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2006年2月 8日 (水)

追悼 小川双々子先生

迂闊にも気づかなかったのですが、1月の17日、一宮市在で現代俳句協会の重鎮小川双々子先生がお亡くなりになっておられました。
毎日インタラクティヴより
「訃報:小川双々子さん83歳=俳人
 小川双々子さん83歳(おがわ・そうそうし<本名・二郎=じろう>俳人)17日、心不全のため死去。葬儀は親族のみで行う。お別れの会の日取りは未定。自宅は非公表。喪主はおい、中島富士雄(なかしま・ふじお)さん。

 名古屋を中心とする東海俳壇の指導的存在。05年、現代俳句大賞を受賞した。」

先生の逝去は、今朝の読売新聞に3月16日にお別れ会があるという小さな記事を見つけて知ったのです。

ネットで調べたら上記のような記事をいくつか見つけました。

東海俳壇の指導的存在とありますが、現今の俳句界になくてはならない楔のような方でした。俳句の世界においてすらそれほど著名ではありませんでしたが、先生の時代を見る目の厳しさはまさに詩人のそれでした。

先生の俳句や文章はとっつき難く一般受けはしませんでしたが、氏もその主宰される結社『地表』も、常に批評精神を研磨し続けています。

20代の終りから30代の前半、わたしは俳句における詩精神を学ぶべく『地表』に属していました。しかし率直に言うとわたしはその余りの詰屈さに結局は距離を置いたというのが本音です。

もう少し俳句としてのゆとりも欲しいと感じて伝統回帰、今の『藍生』に移ったのでした。

それでも『地表』のことは常に頭の中に響いており、今でも安易な俳句を作ろうとする気持ちを叱咤してくれます。

一昨年にはその前に属していた結社『槙』の平井照敏先生も亡くなられました。そこでは俳と詩の弁証性を学びました。ここでの体験も身中に息づいています。

今は『藍生』(黒田杏子主宰)の自由な海で泳いでいます。

それでもなかなか俳句は上達しません。

そもそも俳句とは何か。

わたしにとって俳句とは何か。

そんな問題も解答も当然のことながら見えてきません。

先達が次々なくなる中、模索の旅はまだまだ続きます。

ともかく小川先生、お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。

h-mishima@nifty.com

http://homepage3.nifty.com/yukijuku/

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