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2011年1月23日 (日)

游氣風信 No16「桜 エコロジー思考」

游氣風信 No16「桜  エコロジー思考」

三島治療室便り'91,4,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

<游々雑感>
桜は日本の春ぞかし

 福島県に三春駒という馬のこけしで有名な三春という土地があります。地名の由来は梅・桃・桜が一度に咲き、3つの春が一度に訪れるということから来ています。地元の人は三春の桜は日本一だと自慢していて、またそれに価する桜だと一度見たら認めざるを得ない美しさだとのこと。(反論もあるでしょうが・・)

 岐阜県の郡上八幡をさらに北上し、庄川という村に差しかかると広大なダム湖があり、その岸辺に大きな桜の木があります。もともと村の中にあった桜の木ですが、ダムに水没する運命を悲しんだ人々が移したのです。ドライブに飽きた人達が傍らで写真など撮ってくつろぐのにちょうど良い所です。
 また岐阜市の北西に位置する根尾村には有名な薄墨桜が巨木を誇示しています。老齢で一旦枯れかかったのを継ぎ根をして生き返らせたのですが、すごい技術があるものと感心しますね。そしてこれこそ日本一とする人も結構います。

 桜は日本の春には欠かせない花で、単に花と言えば桜を指します。陽気が暖かくなり辛夷の透き通る白い花や連翹の黄色、そのほか色とりどりに花が咲き、甘い香りに庭が満たされる頃、真打ちの桜が登場です。

 そもそも桜とは「咲くらめ」から来た言葉なんです。あらゆる花を代表して「咲く」という言葉を我が名を表すために使用できるなんて、とても名誉なことでしょう。ほかの花が咲くという言葉を使ったら商標登録違反だと文句が言えそうです。

 桜の魅力は花の美しさもさることながら、「ああ、春が来た。」という喜びにも助けられています。逆に桜も春の喜びを増幅させるという具合に季節との相乗効果も見逃せません。 しかし、桜の魅力の一半は散り際の良さにあることは間違いありません。
潔さは日本人の心の中に美徳として深く刻み込まれています。まるで遺伝子に情報がインプットしてあるかのごとく。

 主君のためにいつでも死ぬ覚悟をしておくのが武士道であり、実際、第二次世界大戦では、若者の心を桜の美意識で洗脳し、お国のために散り急ぎの美学を強要しました。
 桜に一種死の匂いを感じるのは、これらの伝統からなのでしょう。

 軍国日本のイメージを伝えるものに「日の丸」「君が代」「桜」「軍歌」などがありますが、今では「軍歌」はおじいさん達の戦友会のナツメロや、パチンコのテーマソングとなり、「桜」も春の野外宴会の肴として見事に復活して、もはや桜に軍国日本を連想する人もいないでしょう。

 平和を満喫する花見会、当地では味噌田楽の匂いがたちこめます。浮かれている連中に気安く話しかけると「まあひとつ食べてきゃぁ。」と人情を味わえる一時です。
 やっぱり桜は日本の春ぞかし。


<気楽図書館>
 現代に生きる、それは時間とのせめぎあいではないかと思うことがありませんか。
生きているのではなくただ時間の過ぎるままに生息している、まさにそんな感じです。

 生きるために時間を費やすのではなく、時間に追われて生を浪費する、これは立ち止まって考えるべき問題でしょう。

 私は立ち止まって考えるべき問題を皆様に提出し、それなりの解答やヒントを提出できるほど視野の広い、思慮の深い人間ではありません。しかし、そんな私にもできることはないかと考えてみました。
 そこで考えたことは次のことです。現代を明確に切り取り、そのさまざまな断面を私たちに見せてくれる優れた人は大勢います。そんな人の書かれた本は、ベストセラーになるものもありますし、注目を集めることなく本屋の片隅で数カ月過ごし出版社へ返されるものもたくさんあります。
 もうお判りのように、このコーナーではそれらの本を紹介することでいささかの情報を伝えると同時に字数を増やそうという安易な考えです。

 本はなにかの拍子に私の目に停まり、私の乏しい財源で購入できる、しかも私の頭で何とか理解でき、機会があれば皆さんにも読んでいただきたいというものに限ります。
 ジャンルはできるだけ広くしたいものです。
 コメントは付けません。ただ、内容の一部を抜粋して紹介するだけです。
 このコーナーのタイトルの“気楽”とはつまり私の気持ちを表しているのです。
 気が向いたら掲載するという気楽さもあります。

 今月はロッキード疑獄で名を馳せ、最近NHKで臨死体験のレポートをした立花隆さんの本です。先の「食養生」にもからんでいます。

立花隆「エコロジー的思考のすすめ」
中公文庫 \420

 200万年前、地球上のヒト科の動物は、わずか10万、25000年前のクロマニヨン人の世代になっても300万程度だった。自然システムの中に組み入れられた形での人間の適正人口は、おそらくその程度でしかなかったのだろうが、人間は自然のシステムに自分に都合のよい改良を加えることによって急速に個体数をふやしはじめた。紀元元年には2億5000万人、そして現在は36億人(この本の初版は昭和46年、現在は50億を超えている)と推定される。今日なお、毎日32万人ずつ生まれ続け、10日間でクロマニヨン人の総人口に当たる人間がふえ続けている。


 エコシステム(生態系、エコロジーのシステム)を構成する4つの基本的要素がある。
 1 非生産者的環境
 2 生産者
 3 消費者
 4 還元者
 非生産者的環境というのは、水、空気、土壌などのあらゆる物質に太陽光線を加えたものをいう。生産者とは、無機物質から有機物質を生産するもので、植物がこれに当たるといってよい。
 消費者というのは、生産者が作った有機物を食べることによって消費するもの、つまり草食動物、さらに草食動物を食べる肉食動物がこれに当たる。還元者はバクテリアや菌類で、生産者や消費者の生命が失われた後にこれを分解して無機物質にかえす生物のことである。そこで、無機物質→(生産者)→有機物質→(消費者)→(還元者)→無機物質、というサイクルが成立する。このサイクルがエコシステムの骨格である。このうちのどれが欠けてもエコシステムは崩壊する。


 人工システムは自然システムを利用して成り立っている。もし自然が、人工システムから廃棄されるものを自然に還元することを拒否すれば、地球は、人工システムの廃棄物で埋まってしまう。そうしたくなければ、人間が100%還元者の役割を果たさなくてはならない。


 人間という寄生者は、自然という宿主に寄生しているのだから、自然を殺さない程度に利用すべきなのである。病原体微生物のように、宿主の生命を破壊するの愚を犯してはならない。宿主を変えようにも変えることができないからである。すでに地球自然は病みつつある。このへんで、毒素の排出を人間がやめないと、元も子もなくな
りそうである。

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