鷹 四月号
俳句結社誌『鷹』が送られてきました。
『鷹』は先年亡くなった藤田湘子という方が創刊された歴史ある俳句雑誌です。2009年四月号で第46巻第4号だそうですから50年近い年月を刻んだ雑誌ということになります。
藤田先生は水原秋桜子の下で勉強された方で、指導力に定評がありました。現在は若い小川軽舟という方が主宰を受け継がれている精鋭集団です。
しかしわたしは『鷹』とは何の御縁もありません。
どうして郵送されてきたのか訝りながら封を開けました。
すると付箋が貼ってあります。
開くとそこは「俳壇の諸作」というページ。筆者は辻内京子さん。
驚いたことにわたしの俳句が鑑賞文とともに紹介されています。
☆
山彦が山彦を呼ぶ冬日かな 三島広志
「藍生」一月号より。山に向かって「やっほう」と叫んだ子供のころの思い出は誰にでもあるだろう。「やっほう」と山彦が返ってくると嬉しくてまた「やっほう」と繰り返した楽しい経験だ。
掲出の句は山彦が再びエコーする現象を詠んだものである。「山彦は山の神が答える声」というアニミズム的な発想や、自然の深遠な息づかいがこの句から感じられるのは、「山彦が山彦を呼ぶ」という措辞の手柄であろう。日本の原風景の持つ時間と空間の広がりを味わいたい句である。
☆
身に余る高邁な鑑賞です。読み手がいいと詠み手が救われる実例。成程そんな読みもできるかと感心しきり。
この句はわたしが所属している俳句結社「藍生」の一月号に特別作品として巻頭に掲載された十句のうちの一つです。句の舞台は猿投山。名古屋の東郊外にある猿投山はオウスノミコトという大和武尊の双子の兄の墳墓が祭られていることで知られています。しかし現実に山彦を聞いた訳ではありません。現実に登った山での想像です。俳句は日常存問で日記のように詠むという人もいますが、創作ですから空想や捏造もあります。
そういえば『鷹』創刊の藤田先生の先生である水原秋桜子の句に
高嶺星蚕飼の村は寝静まり 秋桜子
という高名な作品があります。これは信州と群馬の県境で作られた作品。蚕を飼っている村が深夜、寝静まっているという静謐な名句ですが、作者の解説によると作ったのは昼間。この句で作者は写生から創造へのきっかけを掴んだと書いていたはずです。手元に資料がないのでうろ覚え。俳句の表記も違っている可能性がありますがご容赦。
ともかくわたしの句が思わぬところで読まれ、掲載されていることに驚きました。文章を書く人は広く眼を光らせているものです。また、きちんと送って下さった『鷹』編集部の良識にも感謝します。
筆者の辻内京子さんは句集『蝶生る』で今年の俳人協会新人賞を受賞されました。これからが期待される方です。その句集から
硝子戸は海の入口春の暮
炎昼の階段掴むところなし
大切な人の掌蝶生る
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