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2011年1月23日 (日)

游氣風信 No11「ガンと身体調整」

游氣風信 No11「家庭円満 ガンと身体調整」

三島治療室便り'90,11,1

 

三島広志

E-mail h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/


折々の健康

 先頃亡くなった参議院議員で医学博士の高木健太郎先生の言葉。

「時に癒し、しばしば苦痛を和らげ、常に慰む」という言葉は、現代医学があまりにテクノロジーに依存し、人間を物体視する弊害を戒めている。

 ある老婦人が重症の肺水腫におちいったが、器材が何もなく、やむなくベッドのそばで静かに話をはじめたところ、彼女の恐怖は鎮まり、症状は軽快し、肺の雑音は消失し、肺水腫がよくなったという。
 この話を読んで、患者への語りかけ、慰め、医師への信頼が病人治療にいかに大切であるかを改めて知った思いがした。

 鍼灸は学理的にも有効であることが証明される日も遠くはないと思うが、病む人と語り、触れ、慰め、力づける要素が鍼灸の治癒に大きい比重を持っているのではないかと考える。”癒しの心”を忘れてはならないと自戒したい。
 病人と接する時間が短くなり、ふれあいの心が通じる時空が短縮し、鍼灸の科学根拠に偏るとき、現代医学の欠陥をそのまま鍼灸に持ち込む憂いが無いとは言えぬと思う。
(以上、福岡の筑紫城治氏からの紹介)

 高木先生は早くから鍼灸に理解があり、鍼灸の現代医学的研究や一般化に尽力された鍼灸界の恩人です。
 今日、鍼灸を分かりやすく広めるために現代医学的に研究したり、説明しようとする傾向が強いのですが、その方向に進み過ぎると現代医学の欠点を(人間をともすると物質的のみの視点で捕らえようとする)そのまま持ち込んでしまう恐れがあることを警告しておられるのです。 
 むしろ現代医学の制度から離れたところに(隙間を埋め込むように、あるいは境界面での共存)手作り医療としての鍼灸・指圧・整体・気功などの身体調整を考えたい私としては、この高木先生の警鐘はまさに我が意を得たりというところです。

 身体調整は2人の出会いから始まるコミュニケーションの場です。一方が病み・苦しみ・悩みをもっている時、もう一方の人は何ができるでしょうか。

 ある人は寄り添い、ある人は語り合い、ある人は手を握り、またある人は持てる技術を施行して治療に当たることでしょう。
 その技術がたまたま鍼であったり、指圧であったり、薬であったり手術であったりするわけです。
 身体調整は本来誰もが誰に対しても思わず手を差し伸べる(手当て)べきものであるし、現に殆どの人が家庭や職場である程度実行しているものです。
 「あなた顔色悪いわよ。一度お医者さんに診てもらってらっしゃいよ。」などという具合に。 医療は実はここから既に始まっているのです。


 ここで話は少し変わります。
 高木先生は、ご自分がガンに罹ったことを奥さんには隠し、日常の業務には極力参加、最期の最期まで現役を貫かれました。見事な生き方であったと感心します。
 しかし翻って、もし自分がガンになったとして、今の医療は私達をそのように自由にしてくれるかと言えば少し疑問があります。
 病床で不安と共に死を待つだけではなく、毎日を、残された毎日を有意義に生きるにはどうしたら善いか、患者や家族と一緒に考えてくれるような医療はまだ一般の施設では期待出来ないようです。

 多くの場合、病床に縛り付けられ、最後には体の穴という穴に管を通され、生ける屍として手厚い看護?を受けることになるでしょう。

 不思議に思うのは高木先生に限らず、ガン研究所の所長クラスの有名な(新聞にその死が紹介されるような)先生方がほとんどご自分の延命治療(坑ガン剤や放射線療法なども含む)を拒否されながら、患者に対しては管をくわえさせている現実です。


 医師自らが今まさに死に直面している患者と一緒に、生き方の模索をしてくれなくても、せめて本人や家族の意志で過度の延命治療という身体的、精神的、経済的、社会的拷問を避けることは出来ないか、常々疑問に思っています。

 現場を預かる超一流の先生方が延命治療を拒否される根拠は一体いずくにありや?
と人品骨柄のまっとうでない私はつい穿った見方をしてしまいます。
 あれは本来患者のためでなく本当は医師のためにあるのではないだろうかなどと・・。
 しかし、医療サイドといささかなりとも境界を重ねる仕事をしている自分としては、医師任せにしてしまう患者にも一半の責任はあると突き放した立場にも立てます。
 それとも死に直面した場合、両者ともにどうしたらいいか分からない状態で、導火線に火の着いた爆弾を医師と患者の間で投げあっているのが現実なのかとも思います。
両者ともに確信持って死に臨むことができませんから。
 人ごとならともかく自分や家族のこととなると「こいつぁたまらん」というのが本音でしょう。

 いずれ無用な延命治療は避けて(必要な治療は勿論してもらいます。治癒の可能性があるなら、全力で事に当たり、不安の大きな原因である痛みの緩和とか、苦痛の原因の除去など)残された寿命を精一杯生きる方法を一人一人が考えなければいけなくなるでしょう。
 実際に世を去らなければならないのは自分自身ですから。
 ガン告知問題も、訴訟が増えるにつれて表面化してくるに違いありません。患者からの要望も増えつつあるようですし、ガンが全く治らない病気とも言えない時代になりつつあります。


