游氣風信 No12「二日酔い」
游氣風信 No12「二日酔い」
三島治療室便り'90,12,1
三島広志
E-mail h-mishima@nifty.com
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/
≪游々雑感≫
今年も残すところ後1カ月となりました。暖冬のせいか、余り切迫感は感じませんが、カレンダーが残り一枚ともなると、毎年のように「1年は早いなぁー。」と無駄に過ごした月日に思いを巡らせ、「年々歳々、月日の経つのが早く感じる。加速がつく。
」とこれまた年中行事のように歳を取ったなと考え、さらに「子供のころは1年が長かった。」と昔に思いを馳せます。
36歳の分際で昔などと言うのは笑止と思われるかも知れませんが、20代の人からおじさん呼ばわりされ、20代の人が10代におばさん扱いされる御時世ですから、36歳は昔を偲ぶにやぶさかでない年齢なのです。
NHKで評判の「翔ぶが如し」の西郷隆盛は40代で西郷翁と呼ばれ、昔の大店の旦那衆は42の厄(初老)を越えたら隠居したそうで、実にうらやましいかぎり。お相撲さんなど32、3歳で引退したら年寄名を襲名するのですから唖然とします。
今は70歳まではこき使われます。働かないと「粗大ごみ」だの「生ゴミ」だの、最近は「濡れ落ち葉(ごみ袋に入れたごみと違って、掃いても掃いても地面にへばり付いてなかなか剥がれない。)」とか「ワシ族(いそいそ外出する妻に『ワシも行く、ワシも連れて行ってくれ』と泣きつく)」などととんでもないことを正面きって言われる時代ですから、フーテンの寅さんでありませんが、男はつらいよという世相です。
名古屋出身でありながら、「蕎麦ときしめん(講談社文庫)」で名古屋の悪口を書きたいだけ書いて、2度と名古屋の土地が踏めなくなった作家、清水義範氏によれば憲法に書かれている国民とは□の中に玉がある民、すなわち男性を暗に意味し、憲法を制定した人々が将来、男性受難の時代が来ることを予見して、憲法中に密かに裏の意味として書き残したのだと大胆な仮説を立て、次のように具体的に検証しています。
(國を国に変更したのと、憲法制定は同時期)
日本国憲法 第11条
「国民(男性)は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」
同 12条
「この憲法が国民(男性)に保証する自由及び権利は、(中略)これを保持しなければならない」
同13条
「すべての国民(男性)は、個人として尊重される」
同25条
「すべて国民(男性)は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
清水氏はこれに関して次のようなコメントを述べています。
「それにしても、何とひかえめな要求であろうか。男性が望むのは、高々、最低限度の生活なのである。この憲法を作った人は、間もなくこういう時代が来ることを予見していたのであろう。男性が、最低限度の生活をも望めなくなる日がくることを。」
けだし卓見というほかないでしょう。
参考「グローイング・ダウン(講談社文庫) 神々の歌」清水義範著
40代から老後を考えろと言われます。
女性は40歳頃から、子離れの苦しみを乗り越えるために、地域ネットワークを築いたり、趣味を見つけたりします。それによって、活力ある老後を迎えるための準備が自然に整います。
しかし、男性は定年退職の60歳から地域ネットワークに拘わらねばならず、その際会社の肩書などが邪魔をしてなかなか大変だということです。
会社命で家族も顧みず何十年も暮らしてきたサラリーマン生活に、趣味など身につける暇などあろうはずもなく、接待ゴルフも今は遠い夢ともなれば、ワシもワシもと奥さんにしがみつくしかないのかもしれません。
さて、今からでも遅くはありませんから、頭の趣味(俳句、短歌、絵、茶華道、写真など)と体の趣味(民謡、ダンス、ハイキング、インディアカなど)を嗜むのも一興かと思います。
<二日酔い>
忘年会の季節です。仕事によっては嫌でも毎日のように暴飲暴食、我が身中の内臓を酷使しなければならないことでしょう。接待用の作り笑いではどんな御馳走も高級ブランデーもおいしくはないでしょうね。
そんなときはきっと胃も動いてないに違いありません。手や口は義理で動いても、内臓は思い通りには言うことを聞きません。命を守る自律神経は義理より命の味方です。それなりの義務があるからです。
そんな場合、身体は二日酔いという形で不満を表明します。
