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2006年2月

2006年2月26日 (日)

親子二代

今、アメリカからFさんが指圧の勉強に来ています。

彼女は日本で生まれ、9歳まで滞日した米国人。今年20歳になります。

高校を出た後、二年かけて米国のマッサージ公認ライセンスを取得したそうです。さらに技術を深めるべく指圧の勉強に一ヶ月ほど時間を作ってやってきました。

彼女のお母さんはわたしの最初の外国人生徒。

幼稚園が休みのときなど、Fさんもお母さんについてやってきました。そしてお母さんが練習中、部屋の隅やバルコニーで色々悪戯をしていたものです。彼女はアイスクリームのポスターに登場したこともある愛らしさから教室の人気者でした。

それから幾星霜。立派な大人になっての再来日。

考えてみると親子二代にわたって指導することになります。これは恐ろしいことです。

わたしを思い出して娘をはるばる日本まで送り込んだ両親の記憶と英断に感動すると共に、改めて鏡に写った自分の顔のシワ、シミ、白髪という老いの3Sに見入らずにはおれませんでした。

そこには時間が刻まれているのです。

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2006年2月 8日 (水)

追悼 小川双々子先生

迂闊にも気づかなかったのですが、1月の17日、一宮市在で現代俳句協会の重鎮小川双々子先生がお亡くなりになっておられました。
毎日インタラクティヴより
「訃報:小川双々子さん83歳=俳人
 小川双々子さん83歳(おがわ・そうそうし<本名・二郎=じろう>俳人)17日、心不全のため死去。葬儀は親族のみで行う。お別れの会の日取りは未定。自宅は非公表。喪主はおい、中島富士雄(なかしま・ふじお)さん。

 名古屋を中心とする東海俳壇の指導的存在。05年、現代俳句大賞を受賞した。」

先生の逝去は、今朝の読売新聞に3月16日にお別れ会があるという小さな記事を見つけて知ったのです。

ネットで調べたら上記のような記事をいくつか見つけました。

東海俳壇の指導的存在とありますが、現今の俳句界になくてはならない楔のような方でした。俳句の世界においてすらそれほど著名ではありませんでしたが、先生の時代を見る目の厳しさはまさに詩人のそれでした。

先生の俳句や文章はとっつき難く一般受けはしませんでしたが、氏もその主宰される結社『地表』も、常に批評精神を研磨し続けています。

20代の終りから30代の前半、わたしは俳句における詩精神を学ぶべく『地表』に属していました。しかし率直に言うとわたしはその余りの詰屈さに結局は距離を置いたというのが本音です。

もう少し俳句としてのゆとりも欲しいと感じて伝統回帰、今の『藍生』に移ったのでした。

それでも『地表』のことは常に頭の中に響いており、今でも安易な俳句を作ろうとする気持ちを叱咤してくれます。

一昨年にはその前に属していた結社『槙』の平井照敏先生も亡くなられました。そこでは俳と詩の弁証性を学びました。ここでの体験も身中に息づいています。

今は『藍生』(黒田杏子主宰)の自由な海で泳いでいます。

それでもなかなか俳句は上達しません。

そもそも俳句とは何か。

わたしにとって俳句とは何か。

そんな問題も解答も当然のことながら見えてきません。

先達が次々なくなる中、模索の旅はまだまだ続きます。

ともかく小川先生、お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。

h-mishima@nifty.com

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