訪問リハビリ・マッサージを始めて三十年になります。
それは私が鍼灸・マッサージの資格を取って以来の歴史と重なり、よくも今日まで続けてこれたものだなという感慨にもつながります。
初めての患者さんは65歳の元教師でした。
脳梗塞で右半身の麻痺と言語障害。
努力家で小学校1年生から6年生までの漢字と計算ドリルを二回やり遂げ、日記も左手で毎日付けておられました。
この方のお宅へはなんと15年も訪問し、最後はご本人の大腿骨頸部の骨折や介護している奥さんにうつ病が発症したため中止となりました。
游氣風信5号はこの方がモデルで書いたものです。
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y005.html
二番目の患者さんは先ほどの方とほとんど同時に開始した方で、農業と行商で一家を支えてきた77歳の男性。空襲で二人のお子さんと家を消失するという悲劇を跳ね返して後のことです。
頑健が自慢の方でした。それが過信になり雪の日に上半身裸で畑仕事をしていて脳出血。左半身麻痺でした。歩行できないまま退院されたのですが、訪問リハビリ・マッサージで杖歩行が可能となりました。
游氣風信63号はこの方のことです。
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y063.htm
そんな具合にこの仕事を開始して三十年。
最初の十年はまだ制度が十分に整っておらず、その上、周知もされていなかったため患者さんも家族も私も何も分からないまま模索していました。
お宅を訪問するのは私たちマッサージ師と月に1から2回の主治医の往診。さらに数か月に1度の保健婦。在宅患者を抱え込んだ家族は本当に大変でした。精神を病んでしまうケースも少なくなかったのです。
当時から訪問マッサージは健康保険適応でした。ですから費用はほとんどかかりません。障害者医療適応の方が多いので無料のケースも多いのです。これは大変利用しやすい制度です。しかし、その他の制度がありませんでした。
十年経った頃、措置による制度が充実してきました。保健婦が積極的に在宅患者を掘り起こし、ヘルパーの派遣や福祉機器の貸与や譲渡が行われるようになりました。これは画期的なことで、この頃から在宅患者はヘルパーによって清潔に保たれ、保健婦のアドバイスもあり家族もほっと息がつけるようになったのです。
さらに十年経つとご存じのように介護保険が生まれました。
こうして家族内で抱え込んでいた介護が外部化され、在宅患者は公的存在として認知されることになりました。
介護保険料や利用に基づく費用の負担はあるものの、患者、家族共々、大いに助かるようになったのです。
以下にも訪問体験記が書いてあります。
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y006.html
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y031.html
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/yaoi.htm
介護保険に関して(現行とは異なる部分もあります)
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y124.htm
訪問リハビリ・マッサージの変遷(個人的感想です)
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y169.htm
さて、今後はどうなることでしょう。
福祉予算の問題と少子高齢化の問題は待った無し。
社会全体が持てる能力をシェアしていかないと介護保険の存続は難しい状況です。
元気な高齢者が特定(虚弱)高齢者を支援する時代はもう始まっています。
また自助努力(栄養や運動、生活スタイル)によって一人一人が被介護者になる状況を先送りすることも必要でしょう。
そうすれば結果として介護を受ける期間が短くなりますから、社会も家族も、何より本人が一番助かるのです。
来年はこうしたことも踏まえて、健康予防、介護予防に役立つ教室を考えています。
一応私も介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格を持っていますし、介護予防運動指導員の認定を受けていますから。
ケアマネ受験記
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y177.htm
介護予防運動指導員に関して
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/yuki/y200.html
訪問リハビリ・マッサージに関してはHPをご覧ください。
http://homepage3.nifty.com/yukijuku/newpage%20zaitaku.html
最近のコメント