また気心の知れた仲間と飲むとき、これは楽しいものですが、我を忘れてついつい度を越してしまい、悲惨な翌日を迎えることになります。これも身体からの叱責です。
二日酔いの治療に健康保険が効くのは日本だけだと聞いたことがあります。嘘か誠かわかりませんがいずれにしても、自分で招いた二日酔いに健康保険が効くのはおかしな話です。
営業で仕方無しのお付き合いならこれは労災でしょう。過労死ならぬ過労飲食です。
ということで、二日酔いなどは本人に身体をいたわる反省の機会ですから放っておけばいいのですが、あれは実に辛いものです。二日酔いは身体からの情報に謙虚に耳を傾ける修練になりますから、本人が苦しんでいても、周りの人は知らん顔をするか、罵詈雑言を浴びせてやれば、それが立派な家庭療法でしょう。
ところが何と言っても実に苦しいもので部屋はグルグル回るし、吐き気はするし、頭はガンガン痛いし、胃は引っ繰り返ったように張るしで、どうも困ったものです。
それで多少なりとも楽にする方法をここに紹介します。だからといって二日酔いになるような行為は避けるべきで、あくまでも窮余の方法だと思ってください。
1、食べ過ぎ体操
正座してそのままゆっくり後ろに倒れます。ヨガなどで良く見かけるポーズです。
多くの人は両膝の間が開きます。そして、背中が反っくり返ります。食べ過ぎるほどきつくなります。そこを我慢して両膝を揃えてはパッと力を抜きます。これを3~4回繰り返し、両脚を伸ばしてしばらく休みます。
身体が堅くてできない人は、片足ずつ折り曲げて後ろに倒れ、自然に2~3呼吸そのままにしています。
この体操は身体の前面にある胃腸機能に関係あるスジを伸ばします。
こつはパッと力を抜くとき、息をホッと吐くことです。
食べ過ぎて御免と、身体に謝りながら行います。
2、肝臓の調整
柔軟体操の前屈のように、脚を投げ出して座ります。両足を精一杯開きます。前屈体操と同様に身体を前に倒します。そのとき右手で左足を触るのと、左手で右足を触るのと2つの体操をします。
無理せずに息を吐きながらゆっくり右手で左足を触り、そこでしばらく静止します。2~3呼吸自然に呼吸しましょう。
反対側も同じように伸ばしたら、仰向けでしばらく休みます。
この体操は身体の側面にある肝機能に関係あるスジを伸ばします。
3、肩甲骨と背骨の間の指圧
うつ伏せに寝て、布団に胸を密着させ、誰かに肩甲骨と背骨の間の指圧をしてもらいます。
左側に胃の反射、右側に肝臓の反射が出てきます。そこを指圧することで逆に胃や肝臓を刺激するのです。
方法は寝ている人の左側に来て、左の肩甲骨と背骨の間(胃)に右の手のひらの小指側を当て、左手を重ね、静かに体重をかけていき、気持ちの良い圧力で5秒ぐらい静止します。
2人で色々試行錯誤しているとだんだん上手にできるようになります。
同様に右側も指圧します。
してもらう人は力を抜いて楽にして任せること。胸と布団の間に隙間があると危険です。
する側は無理に力を入れないで、腕を腕立て伏せのように伸ばして、体重だけで乗っかるように。人並み以上の体重を誇る人は控えめに。
<今月の詩歌>
・・・・ ・
柊の花見返へれば少女佇つ 佐久間東城
柊の木はモクセイ科。花は白色の小花で初冬に良い薫りを放つ。
葉は縁がぎざぎざで触ると痛い。語源は「疼ぎ(ひいらぎ)」。
木犀(モクセイ)と近似なので自然に交配して「柊木犀(ひいらぎもくせい)」になることがある。これは葉の切れ込みが細かい。
・ ・・ ・・ ・・・・
さびしさの目の行く方や石蕗の花 寥太
つわぶきの花。寂しい初冬の庭を鮮やかな黄色で慰めてくれる。
正確にはフキではなく菊科の多年草。葉がフキに似て艶があるので「艶蕗(つやぶき)」もしくは葉に厚みがあるので「厚葉蕗(あつはぶき)」が名の由来と言われる。
<後記>
今年は暖冬のせいか、田圃の切り株からまた青々した稲がすくすく育っています。
切り株から出てくる稲の芽や茎のことをひつじと呼び、その田をひつじ田と言います。
花が咲くこともあるそうですよ。
帰宅時に空を見上げると、大接近している火星が赤く輝き、その側に昴(スバル)が朧に灯っています。もっともこの星(正式にはプレアデス星団、和名すばる。自動車のすばるのマークになっています)は、清少納言の枕草子にも「星はすばる」と書かれているように古くから日本人に愛されてきました。
昴の属するおうし座やオリオン座、全天で一番明るいおおいぬ座のシリウスなど冬の星座は寒さを忘れさせてくれます。夜空は冷え込むほど空気が澄んで星の瞬きが近くに見えますから楽しみな季節ですね。
(游)
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