の音のかそけきこの夕かも      家持

 これら古歌にも自然と人間との交流がみずみずしい感性で歌われている。無気質な都市空間に囲まれて閉塞感に窮している現代人が失いつつある新鮮な感覚であろう。


 賢治文学は短歌に始まったが、賢治に内在するイマジネーションは31文字にはとうてい収まり切らなくなって詩や童話に移行した。それは賢治が「めにはさやかに」とか「かそけき」のようなさらっとした日本的情緒を逸脱した、人間の存在の根源を示すような土着的怨念性と宇宙的透明感を一つの肉体に収めきるには不可能な巨大なエネルギーとして持て余していたからだろう。賢治はその持て余したエネルギーを舞として昇華することで辛うじて自らを保つことができたに違いない。

 では、賢治は自然に触発され詩や童話を書き、それだけでは発散しきれない身を焦がすようなエネルギーを舞や叫びに表現したのだろうか。それとも、月や雲や風から透明なエネルギーを得た賢治は、舞い叫ぶことでエネルギーを昇華し、その残滓を作品にすることでかろうじて狂気から脱出、日常性を回復していたのだろうか。

 いや、そうではない。舞いこそ全てなのだ。鬼剣舞のあの地中から天に向かってドロドロしたものが噴出したような激しいほとばしり、人間の怒りの根源から、自分を押さえるものを打ち破るような動きは「つばきしはぎしりゆききする」一人の修羅を引き付けて止まなかったろう。

 また、世界を循環する季節風から透明な安らぎの力が農作業の汗に濡れた心身を満たし、喜びは溢れ、人々に対してほほ笑まずにはおれなかったろう。
 そして、一人の修羅は月夜の麦畑の銀の波の中を舞い出したのだ。もはや他人の眼などどうでもよかった。賢治の全存在を賭けての最高の交響詩、メンタルスケッチ・モディファイドがそこで演じられたに違いない。
 残された膨大な量の原稿は、その断面に過ぎないのだ。

「宮沢賢治は何故舞ったか」終わり

(初出 盛岡タイムス 加筆修正)

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