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2011年1月25日 (火)

游氣風信 No23「強さと勁さ 宮沢賢治はなぜ舞ったか4」

游氣風信 No23「強さと勁さ 宮沢賢治はなぜ舞ったか4」

三島治療室便り'91,11,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

強さと勁さ

 日本語で強さを表す時、通常「強」と書きます。成り立ちはがっちりした殻を被った甲虫。
 漢字の意味は

  1 力が大きい、多い・・・・・強者 強大
  2 堅い、こわばる・・・・・・強固
  3 激しい・・・・・・・・・・強風 強雨
  4 意志がしっかりしている・・強忍
  5 からだがじょうぶ・・・・・強壮 強靭
  6 恐れない・・・・・・・・・強気
  7 いやおうなしに・・・・・・強引
  8 頑固な・・・・・・・・・・強情

などが特徴的です。

 「勁」はあまり馴染みの無い漢字だと思います。日常ではまず使うことはないからです。多分、中国拳法に関心のある人くらいしか知らないのでないでしょうか。
 この字の元は「力」、成り立ちは2本の棒の間にピンと張った縦糸です。「く」が3本並んでいるのが糸です。経(經)や頸と同系です。

 意味は「強」と同様に

  1 強い
  2 力

ですから、「強」との差異はさほどに感じられません。熟語を見てみますと、

  1 勁兵(強い兵隊)
  2 勁直(強くて曲がらない、強くてただしい)
  3 勁草(風にも折れない、丈夫な草、節操が堅いたとえ)
  4 勁箭(けいせん 強い丈夫な矢、勁矢)

などがあります。

 両者を比較してみれば、意味や成り立ちから分かるように「強」は甲虫の殻のように堅い強さであり、「勁」はピンと張った弦のようなしなやかな強さを意味していると理解できます。
 「勁」は勁直や勁草・勁矢のように細くても強くて曲がらない、「柳に風折れなし」のように柔らかいけど一本芯のある強さですね。
 それに対して「強」は強固、強情のように荒々しい、堅くなさを持った強さのようです。

 では私たちの健康に必要な強さはどちらの方でしょうか。
 私たちを取り巻く環境は暑くなったり寒くなったり、風が出てきたり湿気があったりと、いろいろ変化をします。そんな変化に対して生物は上手に順応して生息してきました。その時必要とされる強さは環境の変動を頑強に弾き返す強さではなく、さりげなく受け流すしなやかな強さでしょう。したがって「勁さ」が求められる訳です。


 本当に大切なのは「無病息災」ではなく「一病息災」です。頑健に病気を打ち負かしている人は、時に脆さを露呈します。その反対にいつも何かしら症状を抱えている人は、むしろその症状が安全弁の働きをして大病になりにくいようです。それに日頃から身体をいたわりますし。
 小さな地震が時々起こればそれが地殻の歪みを矯正して大地震になりにくいようなものでしょう。

 「風邪も引けない身体」というのをご存じですか。環境の変化に対して反応すらできないしなやかさのない身体です。こういう人、またはこういう時は十分注意した方が良いのです。


宮沢賢治は何故舞ったか
その3

 一般に踊りのことを「舞踊」というが、「舞」と「踊」の2字は、本来意味が違うそうである。現在では明解な区別はしていないが、「舞」はスリ足で舞台を回ることで、「踊」はリズムに乗った手足の躍動であると広辞苑に書いてある。
 さらに藤堂漢和大辞典によれば、
 「舞の上部」→人が両手に鳥の羽飾りを持って舞う様
 「舞の下部」→人が左足と右足を開いた様
 「舞」→人が両手に飾りを持って左足と右足を開いて舞う様
とある。
 そこから、手足を動かして神の恵みを求める(舞踏)、心を弾ませる(鼓舞)、むやみにデタラメなことをする(舞文・舞幣)などの意味が派生したそうである。

 賢治の月夜の狂気とも思える奇行は、自然=神への接近、同化及びどうしようもない内面からの躍動がでたらめな動きや奇声となって現れたもので、まさに原初的、自然発生的ないわばシャーマンの舞の原型ではなかったろうか。

 秋の風から聞いた「鹿踊りのはじまり」という童話には、鹿の素朴な行為が人間の側から鹿の世界に同化する形で書かれている。彼の最も有名な作品「風の又三郎」は全編これ風の世界という不可思議な透明感で貫かれている。その他多くの作品でも賢治の常套手段として一陣の風が舞台を急展開させたり、道案内したりする。
続く

《後記》
 家の周りの黄金色の田圃は、雨と台風によって稲が寝てしまったところが多くみられます。倒れた稲はコンバイン(刈り取った稲はそのままふくろ詰めにし、ワラは砕いて田圃に撒き散らします)ではうまく収穫できないので、稲刈り機で刈り取ることになるようです。そのことが最早若い人の姿が田圃から消えて久しい今、農家の老人
たちを悩ませています。
 高齢化した農村は米の輸入の自由化と共に、重大な問題となって私たちの食卓に影響を与えて来ることでしょう。
 この件に関して、あまりに無頓着な人が多過ぎます。
(游)

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