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2011年1月23日 (日)

游氣風信 No14「湾岸戦争」

游氣風信 No14「湾岸戦争」

三島治療室便り'91,2,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

≪游々雑感≫

 世界中が息をひそめて見つめる中、イラクに対する多国籍軍の空爆から始まって湾岸戦争という最悪の事態になってしまいました。イラクも今回は直接関与していないイスラエルにミサイル攻撃をするなど、中東ひいては世界を巻き込むかのように戦争は最悪の方向に進んでいます。

 しかも、原油の大量流出によって海水及び生物の生態系、地球の大気にも甚大な被害を広げつつあります。
 それは1月15日からの秒読みに続いて始まる家庭観戦可能なテレビショーのごとき恐るべき人類初の愚行をも伴いました。

 イラクのクウェート侵攻から半年、人々は過去の歴史に何ひとつ学ぶことができず、愚かさを繰り返すばかりです。

 経済的に影響は受けるが遠い世界の出来事なのだと突き放して見ることはできます。
あるいは、完全平和への過渡的出来事だと政治家や歴史学者のような醒めた視点もあるでしょう。
 しかし、実際に戦火にさらされる人はおろか、同時代他地域に住む私たちにとっても大変つらい出来事です。


 漢方では、世の中は陰陽のバランスを取りながら常に変化していて、現在はいかなる状況にあろうとも過渡期に過ぎないのだと見ます。一見静止しているようでもそれは陰陽のバランスを取り合っている極めて動的な状態だというのです。
 生き物は成長と同時に死への道程を歩んでいます。バランスが一応うまく取れていれば健康、ぐらついていれば病気、回復不可能なら死。
 この歴然たる矛盾の中にこそ命は育まれるというのが現実です。これを賢人達は「万物流転の法則」とか「無常」とか言い表してきました。

 今回の戦争も、人類全体が過去から未来への過程に生じたさまざまな時間的・空間的矛盾を回復するために一気に起こったバランス回復活動であり、いかなる終結を迎えようともそれがその時点の過渡的最良状態であり、同時に次の争いの火種になってしまうわけです。

 しかしそんなことは頭では理解出来ても、心には何とも耐え難いことです。
 俳優で歌手の植木等の父親は本願寺系の僧侶で、しかもクリスチャンであり、戦争中は反戦活動で投獄されたり、差別問題や福祉活動などの活動をされたなかなかの傑物ですが、植木が例の「スーダラ節」というコミックソングを歌うはめになったとき父親に相談したら、これは親鸞の教えだから良いと言われ、「どこが?」と尋ねたら
「わかっちゃいるけど止められない」がそうだと教えられたと雑誌で読みました。
 まさに戦争はいけないことだと分かっちゃいるけど止められないという情けないのが本来の人間の姿なのかも知れません。

 ただし、しっかり肝に命じなければならないことは歴史は成り行きに任せるしかないというようなものではなく、一人一人が歴史に関与し、歴史や社会から恩恵を受けているのですから、皆で最良の解決方法を人知をつくして模索しなければならないということです。
 今回の結果を良き未来へつなげるか、最悪の将来を招くかは今生きている一人一人の思いと行いの集積に外ならないからです。

 地球という自然のバランスの取れた環境の中であるがままに存在している鉱物や動物・植物と異なり、勝手気ままにできるのは人間だけですから、その行いには自ずと厳しい責任が伴います。

 海をオイルまみれにして、海鳥を窒息死させるなどは人間の愚かさを象徴する恥ずべき出来事です。オイルに限らずポイとたばこの吸い殻を捨てるのも、質としてはたいして差がないことにも気付くべきでしょう。


 争いは「相手」を全否定すると同時に「自ら」を全肯定させようとする処に激しく発生します。イラクの[大義]と西欧社会の[正義]とが互いに「自ら」を肯定し、「相手」を否定したために今回の戦争が勃発しました。

 争いを収めるためには、互いの[言い分]に聞く耳を持つ機会が必要です。これが話し合いです。

 日本はことあるごとに「まあまあ、どうもどうも」というあいまいさでごまかしてきました。それは国内ではとても有効な手段ですが正義・信条を大切にする世界には通用しません。
 とりわけ今回は皆がそれぞれにとっての[正義・大義]を死守するべく必死の状況ですので日本が調停案を出して停戦を図るためには、今までに世界に通用する信頼感を築いていたかどうかが問われます。しかし、残念ながらお金儲けが忙しすぎたようで信頼感はあまり芳しくないようです。


 湾岸戦争を「対岸の火事」と傍観するのでなく、「以て他山の石となす」ことが一人一人に与えられた課題ではないでしょうか。
 そして平和は健康と同様、自然にあるものではなく自らの努力で築き上げるべきものであることを改めて認識すべきでしょう。
 なぜなら人間は生きるために自然に完全に依存しておきながら、自分たちは不自然そのものの存在であるという矛盾の中にしか生存出来ない生き物だからです。

 自然の本質は弱肉強食にあります。
 水面下における絶えまない闘争と略奪に明け暮れた結果としての表面上の静かな生態・地質的バランスこそが自然なのです。わたしたちはその見事なバランスのうわべを見て「ああ、自然はいいなぁ。」と感動しているのです。
 自然は弱者や病者を容認してくれないという厳しい世界であり、だからこそ人間は自然を破壊し、自然から略奪し続けながら、<人間らしい>自然と調和を保つ行き方を模索し続けているのです。

 もっともだからと言って、「病者を相手にする医療は必要無いとか、闘争に勝利するために防衛費を増やせ」などと短絡してもらっては困ります。
 人間は痛みを分かち合うという素晴らしい能力を持っています。相手の痛みや苦しみを想像して共感するからこそ、助け合い励ましあって生きていけるのです。
 その人間が信条の違いから簡単に他人を殺すことも出来るという恐ろしさも同居していることを、私たちは常に自問しつつ生き続けなければならないのでしょう。

 戦争は人間を哲学者にすると新聞に書かれていました。それを裏付けるように爆弾を投下して来たばかりの紅顔と呼んでもおかしくない青年飛行士がテレビのインタビューに答えて、「夢中でやってきたが、こうして今になってみると自分でも考えなければならない問題がいっぱいある」と言っていました。
 彼に殺人を命令しなければならないブッシュ大統領も、原因を作ったフセイン大統領も、それをテレビで観戦しているみんなも、直接手を下した若い戦闘機パイロットの苦痛を共感してみる必要があるでしょう。もちろん、爆弾を落とされたイラク国民の恐怖にも・・・。

<後記>
 世間が何となく重く騒然としています。こんなときこそ自分を見失わないように生
きていかねばと自戒しています。
(游)


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