 以上のことと高木健太郎先生の功績業績の偉大さとは全く関係ありません。
 ただ高木先生も延命治療を拒否されたと新聞で読んで、今まで持ち続けていた疑問を書いたまでです。


ガンと身体調整

 残念ながらガンに対して有効例は持ちません。
 少数ながらガン患者の痛みの緩和に微力を尽くした経験はあります。
 
胃ガンの80歳の女性の場合

 胃の幽門部(出口)にゴツゴツした岩のかけらような4センチ位のしこりがあり、食欲不振と胸焼け、全身の倦怠を訴えていました。
 本人はガンとは知らず、家族は私にも胃潰瘍と言っていましたが、家族の雰囲気やしこりの状態からガンであろうことは容易に察しがつきました。
 調整は週2回、腹部への柔らかい手当てと、腰への灸頭鍼。
 灸頭鍼は鍼を刺し、鍼の柄にモグサを付けて火を点けるものです。鍼と灸の効果が同時に期待でき、とても気持ち良いと評判も上々です。
 患者は身体調整の後、腹の不快感が消え、食事が出来ると喜んでいましたが、3カ月ほどで入院。2週間くらいで亡くなりました。

 没後、遺族から幽門ガンであったことを知らされ、嘘をついていたことの謝罪を受けました。しかし、私は家族の雰囲気やしこりの感じから何となく気付いていました。
患者自身もだまされている振りをしておられたようでした。

肺ガンの64歳の男性の場合

 一時マスコミを騒がせた粉ミルク断食道場を退所後、自宅にてミルク断食を完璧に実行。断食は指圧と組み合わせてありましたから、指圧のために訪問しました。
 初めて訪問すると、死臭とも言うべき匂いが部屋中に立ち込めていました。
 患者さんは極度の衰弱にもかかわらず、しっかりとご自分の意見を述べられました。

 自分は肺ガンであること、もはやそう長くないであろうこと、入院は極力したくないので、粉ミルクと指圧で頑張りたいこと、友人のドクターと常に連絡は取っていること。

 その態度にいたく感心した私は出来る範囲で協力することを約束し、週3回、約1カ月半訪問しました。 最終的には体力の限界まで至り、娘さんが入院させましたが2日目に他界されました。
 指圧は痛みの緩和には十分役立ったようで、おなかに手を当てている間はとても楽だから、手を置いて帰ってもらいたいと冗談を言われました。あるいは半分は本意だったかもしれません。

 粉ミルク断食はマスコミのヒステリックな糾弾の矢面にたたされましたが、じっさいその道場で良くなった人もあり(作家の三浦綾子氏は擁護派です)、医師もその治療に参加しています。
 非難するだけでなく、そこでもし本当にガンが良くなったケースがあるならそれを追及することも意味あることでしょう。
 あきらかに害があるならそれも医学的に証明すべきです。
 また何故病院を抜け出して、敢えて高い料金のかかる怪しげな断食道場に人が集まるのか研究してみることも必要でしょう。
 ひたすら、自らの乏しい何十年かの経験や何百冊か分の知識にしがみついて、非科学的だと騒ぎ立てるのは、逆に極めて非科学的態度であることに気付くべきでしょう。


 私自身はミルク断食を積極的に推薦しようとは思いませんが、その断食道場長はこのように言うそうです。
 「あんたのガンはあかん。わしにも治せん。そやけどみんな通って行った道やさかい心配せんと先に行き。わしも後から行くからその時は迎えに来てや。(上野圭一氏による。読み覚えだから文は不正確。)」

 ここまで言い切られると是非を越えてウ~ム、と唸るほかありません。患者と治療者が同じ立場でガンに対峙しています。治療者が自らの問題としてガンに取り組んでいるのです。

 良きにつけ悪しきにつけ、私は未だこう言い切るだけのものは持ちません。

今月の詩歌

朝寒の撫づれば犬の咽喉ぼとけ 中村草田男
鯛の骨畳みにひらふ夜寒かな  室生犀星

 朝寒(あさざむ)は秋も深まる頃、朝方だけ寒さを感じ、昼間は寒さなどころっと忘れているような感覚。
 夜寒(よさむ)は昼間は気温のことは気にせず生活し、夜になって寒さが身に染むしんみりした感覚。
 朝寒も夜寒も秋の終わりの気配を敏感に感じ取った古人の季節感を表す言葉。

 息せききって生きている現代人にはなかなか実感する機会も暇も無さそう。
 両句とも言われてみれば成程と改めて季節の変化を教えてくれる佳句。

 現象の断面を切り裂いて突き付けてくるのが優れた俳句の条件。読み手の背景の広さが佳句の背景をさらに深める。

後記

 イラクから74名の邦人が解放されました。まだ230余名の人々がイラク、クウェートに残っているそうです。
 人質という卑劣な手段は憎むべきものですし、といって解放という餌にのり不正を許すという訳にもいかず、家族の方々や政府、関係者の苦悩も大変であろうと思います。
 それにつけても、我が身を省みず他人を先に解放してくれと身を引かれた人達は、まさに義を見て勇を為された尊敬に値する人々でしょう。
 以前、飛行機が海に墜落した時、他人をゴムボートに乗せて自分は海中に沈まれた米国人もいました。
 小事に慌てふためく我が身を思い恥じ入るばかりです。

(游)

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